戦車パニック
枢軸軍が新型ソ連戦車に初めて遭遇したのは6月27日の事だった。
ラトビアのリガに現れたそれは、たった一両だけだったが歩兵の装備する対戦車砲の攻撃を意に介さず、戦線の後方を荒らし回った。
15kmも侵入された挙げ句、100㍉砲で後部を射撃して漸く動きを止める事が出来た。
月が変わる頃には戦線のあちこちでこのような手痛い歓迎を受ける事になる。
ソ連随一の重工業地帯を有するウクライナではT-28、35等の多砲塔戦車やT-34、KV1、KV2重戦車等機甲戦力が特に豊富で激しい抵抗を続けていた。
フィンランドから提供された多砲塔戦車に対しては先手を取れば火力と防御力のほぼ等しい短砲身のⅢ、Ⅳ号戦車なら機動力で翻弄しつつ死角から撃破出来たがT-34やKV1、KV2は高射砲や榴弾砲の水平射撃以外ではアウトレンジ出来なかった。
主に南方方面軍に配備されたF2型もT-34以外にアウトレンジされるのは従来の戦車と同様だったが勇気と犠牲、幸運に連携が必要とはいえ火力だけなら500m以下でT-34やKVシリーズも正面撃破可能であった。
習熟する時間、そもそもの数、射程が足りなかったがKVシリーズをどこからでも撃破出来、自走可能な唯一の兵器として生き残った兵士達からF2型は重宝され、前線は装甲増厚やクレタ島作戦以降配備され始めた成形炸薬弾の増産と共にⅣ号戦車をF2へ更新するよう求め、上記を纏めた観戦武官の技術レポートにイタリア軍は衝撃を受けた。
最新の戦車であるP40/26は重量が今まで生産していた戦車を超えていた為、機関車製造工場を転用する等生産が遅遅として進まなかったが、ドイツ側に対し34年に制式化した75㍉高射砲の提供と引き換えにⅣ号戦車の生産工場視察を要求した。
元々の生産能力が低く需要に応えられなかったのである。
ドイツ側の応諾を得たイタリアはP40をとりあえず火力と傾斜はそのままに装甲を60㍉に増圧して対処を図った。
試作車の実戦投入も検討されたがそもそも部品が少なく、製造が簡単かつ安価で部品が普及している自走砲を派遣した方が良いという意見が多数を占め立ち消えとなった。
前年末に実施されたM15に90㍉砲を搭載する試験は車体延長が必要だが可能と判定され、損傷した車両を充てる事で解決した。
延長された車体はM41と呼ばれ搭載砲口径と合わせてセモヴェンテM41 M da 90/53と名付けられ、4月から量産が開始されていたが報告が届くまで練成中だった為実戦はアフリカではなくロシアの地で経験する事になる。
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