第7話 休日の個人調査

 雑居ビル脱出から一夜明けて。


 朝食を軽く済ませた文孝は自宅のマンションで椅子に座りスマホで検索をかけていた。

 昨日のビルの一部崩落について調べる為だ。あんなに壊れるのは可笑しいと疑問に思えて仕方が無かった。しかし考えてみても原因は工事が不十分だったとしか結論が出ない。そこであのビル内で見知った事、気になる事をワードにしインターネットで検索して何かがヒットすればそのページを見ればいいと思った。

 ――見知ってきた幾つかの気になる点が建造物崩壊に繋がっているのなら、ネットで噂位にはなっているかもしれない。些細なブログの一言でもいいから何か無いだろうか。

 そう頭の中で考えつつワードを打ちこんでいく。

・マネキン 崩壊

 壊れたマネキンをどうすればいいかなどの情報はあったが、それが建物の崩壊に繋がるという見方は見当たらない。

「次だ」

 新たなワードを打ちこみ検索をかける。

・植木鉢 本 植える

 植木鉢に本を植える、一見してありえ無さそうなこのワードは何処かのサイトやブログに引っかかるだろうか……しかもそれが建物の崩壊に繋げられる明確な根拠を持った情報に引っかかるだろうか……。そう思って表示された検索結果を見る。

「ん」

 とある店のホームページを見つけた。

 ざっと見てみると、単なる飲食物の提供に留まらず訪れる人々の話を店員が聞いたり或いはたまたま同じ時間そこに居合わせた人々と自分が歩んできた半生を語り合う場所として店は運営されているらしい事が見て取れた。そして口で言うのに抵抗がある人は、紙に文字を書き起こしてそれを持って店員と共に裏庭に出て埋めるという事もやっているらしい。自分の思いが文字として、時間をかけて大地に分解、地球に循環される気になれるかららしい。

「うーん」

 店の写真が載っていたので見てみると全体的に木で出来た店内で、大きなテーブル席を埋める人々が和やかにお茶を飲みながら話している様子が写っている。特に怪しそうな雰囲気は無い。

「今日は……やっているみたいだな。そんなに遠くないし行ってみるか」

 その店のホームページ以外にも、幾つかヒットしたものを見てみたがあまり要領を得なかった。スマホのメモ帳アプリを起動し今日のやるべき行動として、記録する。

 三度検索をかけようとする。ワードはこれだ。

・亀裂 ジオラマ 崩壊

「さて、これはどうだ」

 ワードを打って検索する。何件かヒットしたものの、文孝の納得のいく情報ではなかった。

「駄目か――」

 しかし中々すっぱりと諦めがつかなかった。あのジオラマの置いてあった部屋に入った瞬間、言いようの無い感覚が起きた。そして壁を見回すとあの亀裂があった。見ていると引き寄せられるようなあの亀裂だ。あの部屋が普通ではないのは確かだと考えている。そして部屋に存在していたモノを単語として並べれば何かが解ると考えて検索しているがこれまた中々要領を得ない。亀裂とジオラマが崩壊に繋がる情報も、奇妙な感覚を引き起こすといった記述も見当たらなさそうだった。

 深いため息をつく。

 ネットで解らないならあの雑居ビルを調べていた行政機関に聞いてみるしかない。文孝は席を立って一つ大きく伸びをした。自分だけで他に誰も居ない一人暮らしの部屋に、文孝の体の何処かの骨が立てた音が響いた。

 外出用の服に着替えて外に出る。ネットで見たあの店に行こうとマンションの階段を降りて行った。



 道行く先で、所々咲き誇る桜の花の花びらに目線が移りながらもスマホに表示させたマップを頼りに目当ての店に辿り着く。主に木で出来た喫茶店の様で、入口付近には可愛らしい花が咲いていて訪れる人を出迎えてくれる。

 扉の前に立ち、少し様子を伺う。

「ん――」

 ここは一部崩落したビルの中にあったモノと、似たようなモノを有していると言っていい建物の入り口だ。何か不可思議な所は無いか、特にあの奇妙な感覚はしないかと視線を彷徨わせる。しかし特に特筆するべき点が無いのでとりあえず入ってみる事にする。

 時刻は午前11時30分になろうとしている。店の扉を開けるとチリンと鈴の音が小さくなった。

「いらっしゃいませ」

 愛想の良い40歳位のおばさんが出迎えてくれる。店内の半分以上の席は埋まっており、文孝は隅に近い二人掛け用の席に案内された。席に座り、運ばれてきたお冷を口にしつつ辺りを観察する。

