第18話
デートしましょ。
それは何か暗号か?それとも隠語……暗喩の可能性も……。
「おーいイチル、ボケッとしてどうしたんだ?」
肩を叩かれてハッと顔を上げると、そこには伊嶋が怪訝そうにこちらを覗き込んでいた。
ミーアの真意が分からず熟考し始めてから早一時間、今は各クラス合同で行う五、六時限目が執り行われている真っ最中だ。ここ第一体育館、通称、
フィールドは僅か数分であらゆる地形に入れ替え可能となっており、強化プラスチックの観客席のみを保護する大きな楕円形屋根の中央からは眩しい日差しが少々鬱陶しいほどの熱量で学院生達を照らしていた。もちろん、その中にはミーアの姿もある。
一足先にフィールド上の学院生全員を薙ぎ倒した彼女は、どこか上機嫌な様子で客席に腰掛けたまま両脚をプラプラと遊ばせていた。時折、演習の出番を待っている俺の方を向くと、なにやらニヤニヤと頬を緩ませてくるのだ。
「なんだよ、やっぱミーアのことが気になるのか?」
視線の先に彼女が居たことに気づいた伊嶋が妙な勘繰りをしてくる。
正直言うと鬱陶しいけど、ちょうど良かったので俺は悩んでいることを率直に聞いてみることにした。
「なぁ伊嶋、『デートしましょ』って言ってくる奴の心理で考えられることって何がある?」
「何言ってんだお前……?」
「いや判る。俺が馬鹿みたいな質問をしていることは自分が一番。けれども真面目な意見を聞かせてくれ。そんなことを聞いてくる奴が一体何を考えているかを」
もしかすると真面な女経験の皆無な俺の常識がズレているのかもしれない。そう思っての質問だったが、伊嶋はムスッと口をへの字に曲げたまま腕組をする。
「それはもう相手のことが好きと言っているようなものだろ」
他に何があるんだよ?
そう続けた伊嶋の言霊に触れたかのように、演習中のフィールドの方から爆発が巻き起こる。
空の陽光すら霞んでしまうような多種多様に魔術の明滅。
詠唱、手印、代価、各々のあらゆる方式によって花のように術式が咲き誇り、、捻じ曲げられた森羅万象、変幻自在の素材「魔力」が加わることで
ある者は魔力を媒介にする術式で「火」を生み出し、ある者は砂を水へと変質させる術式を魔力を用いて発動させている。
初等部で基本の魔術式を叩き込まれ、中等部で応用を学ぶという高等部一年生の学院生の実力は、一般人数人程度ではとても太刀打ちすることはできないだろう。
「だよなー……普通に考えればそれしかないよな……」
視線を
普通の相手なら俺だってここまで熟考はしなかった。
なんせ相手は
「まさかお前、あのミーアからそんな誘いを受けたとかじゃ────」
俺とミーアはそういう関係じゃない。
そう否定しようとした瞬間、再び模擬戦闘を繰り広げていた学院生の方から爆発が巻き起こった。
「残り三分だ。最後まで全力を尽くせ」
厳ついサングラスと短く刈り込んだソフトモヒカンが印象的な質実剛健のタフガイが、生徒達に発破をかける。
魔学使い同士における戦闘、通称、
噂では一兵卒から大佐まで登り詰めたという叩き上げからの言葉を受け、模擬戦を繰り広げていた学院生達の剣戟や魔術を振るう姿勢により一層の集中が芽生えていた。
中でも特に周囲の脚光を浴びていたのは先の衝突音を響かせた二人の人物。フィールド中央で今まさに激闘を繰り広げていた女子学院生達だった。
一人は魔力で生成した
その視線で追い切れない程の俊敏な動きと、男子顔負けの剣戟が特徴的だ。
それを迎え討つのは、こちらは聞き覚えのあった高笑いを大音声で響かせる人物だった。
「オーホッホッホッ!躱せるものなら躱してみなさいな!
