第19話
「がはッ!!」
全身に走る衝撃。鼓膜を突き破るような甲高い金切り音が観客席から上がる。
「逃げろイチル!!」
観客席から響いた伊嶋の声にハッと我に返り、粉塵舞う視界不良の中で闇雲に身体を転げさせる。その刹那訪れる衝撃波に再び身体が毛玉みたいに軽々と吹っ飛ばされる。
四、五度地面へと叩きつけられ三半規管が搔き乱される。
視界の端に映ったのは巨大な大木が突き刺さる異様な光景だった。
「クソが、ちょこまかムシケラみたいに逃げ回りやがって」
「お前みたいな出来損ないの屑が俺に勝てるわけねーだろ」
梅野は両手から生成していた大木を切り離し、今度は地面へと指先を触れさせる。
梅野大祐の魔術は植物を精製することに特化しており、魔刀と同じ用法で生成したそれらを巧みに操る戦術を得意としていた。一聞するだけでは大したことないように思えるのだが、ある一点を除けば優秀と言わざるを得ないだろう。なんせかれこれ数十分足らずの戦闘で奴の周囲は地形が変わるほどの大木や隆々とした木の根を発現させており、今尚その猛攻が収まる様子はない。
変幻自在な草木の魔術、巧みな技能をこれでもかと披露するやつの指先から、今度は堅固な砂地を押し破るようにして無数の蔓がウネウネと姿を顕す。鋭利な
「ぅ……ッ」
全身へと突き刺さる
声にならない呻きと血交じりの唾が口内を埋め尽くし、あまりの衝撃に中空へと投げ飛ばされた身体が
「はぁ、お前みたいな雑魚如きが僕と同じ制服に袖を通していると思うと反吐が出るぜ」
五、六メートルから地面へと叩きつけられた俺に向けて拍子抜けたように梅野は肩を竦めた。ボクシングで言うところの一ラウンドKOに等しい勝利だ。
「攻撃は避けられないどころか魔術で反撃もしてこない。それに基礎中の基礎の魔術防壁すら禄に脹れていない。お前本当にクロノス
魔術防壁は物理的な攻撃は勿論、その最大の特徴は、飛来する魔術と無機質な魔力をぶつけることで中和をはかり、その威力を和らげることにある。
防げる強度は魔力量や技量によって左右されるとはいえ、魔力を扱えるならまず全員が使えるといって断言できるくらい、本当に一番初めに習う魔学の基礎中の基礎たる防衛手段。
使えないのはせいぜい、この学院を置いて恐らく俺一人だろうな。
「まるで
梅野の指摘に観戦していた生徒達の方がガヤガヤと騒がしくなる。
この学院においてそれは最大級の侮蔑に当たる、例え冗談でも赦されない言葉。
しかし、この場に居るほとんどの人間が全く魔術を発動させず反撃しないイチルという人物に対し、その印象を抱いていたのも事実。あくまでそれを梅野が代弁したに過ぎない。
『確かに、まだ何も魔術を披露していないあたり何か決定的な策でもあるのか?』
『それにしたって食らいすぎだろ。授業中の態度もぞんざいだってクラスの奴は言ってたし、試験を突破したのだって実はマグレなんじゃないか?』
『あー私分かっちゃった。実はめっちゃ勉強ができて、実戦は苦手とかそういうオチじゃないの?』
『じゃあなんで
気付けば手暇な学院生達が口々に憶測を語らい出している。
興奮、不安、嘲笑。何とかこの場を誤魔化そうとしていた努力は無下となり、あっと言う間に見世物小屋のような奇異な視線に晒される。
これだから嫌だったんだ。こんな学院に通うことなんて……
ボタボタと額から滴る鮮血に溜息が零れる。
霞んだ視界にはすっかり血のカーテンが差し掛かり、梅野を中心とした
身体の内側も制服で視認できないが、きっちり全身骨折だらけ。正直、身体を起こしているだけで精一杯だった。
「牛崎教授!もう決着は着いた!これ以上は闘いを長引かせる必要は無いはずだ」
唯一この場で俺に声援を送ってくれていた伊嶋が、固唾を呑んだように事の成り行きを伺っている牛崎に嘆願する。
家柄や目上の人間を重んじる魔術学院において、生徒が進言するなど本来であれば言語道断に値する。だが牛崎は一切表情を崩さず軽く顎をしゃくるだけでフィールドの方を差して見せる。
「お前の言いたいことはよく分かるが、まぁ見ていろ」
「見ていろって、梅野の奴、あんなあからさまに魔力の質量を上げて、対戦相手を殺す気があるとしか見えねぇっすよ!」
「だろうな」
「だろうなって……判っているんだったら
「だからこそ気になるだろ。数百人の編入試験生の中、現役だったミーア・獅子峰・ラグナージを除き、たった一人合格した編入生の実力が」
伊嶋を含め、それを聞いていた周囲の学院生達が目を丸くする。
昨日からの不真面目な授業態度に各教授共々頭を抱え、他の生徒達も呆気に取られていた。そんな生徒がどうしてこのクロノス学院に編入できたのか?牛崎の口調はまるでその事実を知っているようなものだと皆は感じ取っていた。
そしてそれは当たっている。と、外野の喧騒の中で牛崎にのみ聞き耳を立てていた俺は、内心の苛立ちを溜息へと織り交ぜ吐き出す。
(牛崎の野郎、監督官の一人として俺の試験を担当していたから嫌がらせかと思いきや、そういうことかよクソ……)
三月に行われた俺の編入試験、模擬戦闘を担当をした三人の教師のうちの一人、狐火の他に牛崎もいた。