 大きめのテーブルには老若男女混ぜ合わさった客層が、紙に何かを書いたり話をしあっている。お互いを労う様で全体的な雰囲気は悪くなさそうだ。他の小さなテーブル席の幾つかにはエプロンをかけた店員が何処かからか椅子を持ってきて傍に座り客の話を聞いている。相槌を打ちながらテーブルに置かれた紙を指さしながら意見の交換をしていた。カウンターでは世の中の情勢や個人の将来についてなどで談笑の花が咲いている。

 天井を見れば幾つもの手作りと思われるランプがぶら下がっており柔らかな光を店に投げかけている。耳にはあまり気にならない程度に穏やかな音楽が流れてくる。

「あの、すみません」

 文孝は自分が注文したお茶を運んできてくれた店員に向かって聞くことにした。

「つい昨日、とある雑居ビルで崩落事故があったのですが何があったのか心当たりはありませんか?」

 本当は植木鉢、つまり土に何かを埋める行為は周囲のモノを破壊させる事に繋がったりしますかと聞きたかった。しかし店内の談話や労いに満ちたこの空間で、店の醍醐味の一つである紙を裏庭に埋めるという行為は危ない事になるのではないですかとは聞きにくかった。

 店員はきょとんしながらも返答した。

「いえ、特に心当たりはございませんが。何か相談事があるならお聞きしますよ」

 文孝は逡巡した。一部とはいえ崩れてしまったビルの中に共通していた事があったので、手掛かりを探していますと正直に言っても望む結果になりそうにない。今面と向かって話しているこの女性の店員は物騒な事とは無縁に見える。自分が今ここで話をした所で、ビルの因果関係を解き明かしてくれるとは思えない。そして悪い場合、紙に書き出しそれを大地に還すという店の行いに嫌疑をかけてくれるかもしれない。

「あ――……いえ。ちょっと自分に長年抱えてきたコンプレックスみたいのがあって。それを紙に書いてお店の裏庭、でしたっけ? そこに植えさせてもらえたら気持ちが楽になりそうだからそうさせてもらえばなって」

 この店に沿うならばせめてそう言うしかなかった。

 店員は快く承諾し特製の紙を一枚持ってきてくれた。分解されやすく自然に早く還りそうだ。店員が離れていった後、熱いお茶をちびちびと飲みながら店員が貸してくれたペンを貰った紙の上に走らせていく。

「――よし」

 他の生徒に比べて感じている劣等感を、けっこう偉大そうな祖父の血が流れていると再確認し続ける事でカバーしてきましたといった類の事が書かれた紙を持つ。お茶の味は悪くなく、体が温まってくる。文孝は店員を呼び、紙を持って店の裏庭に連れて行ってもらった。

 結構な広さのスペースには只土の面が見えているのみだ。肥沃な土壌そうで自分のコンプレックスさえも受け止め分解してくれそうだ。

「ここら辺にどうぞ」

 店員に指示された場所に、貸し出されたシャベルで小さな穴を掘りそこに持ってきた一枚の紙を入れる。そして土を被せて埋めた。

「……」

 しゃがみつつ、何となく手を合わせて目を閉じた。

 ――自分が抱えていた負担が軽くなった気がした。

 思い出した様に背後を振り返る。何か崩壊に繋がる事は無いかと辺りに目を走らせる。しかし平穏な昼時の喫茶店が只立っているのみである。

「どうかされましたか?」

「あ、いえ。何となく心が軽くなった気がします。有難うございました」

 そうお礼を言って会計に向かった。



 文孝は商店街を歩く。

 崩れた柱状のモニュメントは撤去されている。今もその辺りに集まって何事かを話し合う人々の群れをすり抜けて歩いて行く。

 とある店のショーウインドウの前で立ち止まった。中でポーズをとっているマネキンを見つめる。

「……」

 視線を注いでいても対象に変化は無い。歩を進めウインドウに鼻を近づけてクンクンと嗅覚を働かせてみる。特に変わった匂いはしない。あまり探るようにウインドウに食いついていると不審に思われるので移動を再開する。

