9. 殲滅者との友誼
世界最強の男が下痢を振りまきながら転がっている。そのあまりに異様な光景に、貴族たちは唖然とし立ち尽くす。そして、漂ってくる異臭に耐えられず、ハンカチで鼻を押さえながら急いで退散していった。
謎の呪文で勇者を行動不能にしたそのシーンは、後々まで語り継がれる事になるのだが、実態は下剤の耐久勝負という実にお粗末な話である。
セバスチャンは勇者の戦闘不能を確認すると、
「勝者! ベーンー!」
と、高らかに宣言したのだった。
それを聞いたベンは、青い顔をして脂汗を流しながらピョコピョコと内またで急いで階段を降り、トイレへと駆けていった。
◇
公爵はセバスチャンを呼んだ。
「お主、今の戦いどう見る?」
「ハッ! 勇者は明らかにベン君を警戒しておりました。普通に戦っては勝てないと思っていた節があります」
「ほほう、人類最強の男が警戒していたと?」
「はい、直前にポーションでドーピングまで行っていました。ですが呪文を受けて攻撃を出す間もなく破れました」
「おそろしいな……。もし……、もしだよ? 我がトゥチューラの全軍勢とベン君が戦ったとしたらどうなる?」
「あの呪文を解析しない事には何とも……。勇者をも戦闘不能にする恐ろしい呪文。私には対策が思いつきません。少なくとも今戦ったら瞬殺されるでしょう」
「しゅ、瞬殺!? ……。一体何者なんだ彼は?」
「オークをミンチにし、人類最強の男を怯えさせ、フル装備の勇者相手に武器も持たず丸腰で現れ、呪文で葬り去る……。もはや人知を超えた存在かと」
「人知を超えた存在……、大聖女とか大賢者とかか?」
「そのさらに上かもしれません」
「上……、まさか
「勇者を手玉にとれるのはそのクラスしか考えられません。そして、神話には『
公爵は言葉を失った。見た目はどこにでもいる可愛い少年。それが神の炎で全てを焼き尽くす恐るべき
セバスチャンは淡々と言う。
「もし
「セ、セバス! 我はどうしたらいい?」
公爵は青い顔をしてセバスチャンの手を取った。
「私もどうしたらいいのか分かりませんが、まずはベン君と
「友誼、そうだ! 友誼を結ぼう。粗相の無いよう、国賓待遇でもてなすのだ! 宰相を呼べ!」
公爵は脂汗をたらたらと垂らしながら、叫んだ。
◇
そんな深刻な話がされているなんて思いもよらないベネデッタは、トイレでさっぱりして戻ってきたベンを見つけ、飛びついた。
「やったー! ベン君すごいですわ!」
「あ、ありがとうございます」
甘くやわらかな女の子の香りに包まれ、ベンは赤くなりながら答えた。
「やっぱりベン君が最強ですわ! ねぇ、騎士団に入って私を警護してくれないかしら?」
ベネデッタはベンの手を取りながら、澄み通る
「へっ!? 騎士団!?」
ベンは予想外の話に目を白黒させる。Fランクの十三歳の子供が騎士団など聞いたことが無かったのだ。
「勇者を倒したってことは人類最強って事ですわ。この話は全国に広まってあちこちからオファーが来るわ。そして、平民のあなたには絶対断れない命令も来るはず。騎士団に入れば私が守ってあげられるの。いい話だと思わないかしら?」
ベネデッタはニコッと笑いながら恐いことを言う。
ベンは単に勇者を倒しただけだと思っていたが、国の上層部の人にしてみたらこれはとんでもない話らしい。言われてみたらそうだ。人類の存亡にかかわる魔王軍との戦闘において、勇者は最高の軍事力。だから特別扱いをしてきたわけだが、それが子供に簡単に倒されたとなれば軍事戦略そのものを根底から見直さねばならないのだ。
ベンは改めてとんでもない事になってしまったと思わず宙を仰ぐ。
「何ですの? 私の護衛が嫌なんですの?」
ベネデッタは不機嫌そうに言う。
「あ、いや、もちろん光栄です。光栄ですが……、私は商人を目指しててですね……」
「商人!? 人類最強の男が商人なんて絶対許されないですわよ」
デスヨネー。
ベンは思わず額に手を当て、便意から手を切る生活プランがあっさりと瓦解した音を聞いた。
騎士団に入ることはもう避けられないと観念したベンは、
「騎士団って、朝から晩まで厳しい規律があるじゃないですか。それを免除してもらえたりはできませんか?」
と、何とか待遇改善に望みを託す。
「うーん、そうですわね。少年にあれはキツいかもしれないですわ……」
ベネデッタは人差し指をあごに当て、小首をかしげながら考え込む。
「あ、こういうのどうかしら? 騎士団顧問になって、私の外出やイベントの時だけ勤務。これならよろしくて?」
「あ、それなら大丈夫です」
拘束時間が少なければ何とかやっていけそうだ。むしろ商人より良いかもしれない。
「じゃあ決まりですわ! あっ、お父様、いいかしら?」
ベネデッタは公爵を見つけると、顧問のプランを相談する。
公爵はチラッとベンの顔を見るが、ベンは作ったような笑顔で不満げだった。
マズい……。
公爵の額に冷汗が流れた。ベネデッタの勝手を許していた非は公爵家側にある。公爵は上ずった声で言った。
「こ、こ、こ、顧問だなんてご不満ですよね? 最高顧問……いや、最高相談役なんてどうでしょう?」
「最高相談役?」
ベンは何を言われているのかピンと来なくて首をひねった。
その反応に公爵はしまったと思い、脂汗が浮かんでくる。迂闊な言動は人類の存亡にかかわるのだ。
その危機を察したセバスチャンが助け舟を出す。
「ベン様、どういったお立場がご希望ですか?」
「こういうとアレなんですが、まだ子供なので、楽なのが良いかななんて思ってます」
前世に過労死したベンにとっては楽なことは最重要ポイントだった。
「なるほどそれならやはり、ベネデッタ様付きの顧問というのが一番ご希望に沿うかと……」
「そ、そうなんですね? では、それでお願いします」
ベンはよく分からなかったが頭を下げた。
それを見ると公爵はホッとして、ニコッと最高の笑顔を作ると、
「ではそれで! ベン様は我がトゥチューラ騎士団の顧問! 申し訳ないですが、その方向でこの子を頼みます」
そう言って右手を差し出す。
「わ、分かりました」
ベンは面倒なことになったと思いながら、引きつった笑顔で握手をする。ただ、この時、公爵の手はなぜか汗でびっしょりであった。
二人の握手を見たベネデッタは、
「では、最初のお仕事は、わたくしの親戚の子の警護をお願いさせていただくわ!」
と、いたずらっ子の顔をして嬉しそうに言う。
「し、親戚?」
「そう、可愛い子ですわ。よろしくて?」
「は、はい……」
ベンはなぜ親戚の世話まで見なきゃいけないのか疑問だったが、ベネデッタの嬉しそうな顔を見ると断れなかった。
その後、次々といろいろな貴族から挨拶を求められ、ベンはぎこちない笑顔で頭を下げながら社交界デビューを果たしていった。
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