第6話

 嵐のような一日だった。

 二人が他の学友達共々と出ていったあと、一人取り残された講義室の一角で物憂げに考えていた。

 普通に人と会話したのなんて一体いつ振りだろうか。

 俺にとって数年振りにできたまともな友人達、存外思っていたよりも学生生活というのも悪くない……のかもしれない。

 意志に反して漏れていた笑みに気づいて思わず眉間を抑える。

 俺としたことが、窓辺から差し込む夕日に蝕発されてそんな楽観的思考を抱いていたようだ。


「まとも……ね」


 一体いつからそんな定性的あいまいな物差しで人のことを見る様になったのだろう。

 仮に彼らがまともだとして、だったら俺はなんなのか。


「あーやめだやめだ」


 この手の考えは数年前に散々やっただろ。

 答えの無い自問自答は止め、次の予定に向けて帰ろうと腰を上げようとした。


「ちっ……」


 の方に届いた、たった一つの通知。

 こんな時間に鳴りやがった………本当は別の仕事へ向かおうと思ってたってのに、ホント空気が読めないな。

 おかげでこうしてゆっくりしていられる時間も無くなってしまった。


「────あら、もう帰ってしまうのかしら?」


「ッ……!」


 総身に張り巡らされた全ての神経が逆立つ。

 声だけで恐怖の念を抱いたのは、生まれてこのかた初めての経験かもしれない。


「ここに残っていたということはまだ時間はあるのでしょう?ねぇ、


 向けられた天使の微笑みと囁かれた小悪魔からの誘い。

 俺は意を決してゆっくりと相対する。


「ミーア・獅子峰・ラグナージ……」


 暁の狭間で星々のように輝く銀髪を優雅に払い、講義室の机にお行儀悪く坐する学年トップの才女。

 丁度俺と講義室の出口を塞ぐように小さな身体が行く手を阻んでいる。


「あら、今度はちゃんとわたくしの名を覚えてきたのね。偉いわ。褒めてあげる」


「そいつは、どうも……」


 朗々と宣言された少女の言葉に気圧されてしまい、思わずどもってしまう。

 一体何が目的なのか。

 まるで猫が気まぐれに見せる蠱惑的綻びを薄紅の唇に浮かべ、それを繊細な指先で宛がう姿は瞬きすら赦させない。

 この可憐かつしなやかな肢体の持ち主が、今朝の憤懣を浮かべていた人物と同じだとは到底思えなかった。

 動向が全く分からぬまま、滴る冷や汗すら拭えずに固まっていると、何故か不思議そうに牝猫は小首を傾げた。


「何をしているの?さっさと平伏なさいこの駄犬。このわたくしが正式に褒美の言葉を与えたというのにその態度は解せないわ。今ここで死んで謝るというなら特別に赦してあげないことも無いけど」


「あはは、冗談にしてはちょっと笑えないかな」


「当たり前じゃない、冗談で言っていないもの」


 OK。前言撤回。

 この女は今朝の気まぐれ腹黒幼女で間違いないな、うん。

 てか死んだら謝るもクソもないでしょ。


「さぁ、大人しくかしずきなさい。その額を床に擦り付け、今朝の無礼を詫びるなら────」


「嫌だね。第一俺が謝る義理なんてないだろ。わざわざ人の名前まで勝手に調べて……どんだけ執着してんだよこの気まぐれ腹黒幼女。それともそんなに俺に撫でられたのが気持ち良かったのか?なんならもう一度、ここで撫でてやろうか?


 本日合計四つ目の加重犯を決めつつ、溜まりに溜まった鬱憤をここぞとばかりに吐き出してやる。学年代表?元生徒会長?んなもん知るか。

 まさか反論してくるとはゆめゆめ思っていなかったのだろう、ミーアはブチリと白肌のこめかみに青筋を浮かべ、微笑みながら眉間をピクつかせる。誰が見てもブチギレ寸前といった表情だった。


「えぇ、わたくしに触れようなんてする愚か者は数年ぶりだったから非常に興味深い経験をさせてもらったわ。だから記念にその右腕を頂戴な。わたくしのお屋敷で剝製にして飾ってあげる。『愚か者の末路』って題名でね。手足の一本や二本なら再生費用くらい出してあげないこともないわ」


「猟奇的な趣味だな。金持ちご令嬢の道楽美的センスは常人の俺には理解できないな」


 たしかに状態にはよるものの、今世の医療技術に装置金さえ掛ければ身体欠損ならどうにかなってしまう。しかしだからといってハイどうぞと差し出せるはずがない。

 けれどこの女の眼はどうだ。あらゆる赤を凌駕する深紅の眼差しは、それを本気で言っているようにしかみえない。

 こんなイカレた女とは付き合いきれない……俺はバッグを机に置いたまま立ち上がる。


わたくしの許可も得ずにどこに行こうとしているのかしら?」


「どこって帰るんだよ。下校の洋鐘はとっくになっただろ」


 当然、講義室出口への行く手をミーアが塞ぐ。

 見下ろす程の小さな体躯のはずなのに、たったそれだけの動作でこの百人近く動員できる講義室全てを掌握するほど大きく見えた。

 これは、決して錯覚じゃない。

 ミーアから発せられた魔力がこの場を支配しているんだ。

 それも、常人が保つことのできる量の数十倍、いや数百倍を超えてなお底を感じさせない重厚的魔力の質量。

 どうやら本気で俺を逃がさないつもりらしい。


「何が目的だ。俺のようなぎりぎりで編入した底辺学生にたかるほど、学年首位様は器が小さいわけじゃ────」


「おい駄犬、何度言ったら分かるのかしら。わたくしのことを敬称略称の単位で呼ぶな。わたくしにはミーアという大事な名前があるの。ちゃんと名前で呼びなさい」


「いや、お前だって俺のこと駄犬って────」


「言い訳しない。それにわたくしは良いの。寧ろ認知してもらっただけありがたいと思いなさい。生徒の中にはわたくしに名前を呼ばれただけでお金を払うこともあるくらい名誉なことなのだから」


「へぇへぇ、ソレハヨカッタデスネ。じゃ、俺は予定があるから帰らせてもらいますわ」


 まるで子供の我儘、これじゃあ年下のリアの方がよっぽど大人に見える。


「待ちなさい……本当は、その……貴方にお願いしたいことがあって来たの」


 横を通り過ぎた俺の脚が止まる。

 これまどの戯言とは明らかに一線を画した本心を曝け出す言葉の響き。

 今朝からの出会いも含めて初めてミーアの口から零れたお願いに、不思議と後ろ髪を引かれ、俺の脚が意志に反して立ち止まってしまう。


「なんだよ、優等生様が改まって気味悪いな。俺なんかに頼まなくとも適任はごまんといるだろう」


「いいえ、貴方しかいない。わたくしの本気を軽く往なしてしまう実力者は、この学院においても貴方しか………」

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