一騎当千・男らの意地・そして鉄板包み焼き

今井士郎

本章

 行進と言うには陰気で、一歩一歩がバラバラな歩みで、隊列は進んでいく。開けた地形。五列縦隊。俺は右端列の後半あたり。中央列が歩く、ほんの二メートル左は道の上だというのに、俺の足元は乱雑な下生えが散らかっている。

 履き物は金属製だ。下生えで穴が空くだの、痛い思いをするだのと言ったことはない。しかし、ただただ歩きにくい。金属全身甲冑フルプレートメイルなんてクソ重いものを着た上に、剣と大型盾タワーシールドの完全武装だ。ほんの少しの凹凸を踏み越えるのが、億劫で仕方ない。

 帰り道があるかが甚だ怪しいことを考えれば、なおさらだ。


 冒険者と呼ばれる存在がいる。

 モンスターを退治し、ダンジョンを踏破し、時には人間同士の戦にも参加する。

 多くの場合、冒険者は異様な速度で戦闘能力が向上する。兵士が訓練して強くなるのとは、根本的なペースが違う。中堅の冒険者ともなると農民や町人はおろか、俺たちのような一般の兵士とも一線を画す力を持つようになり、……まぁ、一種のバケモノだ。一般的な冒険者であれば、完全武装の兵士が十人もかかれば、なんとか取り押さえられることが多いだろう。しかし、一部の上澄みになってくると、倍の人数がいたところでどうにかできるものではない。

 考えてもみて欲しい。中堅の冒険者でも、全力を出せば金属甲冑プレートメイルに剣で穴を開けるのだ。そして、金属甲冑を一撃で「斬り裂く」ことができるようになった存在を、何人かかれば止められる? そもそも、兵士を二十人揃えたところで、人間のサイズしかない相手に、二十人が同時に飛びかかれる訳ではないのだ。向こうは一対三だか一対五だかを、立ち上がる敵がいなくなるまで続ければ良い。異様に発達したスタミナにものを言わせながら。


 ここまでわざとらしく説明すれば、察しは付くだろうか。そう。俺たちは土地の領主に仕える、対冒険者部隊だ。

 今回行軍しているのは、合わせて一千人。

 街に侵入しようとしている、たった一人の魔法使いを迎え撃つための進軍だ。

 魔法使いの名は、ポエナ。まだ若い女で、しかし腕利きの魔法使いらしい。領主であるアルノーによると、そいつは俺たちの土地を使った邪龍復活を目論んでいるらしい。とんでもないことだ。誇りある騎士サマとは違うが、俺だって街のことは嫌いではない。邪龍なんぞに潰されるのは気に入らない。

 邪龍も恐いし冒険者も恐い。しかし、この立場のおかげで、日頃無駄飯食いをできたのだ。これまでのメシの分は、働こうじゃないか。

 身分が低い男たちの一団が、異様に上等な装備に身を包み、一人の女を殺すために進んでいる。


 一対一千という人数からも分かる通り、俺たち一人一人は捨て駒と言ってもいい立場だ。戦略は、数にものを言わせて押し包み、間合いを詰め、相手を疲れさせ、押し潰して殺すこと。

 そんな俺たちが、高価な装備でガチガチに身を固めているのは、そうしないと捨て駒にもならないからだ。

 風を起こす魔法は、魔法使い的にはあまり消耗しないらしい。それで石礫いしつぶてを飛ばしたら、数百の兵士が一発で戦闘不能になった事件があった。金属鎧なら、その程度の攻撃は跳ね返すことができる。炎や雷の魔法は、風の魔法より疲れるらしい。それならば、数で押すことで疲労させられるかもしれない。そうでもしないと、腕利きの冒険者には勝てない。

 領主は、安い装備で使い潰す一万人を集めるより、高い装備で一千人を使い潰す方がまだ現実的だと判断したのだ。当たり前だ。一万人も使い潰したら、国が傾く。一千人でも、所領が傾くには充分過ぎるだろうが。


