大戦突入編

 39年3月、ドイツがチェコを保護国化するとムッソリーニはアルバニア侵攻を目論んだが、主要貿易相手の米国が民族自決に反すると反発。


 ミュンヘン会談以後アメリカは枢軸陣営に冷淡になっていたのである。


 国内では財界から開所したばかりのタラント製鉄所他でトラクターを生産、農林10号と組み合わせて農業大規模化を推進し、南北問題を緩和すべしとの声や陸海軍が戦力の回復、増強が終わっていないと参戦に消極的でヴロラ湾への駐留を認めさせるに留まった。


 財界の主張する根拠の一つである粗鋼生産量を見てみるとドイツからの製鉄技術導入と増設の効果は明らかで、4月1日時点の生産量は前年度の倍を記録。


 ドイツから鉄鉱石の輸入が途絶える等何も起きなければ一年間で独の1/10、米国の1/7、英の7割は生産可能だった。


 マレンマ地方や対岸のエルバ島等イタリア中部から産出する鉄鉱石だけでは旺盛な需要を賄いきれなかったのである。


 ただムッソリーニが侵攻するか否か迷っていた4月頃からドイツの石油購入量が増加。


 長砲身の47㍉砲と空冷ディーゼルを搭載したM15が採用された頃ドイツは英独海軍協定を破棄。


 きな臭くなってきた頃スペイン内戦で88㍉高射砲が成果を挙げた事から開発していた90㍉高射砲を採用。


 8月、墜落事故を乗り越えDB601を搭載したMC.200が運用を開始した頃独ソ不可侵条約が締結され、防共協定は死文化した。


 英国がポーランドの独立は保障されたと発言した後、イタリアと米国がドイツとポーランドや英仏を仲介しようとしたが失敗し運命の9月1日を迎えたのである。


 開戦を知ったムッソリーニは絶望した。


 イオン交換膜で水や製塩に革命が起き、アフリカの植民地経営が楽になり輸入に頼っていた小麦も農林10号が広まれば漸く自給出来ると思っていた所にドイツが英仏と開戦である。


 ミュンヘン会談時の個人的栄光も吹き飛び、軍事面では陸は34年に採用した山砲の一線部隊へ配備が終わったばかりで昨年採用された43.4口径47㍉対戦車砲は全体の1割にしか配備されておらず、戦車も高射砲も生産されたばかりでまだ習熟していない。


 海軍は燃料は大丈夫だがヴィットリオ・ヴェネトの改装は来年までかかるとの事。


 空軍は主力のCR42が英空軍のグラディエーター以外には苦戦する見通しと戦える態勢ではなかったのである。


 ムッソリーニの対独感情がドルフース暗殺時並みに低下。


 程度の差こそあれ他のファシスト達も同様だった。

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