当然、試験を担当したその三人だけには俺がどうやって試験を突破したかは知られている。
だからこそ疑っているのだろう。試験如きに本気すら出していなかった俺の本当の実力が如何ほどのものか。牛崎はそれを白日の下に晒そうとしているのだろう。
こっちは穏便にこの場を済ませようと思っていたのに、これじゃあ余計に迂闊なことはできない。照り付ける眩い白昼の光までもが不正を許さないと訴えているようで、さながら法廷にでも立たされた気分だ。
そんな被告人気分にげんなりしていると、喧騒の中でも良く響く甲高い声が響いてくる。
「早く倒しちゃってよ大祐!そんな雑魚が大した魔術なんて持っている訳ないわ」
聞き覚えのあるヒステリック交じりの女の声、昨日見た梅野の彼女、確か千野とか言った女子学院生が野次を飛ばしていた。彼氏に歯向かった憎き人物の公開処刑にやや興奮気味と言った様子らしいが、ほんの微かに漂う感情の揺れと双眸に宿る殺気。
疑惑が確信に変わる。
こいつ等やっぱり────
「この状況で余所見とは、随分と余裕だな」
思考が逸れたところに凶暴な横薙ぎの鞭がわき腹へめり込む。
「……っ」
受け身を取れないまま再び壁面に叩きつけられる。
やばい、完全に油断した。
何とか意識を奮い起こそうとするものの、グッタリとしたまま上手く力が入ってくれない。末端器官から徐々に冷たくなっていく身体。その内側から温かいものがドロドロと流れ出していた。どうやら血を失い過ぎたらしい。
適度に傷を負ってこの場を収めるつもりだったのに、求めていた答えをぶら下げられた瞬間飛びついてしまうなんて……な。
「死ね。狛戌一縷!!」
梅野が嬉々とした様子でトドメの魔術を奮う。
観客席より飛び出そうとする伊嶋。
千野が狂喜乱舞して金切り声を上げる異様な姿。
正常性バイアスによって楽観視されていた暴力が人殺しへと変貌する様に、周囲の学院生達もようやく事の重大さを認知して慄き始めている。
牛崎教授はただ黙って静観を貫いていた。
この
その億劫に耐え切れず、気怠い身体を投げ捨てて意識を手放そうとした俺の眼前、何者かが白昼の陽光を遮って立ち塞がる。
眼は霞んでほとんど見えなかったけど、己が血の鉄臭さに入り混じる、蕩けるようなバニラの香水。その馨しい香りで何とか意識を繋ぎと止めることができた。
「────こんなところでやられてしまう、そんな器じゃないでしょ?」
天使のように投げかけられた問いと、悪魔のように険のある魔力の波長。
その怒りに感化され、陽光の下に生まれたのは闇の擁壁。薄暗い暗幕の束が何層にも折り重なったそれは、襲い来る衝撃全てを無に返す。
「ミーア・獅子峰・ラグナージぃ……っっ!!」
「あら、先日ぶりね。どこかの会社の……えーと、名前なんて言ったかしら?別に興味ないけど」
「このっ、
確殺だった攻撃を防がれたことにより、梅野の憎悪の矛先が彼女へと向けられる。
ある理由から凶暴性の増していた彼の表情には、もう先ほどのような猫を被る余裕は霧散していた。
「それよりも牛崎教授、授業時間、もう過ぎていると思うのだけど」
ミーアの指摘した瞬間、六限目のチャペルの鐘が鳴る。
すなわちそれはイチル対梅野の模擬戦闘の終わりを示していた。
「…………今日の授業は終わりだ、負傷者は保健室に運べ。伊嶋、お前が連れていけ。他の者達は各自解散しろ、以上だ」
スモークブラックのサングラスレンズの下に表情を隠したまま、牛崎教授は静かにそう告げる。非現実に取り残されて学院生達はやや困惑気味だったが、徐々にその緊張の糸も解けていき、日常へと逃げ帰るよう講義室へと戻っていった。
「クソ……殺し損なったか……」
梅野も授業という大義名分を失い、不服気味にフィールドを去っていく。
「イチル!!大丈夫か!?おい、返事しろよ!!おい!!」
バカでかい声で駆け寄ってきた伊嶋が、ガシガシと無造作にイチルを抱き起す。
しかし、反応は帰ってこない。
身体は力なくグッタリとしており、肌から感じる熱もほとんど失われてしまっている。
「ちょっと血を流し過ぎね、あとは肉体的ダメージで気を失っているだけ、だからそんな泣きそうな顔しなくても大丈夫よ、伊嶋君」
「そ、そうか!全然大丈夫には聞こねぇけど、とにかく俺はコイツを早く狐火教授のところに連れていくからよ」
そう言って伊嶋は小柄なイチルの身体を小鳥でも持ち上げるように大事に抱え、その場を後にする。
「あと、そうだ。えーと、獅子峰、さん?」
「ミーアでいいわよ」
「じゃあミーア、ありがとな、友人を助けてくれて。コイツいま口きけないから俺が代わりに言っとくぜ、じゃあまたな!」
伊嶋が元気よくそれだけ言い残し、
裏表や忌憚なき性格に微笑んだのは一瞬、すぐにいつもの憂うような仏頂面となった彼女は、独り取り残されたフィールドの砂煙に向かって呟いた。
「────バカ。いくら秘密を隠すためとはいえ、それで死んでしまったら元も子もないじゃない……」
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