 ふと、列の動きが止まった。

 先頭で隊長が何かを言っている声がする。ここまで聞こえるということはかなり大声なのだろう。しかし中身は全く聞き取れないし、他の声も聞こえないので会話なのか号令なのかも分からない。しかし。

「うおおおおおおお!!」

 前方から上がる鬨の声。隊列に伝播する。俺も声をあげる。

「うおおおおおおお!!」

 これは、つまり。

 戦闘開始。


 兜のバイザーを下ろした俺は、隊列から逃げ出すように、小走りに動き始めた。

 前も後ろも、俺と同じように動いている。

 もしも上から見たならば、五本の縦隊だった隊列が十五本になり二十本になり、放射状に広がっているのが見えたはずだ。

 目標を押し包む。取り囲み、少しでも数の有利を。そして、敵を逃がさない。

 味方の姿の向こうに、敵は見えない。列が移動した経路から見て、敵に一番近い味方は、敵から十メートルくらいだろうか。

 二十秒足らずの移動で、隊列は放射状に広がりきった。各々が体の前に盾を構える。包囲は完成した。ここからは圧倒的な戦力差のある地獄の前線と、地獄行きの順番待ちだ。

 列が前に動く。包囲網が狭まっている。敵への圧力が高まる。

 前線から聞こえる鬨の声は途切れない。いや、悲鳴も混じっているのだろうか。

 バイザー越しの粗悪な視界に、前線の様子は見えてこない。

 じりじりと歩く。列が進む。味方の背中しか見えない。

「おらおらおら!」

「いけいけ!」

「潰せ!」

「殺せ!」

 前から後ろから、様々な声が聞こえる。

 本心からの叫びもあれば、恐怖を押し殺すための声もあっただろう。

「どこだ!?」

 俺も、今の本心を叫ぶ。自分のこれは、兜の中で響き渡った。

 敵はどこだ。俺たちはどこまで戦えている。


 声は止まない。敵は倒れていない。

 列は止まらない。俺は死に歩み寄っている。


 足元に、倒れた金属鎧の兵士がいた。味方だ。

 すぐそこに敵がいる!?

 しかし、味方の背中は、俺の前にまだいくつも見える。

 誰が誰かは、皆が鎧を着込んでいるせいで分からない。

 ヨハンはどこだろう。先週のカードの負けを払って欲しければ、俺が死ぬと困るはずだぞ。

 テオドールは無事だろうか。あいつなら、冒険者とも少しだけ良い勝負ができるかもしれない。だとしたら、後方に控えて少しでも疲労した冒険者に当たるのがよいのか。

 生死も分からない仲間の体を避け、時には鎧を踏み越えながら進む。

 どうやら、敵は移動している?

 鬨の声は、俺から見てまだ前方。

 息が上がる。暑い。

 ……暑い?

 鎧の中の鉄臭い空気が、体を動かした体温で温まったレベルではない。

 バイザー越しに吸い込む空気が熱いようだ。

 熱された仲間の鎧が、空気を温めているから。

 倒れている奴らの鎧は、熱いのだ。炎系の魔法にやられたらしい。

 派手な火柱は見えないが……?

「あっつ! うわああああ!」

 ついに、言葉としての悲鳴が聞こえた。俺から三人分前方。

 そいつの肩越しに敵を探した。


 いた。


 小柄な女。動きにくそうなローブや三角帽子を被るでもなく、パンツルックの軽装の旅姿に、短杖ワンドだけを振り回す短い赤毛。

 ポエナだ。

 女の向こうでは、鎧の兵士が炎上している。火球ファイアボール? しかし、火球はあんな風に、鎧を継続的に炎上させることができる魔法だったろうか。鎧にぶつければ程なくかき消えるものではなかったか。

