第39話

 次第に慣れない魔力を吸い過ぎて身体が言うことを利かなくなってくる。

 踏ん張っていたはずの脚も、地面に触れていた感覚が無くなっていた。当然両腕の方も同様の有様。皮膚は醜く爛れ、血は焼け焦げ、指の何本かはあらぬ方向に曲がっている。

 それでも未だ絶え間なく押し寄せる火砲照射の苛烈さに、遂に身体がくの字に折れ曲がった。

 このまま諦めたらどれほど楽だろう。

 所詮は何の関わりもない何千何万の命。

 俺一人が命張ってまで義理立てする必要はない。

 心残りは溺愛する妹の存在と、崩れ行く視界の端に映る彼女を巻き込んでしまうくらいだ。


「嫌だ────」


 大体なんでいつも俺なんだ。

 立ち塞がる苦難の数々に、満身創痍だった心は遥か昔に死んでいる。

 所詮は死にきることのできない生きた死人。

 そんな俺に何かを護る資格なんてないのかもしれない。


「このまま諦めるなんて、嫌だ……」


 それでも、それでも、ここでむざむざ死ぬのだけはまっぴらごめんだ。

 神でもなんでもいい、この状況を打開できる何かを、俺は死を自覚してなお足掻き続ける。


「なぁ、俺の新しい『緋色の支配者左眼』よ────お前もこんなところで終わるなんて不本意だろう?」


 唱えたのは偶然か、それとも必定か。

 無意識化に吐き出された言葉は狛戌一縷にとっての祈りであり、同時に狛戌一縷にとっての呪いでもあった。


『俺の持てる全て全部くれてやる。そしてこのクソッタレな魔学の世界で誰よりも踊り狂う様を左眼特等席から拝ませてやる。だからお前の全部を俺に貸せ。お前が死の淵そこに居るのは判ってんだよ。なぁ、持ってるんだろ?この期に及んで出し惜しみするんじゃねえよ』


 世界が暗転する。

 火砲照射に飲み込まれかけた真っ白な世界が、闇より深い場所にある心象風景へと引きづりこんだ。

 刻々という概念から切り離された真っ暗な世界、その何もない黒き地平線には一人の人物が立っていた。

 自身の姿と酷似した後ろ姿。それが僅かにこちらへ振り返り────半顔の口の端を三日月のように歪めた。


 ダンッ!!


 背後で響いた火薬の音が絶望的現実へと俺を引き戻した。

 同時に襲う鈍器で殴られたような背中の衝撃。

 前面の火砲照射に比べればちっぽけな音だが、腐っても銃弾。

 一体誰が放ったのか、けどそんなことはどうでもいい。

 再び耐え直した態勢で翳した両腕が魔力を喰らう。喰らい尽くす。

 それは一滴残らず俺の身体に蓄積されていき、次第にまばゆい火砲照射は蝋燭ろうそくの残り火のように威力を弱め、最後に残されたのは驚愕と戦慄に顔を歪めた双賀の姿だけだった。


「そんなバカな……耐えきったただと?この火砲を、何百何千人もの魔力全てを凌駕できるはずの……」


 封じられた一撃と同時に、先ほどまでの威勢の良さはそのまま恐懼へと移り変わる。


「人間が成せることじゃない、貴様は……一体何者だ……」


「どこにでもいるただの野良犬さ、完成されたこの魔学の世界に抗うたった一匹のな」


 言い終わる前に飛び出していた。

 ただ前のめりに、魔力を内包し過ぎて酔いが廻ったような状態の肉体を無理やり走らせる。

 焦った双賀は冷却時間を無視して火砲を放とうとするが、慢心からか連続かつ高威力の照射を放ち過ぎたことで次弾を撃つことはできなかった。


「クソッ!!」


 遂に火砲を放り捨て、ちっぽけな拳銃でこちらを攻撃する。

 なんて哀れで醜い足掻きか。

 必死に抗う様には決死の覚悟はない。所詮奴の『死』への覚悟は仮初だったのだ。

 反してこっちは『死』を受け入れた。銃弾程度の小石に臆することなく、慣れた足捌きであっと言う間に距離を詰める、

 ようやく掴んだその襟首のネクタイを絡め、地面へと引きづり倒す。

 大の大人を押し倒しマウントポジションへ、ようやく手にした俺の距離。

 この手にしたナイフを振り下ろすまでの時間こそが、双賀にとって残された命の価値。


「グッ……」


 刃は喉元寸前で止まる。

 双賀の両手が何とか間に合い、鬩ぎ合う。


「こんなところで終わるか……どれだけ世を欺こうとも貴様達の、数多の命に手を掛けたストレガドッグの罪だけは絶対に許してはならないのだ……!」


「……確かにそうだ」


 拮抗状態の最中、俺は静かに思いを吐露する。


「俺はこれまで何人もの人間を手に掛けてきた、男も女も隔てなく何人も、何人も……。当然そのことを否定するつもりも、ましてや美化するつもりもない。復讐なんて古臭い考えに毒されたような人間の辿る末路なんざ、きっとロクでもないに決まっているさ」


「じゃあなぜ……」


「なぜ?なぜだって?そんなこと簡単さ」


 勢いよく頭を振り上げ、その反動ごとナイフの柄へと噛み付いた。


「俺にとっての標的ラスボスが、お前なんかじゃないってことさ」


 噛み付いた柄ごと全体重を両手に乗せる。

 ナイフは次第に、ゆっくりと、高度を下げていく。

 定められた運命に、双賀が大きく喚き散らす声だけが展望室に鳴り響く。

 ナイフの切っ先が喉元の皮に刺さり、プシューと赤い息が漏れ出した。

 痛みを感じたらあとは成すがまま。鋭利な先端が肉を開き、血の巡りの活発の動脈を割き、根本まで刺さるころには五月蠅うるさい声音もピューピューとか細いものとなっていた。


「……こん……な、バカ……な……」


「先に逝ってろキザ野郎、妹のことが全部片付いたら俺もすぐに地獄そっちに行くからさ。それと、もし母さんにあったらよろしく伝えといてくれよ。『アンタにもらったこの血果てるまで、俺は自らの運命に抗い続けてみせる』ってな」


 そうしてようやく力を込め続けていたナイフから手を引いた。双賀は虫の息のままどんどん眼が虚ろとなっていく。

 けれども決してその瞳は、復讐の火を絶やさないその瞳は、俺のことを見て離さない。


「……ストレガ……ドッグ……首領ボス……の、仇……」


「……なんだと?」


 小声かつ血反吐交じりで上手く聞き取れないが、首領ボス、仇だって?

 身に覚えのない以上、あるとすればそこで寝ているミーアが『カルペ・ディエム』の首領ボスを葬ったとでもいうのか?


「ゆる……さない、組織は、おまえ、たち……を────」


 己の血で真っ赤に染まった指先をこちらへと差し向けてきたものの、触れる寸前で力尽きた双賀。

 奴が放った最後の復讐の火種は、俺のなかで蟠りを燻らせる呪いの言葉として耳朶に残り続けるのだった。

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