22. 魔物の津波

 自宅は気が休まらないので早めに宮殿に出勤するベン。


 宮殿はまだ焼け跡が残り、痛々しいが、夜通し復旧作業が進んでいるようで、日々少しずつ綺麗になっている。


「それにしてもあのメイドたちどうしようかな? ベネデッタさんに知られたら軽蔑されるよなぁ……」


 ベンがつぶやいていると、


「あら? あたくしが何ですって?」


 そう言ってベネデッタが後ろからいきなりベンの腕をつかんだ。


「うわぁ! お、おはようございます。いや、ベネデッタさんを失望させないようにしないとなって、思ってまして……はい」


「あら、ベン君は私の命の恩人、失望なんていたしませんわ」


 そう言って碧眼をキラキラと輝かせながら最高の笑顔を見せる。


 ベンはドキッとしながら、


「そ、そうですか。そ、それは良かった」


 と言って、頬を赤らめた。


 その時、向こうから手を振りながら誰かが駆けてくる。


「顧問! 大変です!」


 それは班長だった。班長は青い顔しながらダッシュでやってきて、


「魔物が約一万匹、トゥチューラを目指しているという報告がありました」


「一万!?」


 ベンは青くなった。トゥチューラの兵は数千人しかいない。一万はトゥチューラの存亡にかかわる事態だった。今から王都に救援依頼を送っても到着までには何日もかかるだろう。自分たちで一万の魔物の軍勢を対処しなくてはならなくなった。


「ベン君どうしよう!?」


 ベネデッタが眉間にしわを寄せて不安げにベンを見る。その美しいあおい瞳にはうっすらと涙が浮かび、ベンの心は大きく揺さぶられた。


 ベンにしてみたら逃げるのが最善である。命がけで戦うメリットなどない。ひとり身の気楽な身分だから、他の街に移住してしまえばいい。


 でも……。彼女を見捨てて逃げる? 本当に?


 ベンは首をブンブンと振り、大きく息をついた。


 そして、覚悟を決め、


「大丈夫、任せてください」


 と、ニッコリと笑って見せた。


 前世でもこうやってトラブルの度に最前線で対応して命を削り、結果過労死してしまったわけだが、それは今世でも変わらない。お人好しでクソ真面目。でも、ベンはそれでいいと思った。こんな素敵な女の子に頼られて、それでも見捨てて逃げるような人生には何の価値もないのだ。


 とはいうものの、一万の軍勢には一万倍の【便意ブースト】では足りないだろう。ベンは未知の領域、十万倍を目指さねばならなくなってしまった。


 そして、それがもたらす苦痛を想像し、気が遠くなって思わず宙を仰いだ。



       ◇



 城壁の上に立ってみると、一面の麦畑の揺らめく陽炎の向こうに無数の黒い点がうごめいて、こちらに迫っていた。なるほどあれが魔物に違いない。


 あんな津波のような暴力がこの街を洗ったら滅亡は必至だった。


 兵士たちはたくさんの石を城壁の上に運び上げているが、顔色は悪い。城門に群がってくる魔物を上から石を投げて倒していくという作戦らしいが、さすがにこれでは一万には耐えられない。


 もちろん、弓兵も魔法使いもいるが、数百ならともかく、一万という数字は圧倒的な力をもって兵士たちの心を蝕んでいく。


 兵士たちは口々に不安をささやきあっており、士気は地に落ち、状況は非常にまずい。



 やがて魔物たちは、城門近くの麦畑に集結し、


 ギャウギャウ! グギャァァァ!


 と、口々に奇怪な叫び声をあげ、威圧してくる。


 そして、骸骨の馬スケルトンホースに乗った巨体の魔人がカッポカッポと先頭に出てきた。


 何を言うのだろうかとベン達も、城壁の兵達も固唾を飲んで様子を見守る。


 すると、魔人は大声を張り上げた。


「おい! 人間ども! 我は魔王軍四天王が一人【フルカス】! ベンとやらをだせ!」


 ベンは思わず天を仰いだ。


 あの魔法使い、四天王のナアマの伝言を聞いてやってきたのだろう。あの時、瞬殺できなかったことが悔やまれる。


 ベンは大きく深呼吸をすると、不安げなベネデッタの肩をポンポンと叩き、


「ちょっと準備してくる。瞬殺してやるから安心していいよ」


 と、ニコッと笑って、天幕の中へと入っていった。


 その時だった、


「ハーッハッハッハー! ベンなど待たずとも、この勇者が相手してやろう!」


 と、勇者の声が響き渡った。

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