第3話 夜道 時刻不明


「この辺……のはずだけど……」


 予定していた時刻はとっくに過ぎ、時計の針は七時を大幅に超えていた。

 焼け尽くされていた空もやがて暗い青に鎮められてゆき、美しいグラデーションを描いて闇へと堕ちていった。


 ヘッドライトを点けたまま車を路肩に寄せ、ハザードを点滅させる。目的の場所へ至る道を地図で確認する為に付けた室内灯の、頼りない明かりが僕らの不安げな顔を浮かび上がらせていた。


「もう少し先に行ったところが坂になっているはずだ。後続車に注意して、ゆっくり行ってくれ」


「分かった」


 道路は片側二車線になり、途中から渋滞の心配をする必要は無くなった。そして今、代わりに僕の心を占めていたのは仲間達との一体感だった。


 漆黒の夜のとばりに包み込まれた車内で、仲間達と一つの目的に向かっているワクワクする様な状況に、僕は胸の奥がきゅうっと締め付けられる様な、何とも言えない高揚感に満たされていた。


 ……けれど、そんな心地良い瞬間は、長くは続かなかった。


「……ここを曲がるの? 」


「……ああ、多分そうだと……思う……」


 僕はタイチに道を尋ねながら、ゆっくりと車を走らせる。だけど、どうも彼の様子がおかしい。


「タイチ、大丈夫か? 顔、真っ青だぞ……」


 ノリの心配そうな声に、思わずルームミラー越しに彼を覗き見る。さっきまでのはしゃいだ様子は微塵も感じられず、グッタリと座席にもたれかかっている。


お前タイチって乗り物酔いするヤツだっけ?」


「……言ってなかったけど俺って結構、霊感強くてさ……どうも、当てられてきたみたいだ」


「オイオイ、ここまで来て……ホントに大丈夫なのか?!」


 助手席のユウスケも心配そうにタイチを振り返っている。ルームミラー越しの彼は眼鏡を外し、両手で顔を洗う様に吹き出す汗を拭いとる。

 

「……思っていたよりもずっと強いな……でも大丈夫。

 ……ああ、そうだ……暑いけど、窓は閉めたほうがいい……」


「え……なんで……」


「開けっ放しだと……中に入って来ちゃうかも、だから……」


 つぶやく様なタイチの言葉に、僕とユウスケは慌てて窓を閉める。パワーウインドウなんか付いていない古い車は、僕らのハンドルを回す力に負けてわずかに揺れていた。


 道幅が狭く、簡単に後戻り出来ない坂道を登り続ける。馬力が無いからギアは一速ローまで下がっていた。

 甲高い唸り声を上げながら止まりそうな速度で山道を登る途中、崖の様に見えていた左側はやがて白いガードレールに護られてゆく。追いかける様にして現れた背の高い雑木林が眼下に見えていた俗世ぞくせとの繋がりを遮断する。


「狭っ……対向車来たらどうするんだよ……なぁ? 」


「……ハハッ……そうだな……」


 無理やりテンションを上げようと喋り続けるユウスケとノリ。けれど、ガードレールの向こう側に立ち並ぶ樹木が車窓からわずかに見えていた星空までも消し去り、押し寄せてくる圧迫感と雰囲気に呑まれて今ひとつ上がらない。


 不思議なことに、夜とはいえ窓を閉め切った車内はあまり暑さを感じることが無く、それどころか僕らの吐く息も心なしか白く色づいている様に見えた。そして何故か曇り始めてきた窓を僕とユウスケは、視界が閉ざされぬよう必死に拭き続けていた。


 どのくらい登り続けたのだろう。

 永遠に続くかと思われた急な坂道が突然ふッ……と、平らで少し開けた場所に変わった。


 と同時に、今まで闇一色だけを照らしていたヘッドライトが、真っ赤な何かを浮かび上がらせる。


「…………ここだ」


 つぶやく様なタイチの声に、僕はハンドルをギュッと握り込んだ。


 明かりが照らしていたのは血のようなあかに染められた、小さな鳥居。

 それは崖側にせり出した、十トントラック一台分くらいの細長い待避所の隅っこの方……白いガードレールの切れ目にちょこんと鎮座ちんざしていた。


「……まさか、この鳥居をくぐって崖を降りていくんじゃないだろうな……この闇の中を……?」


 鳥居を正面に見据えながら離れた場所にあるガードレールに車を寄せた僕は、誰かのつぶやきにゴクリと喉を鳴らした。

 えもいわれぬ雰囲気を醸し出す鳥居のたたずまいに、噂のワンシーンが頭をよぎる。


「どうやら、そうみたいだな……階段が見える。ほら、あそこ」


 僕が持って来ていた懐中電灯を手にしたノリが、指差すように車内から鳥居を照らす。

 ヘッドライトと二重に照らし出された真っ赤な鳥居の根元には、よく見ると緩やかに闇に向かって下って行く石段の一部が見えていた。


「……どうする? ……行くの? 」


「ここまで来ておいて……なんで誰も行こうとしないんだよ。ビビってんのか?」


「……何言ってんだよッ、お前ら前の二人が出て行かなきゃ出られないだろ?」


 ノリの言葉に僕はドアを開けるレバーを凝視する。


 刀が地面に刺さっているという、まるでゲームに入り込んだ様な体験をするには、僕が誰よりも真っ先に闇の中に飛び込んで行かなければならない。


 欲望と恐怖が頭の中をグルグルと回り出す。

 ……けれど、今は何よりも、仲間達との思い出を何も作らないまま帰るのは……イヤだ。


 そんな想いに突き動かされて、ドアのレバーに手を掛けた――次の瞬間



「……ヤバイ、怒ってるみたいだ……」


 突然、地の底から沸き上がる様なうめき声が僕の手を止める。


「……えっ?」


 声色の変わったタイチへ目を向ける。

 すると彼は突然、ガバッと目の前にある座席を抱えて叫びだす。


「戻ろうッ……この場所に留まるとヤバイッ」


「ハァッ? まだ車を降りてもいないのに……」

 

「手遅れになるッッ――あぁ……マズイッッッ」


 ユウスケの声が聞こえないかのようにタイチは声を被せてくる。まるで人の首を締めるかのように助手席のヘッドレストを小刻みに震わせながら。


「――早く出せッッ! 捕まるぞッッ」


 血の気を無くし、まるで噂の男の様に豹変した彼の必死な形相に、思わずユウスケと目を合わせる。


「……戻ろう」


「……うん」


 目配せ合うと同時にギアをバックに入れる。


「早くッ――早くッッッ」


 崖を背に狭い道を何度も切り返す。その間にもタイチの悲鳴の様な声は絶え間無く響き渡る。

 これ程までにタイチは何に怯えているのだろう。シフトレバーをバックに入れたタイミングでサイドミラーを盗み見ても何も写ってはいなかった。


「――何やってんだよッ」


「今、やってるッ」


 急かすタイチの声に苛立ち、クラッチペダルから足を離してしまった瞬間――


 ――車はひとつ大きく揺れて、動かなくなってしまった。

 

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