金髪縦ロールの碧眼を持つクラスメイト『エルレリーチェ・ル・ラヴァンス』ことエルは、決して上品とは言え難い好戦的な哄笑と共に、特徴的な魔術『光翼』を大きく広げて魅せた。背部に備わった光り輝く天使の羽を連想させる
動けなくなった学院達に無数の斬撃降り注ぐ。
周囲数十メートル圏内に居た実践演習中の学院生達は、そのほとんどがエルの攻撃のとばっちりを喰らい、悲鳴と共にその場に倒れてしまう。まるで歩く
幸い
「うわぁ……マジかよ」
その様子を隣で見ていた伊嶋もさっきまでのことを忘れたかのように見入っていた。
観客席に居るほとんどの生徒が、少々不服気味に腰へと手を当てているエルの一人勝ちだと思い込んでいる。流石は忌み名『
「────ッ!」
緊張の糸がキレた観客席の雑踏音に紛れ、一人の少女が気配を殺したままフィールドを駆け抜ける。健康的な黒毛のポニーテールを一直線に、対象である
実戦における魔学には大きく分けて二つのタイプがいる。
先刻駆け出して行った女子学院生のような、自らの魔術で生成した武器や肉体強化を行う『
そして、エルのように周囲の魔力を自身の魔力や術式によって変化させる『
総じて前者は魔力量が少なくとも発動しやすく、
デメリットを上げるとするならば、その強化に心身が耐えられるかどうかだろう。要はドーピングと同じ。一メートルしかジャンプできない者が身体の状態や疲弊具合を無視して十メートル飛べるようにできてしまうのが
その点で言えば、先の女子学院生剣士は見た目こそ総身華奢で美しく健脚見事なスタイルであるものの、そうした見た目以上に身体を鍛えていることは制服の上からも十分判った。能力だけに固執しない心技体の揃った昔ながらのスタイル。嫌いじゃない。
対して後者はその規模が大きければ大きいほどに魔力消費量を必要とし、またそれを扱う技量も前者より遥かに難しいとされてい。特に違う点は身体外の魔力を操ることにある。
例えば誰しもが呼吸することで無意識下に酸素と二酸化炭素を選り分けているが、それを体外の空気中でやれと言われて出来る者はまずいないだろう。
ミーアやエルのやっていることはそれくらいの離れ業なのだ。
しかし、派手な大技も懐に入られてしまえば大型戦車の砲身と同じ、取り回しの効かない発動難易度によっては奇襲に対して圧倒的不利を強いられるのだ。
「獲ったぁッ!!!!」
完全に背後を捉えた少女が勝ちを確信して口の端を吊り上げた。
両者の実力は性能の違いこそあれど殆ど拮抗していた。その勝敗を分けたものが何か、答えは明白。最後の最後まで気を抜かなかった方の胆力、忍耐力。技術ではなく心の問題だろうな。
「えっ……?」
突き刺さった刃に少女は目を丸くする。
硬く鋭利な感触が黒毛の少女が持つ柔らかな胸元の隙間に入り込んでいた。
焼けるように熱くエストックのように鋭利で繊細な光刃。あと数センチ止まるのが遅ければ、心臓を一刺ししていたかと思うと額から生暖かい嫌な汗が滴った。
「あらゴメンナサイ。
エルは自身の魔術が奇襲に弱いことを十二分に
その自覚こそが彼女を戒める苦渋の味。
昨年敗れたミーア・獅子峰・ラグナージとの一戦。あの時も真っ正面からの攻防の末、勝敗を分けたのはミーアが密かに放っていた影の眷属による不意打ち。
だからこそ警戒は怠らなかった。確実に倒せたと認識するまでは。
そして、その彼女の認識は正しかった。
決着が着いたことで勝者の笑みと共に微笑んだエルに、女子学院生は残念そうな溜息で張り詰めていた緊張を緩めた。
「あーあ、惜しかったんだけどなぁ……やっぱりエルレリーチェさんにはまだまだ敵わないかぁ……」
「そんなことありませんわ『
二人は互いの栄光を称えながらフィールドを後にする。その善戦を称えるように自然と観客席の方からも拍手が沸き起こった。
可愛い少女同士だからこそ、スポ根系漫画の一シーンに見えなくもないのだけど、
「二人とも良い模擬戦だった」
健闘を称え合う二人のすぐ横で牛崎が手元の評価表を纏め上げていた。
その何気ない仕草にこの場にいる全員がぎょっとする。
一体いつの間にそこに居たのだろうか?
記憶が確かなら牛崎はさっきまでフィールド内の片隅に居たはずだが、エルの全方位攻撃に晒されて置きながら、着用しているスーツには皺どころか汗一滴と流していなかった。
「その……お言葉ですが牛崎教授。どうやって
エルなりのオブラートに包んだ言葉の真意に牛崎教授は気づかず、皺の深い強面の顔に怪訝な色を浮かべながら小首を傾げた。
「ただ避けただけだが?何かマズかったのか?流石の私も、君の攻撃を真面に受けたら一溜まりも無いからな。何か他に質問は?」
「い、いえ……ありませんわ」
違う、そうじゃない。
この場に居る全員が皆そう思っていた。
光の速度で放たれた攻撃をどうやって躱したのか、その過程をエルは聞いているのだ。
それをさぞ当たり前とばかりに返答されては、流石の彼女もそれ以上聞き返すことが出来なかったらしく、勝者に似つかない渋面でフィールドを後にしていく。
「さて、最後のグループが採点も終わったことだ。昨日サボった者達を採点する。今日の分も含めているから他の者達と違い決着が着くまでの時間無制限で採点する。名前を呼ばれた者はフィールドに降りろ」
「げ」
思わず顔が引き攣った。
先日、五、六限を完全にサボっていたから確実にここで名前を呼ばれるだろうな。
溜息を吐いた俺に『ドンマイ』と伊嶋が快活に笑う。
まあいいか、適当に流して終わらせて────
「じゃあまずは狛戌一縷、梅野大祐。二人共降りろ」
……マジか。
正直、耳を疑った。
よりにもよって先日イザコザを起こしたアイツとだと?
「今日はお前達で最後だ。とっとと降りてきて始めろ」
「はい、牛崎教授」
呼ばれたその人物はさぞ当たり前のように観客席の一角からフィールドへと歩いていく。同姓同名の違う人物を期待してみたがそんな偶然あるはずもなく、先日見た
肉食獣を想起させる細まった瞳孔が爛々と揺れ動いている。
あれ、やっぱりコイツ……まさか。
眼が合った瞬間に走る既視感のような感覚。尋常ならざる殺気を秘めた双眸にある種の直感が脳裏を掠めた。
「狛戌君だったかな。他の生徒達も待っている。さっそく始めようか」
自身に満ち溢れた笑みがぎこちなく口の端を歪める。
友好的な好青年を演じる奴から放たれた俺だけに判るメッセージ、形容し難い黒々とした憎悪の片鱗に人知れず嫌な汗が背中を濡らしていた。
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