 モニュメントが壊れた事で興味を惹いたのか、昨日よりも多い通行人を避けつつ目当ての場所に辿り着く。

 昨日の雑居ビルだ。入口付近に進入禁止のテープが張られている。その前に立っていた行政職員に崩壊の原因を聞いてみても調査中です、近寄らない様にの一言で終わりだった。代わりに近くで雑居ビルの写真を撮っていた赤い帽子の男性を見つけたのでその人に近づく。

「こんにちは」

「ん? おお君か」

 赤い帽子の男性はカメラを下ろして向き直った。文孝は雑居ビル一部崩壊の原因を聞いてみた所納得する説を聞くことが出来た。

「僕が色々聞きまわった所によると、一番有力なのは新種の薬品が内部で撒かれたんじゃないかって話だったんだ。液体、気体、何でもいい。それらが建物内に染み込んで、結合していたビル内のあらゆる物質を解体する様な働きをしたんじゃないかという事」

 文孝はそれを聞いて自分の中で合点がいった。

「そうか、それならあり得る話ですね。地震大国の日本は建物がしっかりしている。誰かが強力な劇薬でも散布しない限り崩壊なんて事にはなりそうにないですもんね! そうか、薬品か――。考えつかなかったなあ。――ん?」

 当然の疑問に行き着く。

「誰が薬品を撒いたんですか?」

「まあ薬品と決まったわけではないけど今の所それしか考えられないんだよな。行政はビル内の企業関係者を調べている。後、ビルに近づいた不審な人物がいないかもね」

 赤い帽子の男性は細い目を更に細くして文孝を真正面から見た。少しふっくらとした、エビスを思わせる柔和な笑顔だ。空気を読んだ文孝はさっと血の気が引いた。

「お、俺は違います。あのビルには子猫が入っていたから助けようとして――」

「はっはっはっ。疑っちゃいないさ。その当時に限れば事情は僕がよく知っている。それにビルのガタつきは昨日丁度から始まったわけじゃないみたいだし。周りにも君を疑っている人はいないと思うよ」

 赤い帽子の男性はそう言って笑った。ほっとする文孝。

「はは……良かったです」

「多分ね」

 急に笑うのをやめて真顔でそう言う赤い帽子の男。文孝も思わず顔をひきつらせた。

 嫌な空気が両者の間に流れるのも束の間。

「はっはっはっ。何てね、冗談だよ、気にしないで生徒は勉学に励みたまえ。小さな命を救った勇敢も勇敢、将来有望な男子高校生よ」

 赤い帽子の男性はそう再び笑い声を轟かせながら、縁起の良さそうな笑みで目を細くしながら、文孝の肩をパンパンと叩くのであった。



 翌日。

 登校しいつもの教室の空気に触れると何処か安心する文孝。やはり心の何処かで崩壊からの脱出という危機感を味わった事は尾を引いていたらしい。

 自分の席について授業の用意をする。祖父譲りの眼鏡をそっと机に置く。

「おう、深野」

「ん、ああ小山」

 そう挨拶し合い、近くの席に座った小山と今話題のニュースについて脈絡もなく話し始める。室内に集まってきた生徒達の会話が集まり、朝のホームルーム前の騒がしさが起こるのは恒例だ。やがて入ってきた担任によって徐々に静けさが訪れ、本格的な授業への態度に切り替わってゆく。

 流れ始める授業科目。そこにクラスメイト皆と一緒に身を置くことで何処かほっとする心持ちの文孝。

 ――。

 昼休みになり小山と購買に出かけ、目当てのモノが無く二人とも少しガックリしながら教室に戻る途中。小山が休日は何をしていたかと話題を振ってきたので、少し迷いながらも子猫を追って雑居ビル内に入った事を話した。

「そのビル内が中がボロボロでさ。色々苦労しながらも何とか歪んだドアを無理にこじ開けて脱出したんだよ」

「すげえなお前。俺が新たな出会いを探すために街を繰り出しつつも結局収穫無しで仕方なくゲーセンに行って時間を潰してた時に、お前そんな命かかってたかもしれない事してたのか」

 目を丸くして驚く小山に苦笑しつつ、しかし何処か誇らしげに話す文孝。

「はは、実はそうだったんだよ。で、凄い気になる事なんだけど。変な、嗅いだ事の無い匂いがしてさ……」

 そう言っている時に前方から歩いてきた誰かとぶつかりそうになった。

「わ、ごめん。雨宮さん」

「ううん」

 隣を歩く小山に視線を送っていた為か、前方への注意が疎かになっていた。気にしていないという風に微笑を浮かべる目の前の雨宮詩織に対して文孝は慌てて道を開ける。数人の女子生徒と共にいつもの如く屋上にでも行くのだろう。彼女は通り過ぎていく。

