英海軍の蠢動
欧州で枢軸国上層部に新型戦車の情報が渡った頃、エジプトではファールーク1世がサウジアラビアに亡命。
枢軸軍の後援を受けた自由将校団は独立と共和制成立を宣言。
宣言を受け枢軸国の間では国家承認が相次ぎ、独伊ではロンメル軍団の北アフリカからの撤収と地中海におけるイタリアの覇権が再確認された。
補給部隊を除いた現地は残留を希望したが、ロンメルの影響力を恐れるイタリアと対ソ戦で余裕の無いドイツの意思は固く、中南部で激戦が続く中8月に惜しまれつつ撤退。
シナイ半島を保持する英軍とイタリア・エジプト連合軍は対峙する事になったが、ロンメル軍団は去ったとはいえ東地中海の制海権を手にした事もあり同半島の海岸沿いを制圧化に置き西進を許す事はなかった。
海上からの支援火力の有無と地元住民の動向が趨勢に重要な影響を及ぼす点は範囲、規模こそ違えどバルカン戦役と全く同様で、スエズを境に両軍の勢いは逆転していた。
英海軍は東地中海から叩き出されたとはいえエジプト=スーダンでは戦闘が未だに続いており、紅海以南における英海軍の活動は活発で、アレキサンドリアから脱出した地中海艦隊はケニアのキリンディニに再配置されていた。
東アフリカのイタリア軍は旧領回復に精一杯で侵攻の余裕は無く、英国本土ではチャーチルがスエズ奪還を命令していた事や潜水艦及びノルウェーからの空襲でスカバフローが安全でなくなった事、不穏な動きを見せる日本に対する圧力としても使う為に地中海艦隊の受け入れは出来なかったのである。
それどころか本国は増援としてレパルスを回航させて来た。
これはシンガポール防衛の為R級戦艦を派遣させる計画に基づいた物だったが、イタリアにとっては疫病神以外の何者でもなかった。
中東軍ではイタリア占領下のソマリア〜ヴィシー政権側のマダガスカル間の連絡寸断と英国からインド、豪州方面へのシーレーン維持の為マダガスカル島攻略作戦が立案された。
だが枢軸軍の本格的な妨害を受けずにソ連を援助する為、イラン進駐が優先される事になり低速のラミリーズを残してレパルスが加わった東洋艦隊もその支援に駆り出された。
牽制の為ジブラルタルを拠点とするH部隊が本国からプリンス・オブ・ウェールズ他の増援を受けてイタリア本土攻撃に出撃。
航空偵察やスペインからの情報で本国艦隊が手薄になった事を知ったドイツは艦尾を改修中のビスマルクと4月に損傷したティルピッツの復帰を急がせた。
英国近海ではフッド、レナウン、リヴェンジ、ロドニー等が活動していたが、英海軍がイタリア海軍他相手に戦力を分散させているうちに減殺しておきたかったのである。
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