 懸命に歩み寄る味方たちも間合いを押しつぶすことは叶わず、常に半径数メートルの空間を確保されてしまっているようだ。

「潰せ潰せ! 盾突き出せ!」

 前線に到達してしまった焦りに乗せて、俺も叫ぶ。

 炎魔法で、鎧そのものは燃えない。鎧越しにダメージがあるとすれば熱だ。盾を挟めば、致命的な熱を浴びるまで、数秒は余計に稼ぐことができる、はずだ。

 組み伏せられれば。

 向こうにも余裕はないようだ。持ち物がいくつか、ぽろぽろと落ちている。小石サイズの宝石だろうか。魔法使いの持ち物なら、安いものではなかろうに。

 俺たちは確かに戦えている。勝つ。勝つしかないのだ。

 しかし、閃光。

 俺たちとは別の方向に、包囲網の穴が空く。十人からが倒れている。あの痙攣、雷の魔法か。

 包囲の空いた方向に、ポエナが逃げる。

 肩で息をしているのが見て取れる。

 すでに半数近くの仲間が倒されているはずだ。これだけの魔法の連発。向こうも苦しいのだ。畳みかけろ!

 ポエナは俺に背中を見せている。短杖が指し示す先の兵士の鎧が、またも炎上する。

 火球ファイアボールではない。もっとヤバい魔法だ。

 しかも詠唱なし。魔法は二文から三文からなる詠唱をしてようやく発動するんじゃないのかよ! 部隊で受けた座学の内容を思い出す。上位冒険者は、ひと単語で発動できるようになるとも、確かに聞いていたが。強い側が勝手にハンデを広げるな。ふざけるな。

 俺は、仲間に当たらないように祈りながら、しかしろくな狙いも付けず、持っていた剣を投げつけた。緩く回転しながら、剣が飛ぶ。どうなったかも見ずに、倒れた仲間から代わりの剣を拝借する。

 どうなった!?

 顔を上げたら、こちらを振り向いた女と目が合っていた。表情には疲れと焦り、そして、怯え?

 美しい女だった。笑っていたら、それが自分に向いたものだったら、ついでにあと五つ程度歳を重ねていたら、どんなに素晴らしかっただろうか。

 女の肩から出血している。手傷を負わせた! 恐怖と興奮で、微かに身が震えた。

 組み伏せてやる。絶対に、俺の体の下に組み敷いてやる。

 先ほどまでとは別種の熱情が湧くのを感じる。

 俺とポエナの間には、もはや誰もいない。

 数秒後には、どちらかが、基本的には俺が、倒れていることだろう。

 そんなことがあってたまるか!

 俺は走り出した。

 振り下ろす剣が、突き出す盾が間に合えと祈りながら。

 盾で視界を隠すことはしなかった。相手の姿が見えなくなるから。

 ……女の顔が、見えなくなってしまうから。


 女は、戦闘中としては長い長い息を一つ吐き、短杖ワンドを横に一回転させた。包囲する俺たちを一通り指し示すように。

 ポエナの口がなにごとか動いた。ひと単語ではない。早口に、何かを唱えている。

 剣を振り下ろす。半身を開く形に避けられた。

 盾で胸元を突き飛ばす。手応えあり。華奢な女の体を吹き飛ばす感触がある。

 やった!

 敵の体は宙に浮いている。もう一押しだ。

 そう思いつつ目を離せなかったポエナの口が、さらに動いた。


 炎嵐ファイアストーム


 魔法も読唇術も使えない俺が、その単語を知ることはなかった。

 一瞬で視界が真っ赤に染まり、三秒後に鎧越しの熱を感じ始めた。五秒後に「熱を感じる」は「熱い」に変わり、八秒後には立って居られなくなった。

 転げ回り、肉が焼け始めたことに気付いたのが十三秒後だったのか、気を失ったのが何秒後だったか、そんなことは知る由もない。


 もちろん、俺が命を落としたのが何秒後だったのかも。

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