 歩みを再開した小山と文孝。

 小山は天井を見上げながら言う。

「でも男だったら一度は危機的状況から挽回してみせる様な事をしたいよな。ああ、軽く優しめの難易度で痛いの無しで俺に解決できるかなり危機的事故でも起こってくれねえかなあ」

「はははっ、何だよそれ」

 格好いい解決の仕方という話の流れになり、その後は好きな洋画の話になった。どの主人公が格好いいか意見を出し合いつつ購買のパンを頬張る。

 昼休みが過ぎていく――。



 放課後になり軽い談笑の後小山達クラスメイトと別れて下駄箱で靴を履き替えていると額に感覚。

「ゴースト」

 次々に下校していく生徒達を見ながら目前に現れた縦書きの文章は。


【それは突如としてやってくる。辺りは無数の線で満たされる。そして蓋を急いで閉めたように収まるだろう】


 というものだった。

 それを見てハッとした文孝は辺りを見回す。多くの下校しようとする生徒達で一杯だ。これから起こる事を周りに忠告したいが文視能力の事は秘密にしている為、文視能力という根拠を明かさず皆を留めるのは難しそうだと文孝は判断した。

 仕方ないので顔見知りのクラスメイト数人に忠告してから自分の教室に戻った。中は誰も居ない。それを確認するとベランダに出て小声で何かを唱え始めた。

(思い知るが良い、人間達よ。今までの行いを清算する時、ハアッ!!)

 やや芝居がかった身振り手振りと口調で台詞を放つ。

 そして急に空が雲に覆われたかと思うと辺りが暗くなった。

 来る、と思った次の瞬間。

 大量の雨が降り注いできた。無数の雨水の線が地を打ち視界がそれに満たされた。あまりにも急な事だった為下校していた生徒達が慌てて校舎内や近くの木の下へと非難する。悲鳴がそこかしこから聞こえる中、文孝は能力で危機を交わした事で少し悦に浸っていた。

 怒号の様な大雨が打ち付ける音が校舎内に響いた。まるで天から叱られた様な面持ちで生徒達は空を見上げ止むのを待った。


 中々止まないので文孝はジュースでも買おうと渡り廊下に向かった。その途中空き教室の前を通りがかりその中に一人の生徒が居るのを発見した。何気なく立ち止まりその生徒を見る。生徒は文孝に背を向けていて窓の方を向いている。携帯を耳に当てている事から通話中の様でありその声は聞こえない。

 あの後ろ姿は。

(雨宮さん……)

 暗めの空き教室内でその後ろ姿を見ていると真剣さが伝わってくる様だった。例の任務とかだろうかと少し心配になる。外が豪雨の中、この教室が隔絶された空間に感じた。

 雨宮詩織は全く振り向く素振りが無い。雨音のせいか彼女が小声なのか声は殆ど聞こえない。集中しているせいか文孝には気づいていない様だ。

(何を話しているのだろう)

 興味はあったがその後ろ姿に声をかけるのは躊躇われた。激しい雨の打ち付ける音が唱和して自分と雨宮を隔絶するカーテンになっているかのようだ。もしも任務とやらの関係の通話だったら。クラスの華と言える存在が人前では見せたことのない顔を、あの艶やかな黒髪が流れる後頭部の向こう側でしているかもしれない。

 引き寄せられるようにその背中を見ているとピクっと雨宮の肩が震えた。

 それに驚いて文孝は歩を再開して逃げる様に空き教室の前から去った。勝手に観察していたという負い目があったせいか真剣になっているかもしれない彼女から逃げようとしたせいか早足になった。階段を降りて渡り廊下へ。人がまばらな中を進んでいき自販機の前へ立つ。ふうと一息吐いて辺りを見る。彼女は別に追っては来ていなかった。

 小銭を投入して飲み物買う。背後で急速に音が止んでいくのを感じた。屈んで飲料の容器を掴む。立ち上がって空を見上げると蓋を閉じたように雨は止み、お日様の光が渡り廊下に向かって差し込んでいた。

(それにしても凄い雨だったな。人類の罪や汚れを洗い流せる位だったかもな。そうだ、自作の小説のネタに使えるかも)

 

 そう考えつつ、一口ぐいとあおった。

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