喫茶"クツロ"には日常メニューが溢れてる。

橘田 露草

第1話

理想の喫茶店とはなんだろうか。

例えば、ジャズが流れる心落ち着く空間だろうか。

例えば、渋いマスターが時間をかけて淹れてくれたコーヒーを味わう空間だろうか。

例えば、選ばれた者しか入ることが許されない洗練された格式高い空間だろうか。


僕こと、波切光希はぎり みつきもまた28歳にして持ったこの店をどんな理想的な空間にするかずっとずっと考えていた。

ジャズは趣味じゃないから、好きなアニソンを選び抜き。

コーヒーは飲めないから、最高の茶葉や素材にこだわったジュースを考案し。

格式なんか興味すらないから、仕事前の忙しいサラリーマンも少ない自由時間を謳歌する主婦も包み込む誰でも歓迎の雰囲気を作り。


そんな苦労を重ねること半年。

数日前にオープンした喫茶店は今。


「なんで誰も来ないんだぁぁぁぁぁぁ!!!」


閑古鳥が巣を作り閉店の危機を迎えていた。

そんな僕の叫びを冷ややかな眼で見る姿があった。


「‥そりゃ、スマバの前に作ったらそうなるでしょ」

「うぐっ!?」


そうなのだ。

喫茶店の夢のために貯金しだした小学生から早20年。

ようやくまとまったお金ができたことで土地を探したわけだが、お小遣いが余ったら貯金に回すといった緩めのルールが災いしたのか20年にしては少なめの資金。

何とか理想のスペースを見つけたのはいいものの、何とそれは大人気ドリンクチェーンの"スマバ"こと、"スマイルバージン"の前の店だった。

フラペチーノとやらが飛ぶように売れる中、僕の店では客が1人来たら奇跡、2人来たら神、3人来たらこの世に思い残すことは無いというレベルである。


「おじさん、知ってるー?スマバで今やってる新作のドラゴンフルーツフラペチーノ、全世界で1億杯超えたんだって」

「1億かぁ、僕の店の何倍だろ‥」

「1億倍でしょ。まだ今日ひとりしか客来てないんから」


辛い現実はさて置く。置くったら置く。

‥泣いてないもん。


ちなみに生意気なこのガールの名前は、水無瀬五恋みなせ いこい

僕の姉の娘、つまり僕の姪になる。

年齢は10歳、今年で小学5年生とのこと。

姉譲りの綺麗な茶髪をショートボブにした姿は見た目だけなら可愛いの一言だ。

現に小学校では毎日のように告白されているらしい。


僕?僕はめちゃくちゃ普通のアラサーだ。

姉や姪より薄めの茶髪に黒縁メガネ、顔立ちは一応あの姉の弟だからか中の上と言われるぐらいの評価はもらえているがそれだけだ。

身長も平均、体格も平均、勉強も運動神経も平均という我ながら面白みの無いステータスだと思う。


ちなみに喫茶店の名前"クツロ"は、五恋の名前からインスピレーションを得た。

五恋→憩い→くつろぎ、縮めてカタカナにして"クツロ"。

これを姪っ子殿にドヤ顔で説明したところ、"こういうところがあるからおじさんって厨二病治らないんじゃない?というか姪の名前を使うとかキモ"とお褒めの言葉をいただいた次第である、うん泣いていい?

ちなみに、当喫茶のウェートレスもしてくださっている。


「全く‥こんなにお客入らないならおじさんひとりでいいんじゃないの?」

「おまっ、それを言うなよ。第一おまえのバイト代、お客さん1人ごとに500円の歩合制とか破格だぞ」

「お客さん1人しか来てないから500円しかもらえないんだけどアタシ。労基に訴えていい?」

「すいませんした、紅茶のおかわりをどうぞっ!」


空になった姪のティーカップに紅茶を注ぐと、彼女はストレートのまま口にする。

すげぇ、大人だ‥僕なんか砂糖3杯は入れるのに。


「あ、やば。調味料がいくつか切れちゃってる。五恋、ちょっと買い物に行ってきて‥」

「無理。今、本読んでる」

「‥自分で行ってきまーす」


エプロンを外すとエコバッグを手に外に出る。

悲しいことにマスターが居なくても困るような問題は一切ないのだ。


「あっちぃ‥」


春だというのに今日はポカポカというよりはボカボカ殴られてるかのように暑い。

早く帰ってジュースを飲みたい衝動に襲われながらスーパーに入る。

目的のものをカゴに入れながら、五恋にお土産でも買っていくかとお菓子コーナーを覗くと。


「ん?」

「‥‥」


そこに居たのは2人の少女。

片方は多分、五恋と同年代。

もう片方はそれよりさらに下、低学年かもしかしたら幼稚園児かもしれない。

耳を澄ますとわずかに彼女たちの声が聞こえてくる。


「‥いい?お姉ちゃんが店員さんを止めるからその間にお菓子を持って逃げるの。食べて袋を捨てちゃえばバレないから」

「で、でもそしたらお姉ちゃんが‥」

「いいのっ。どうせ家に電話されたところであの人たちが来るわけないし‥」


なにやら不穏な会話に、顎に手を当てる。

まあ、見て見ぬふりをするのも後味が悪いと彼女たちに近付く。


「万引きは犯罪だぞ」

「!?‥アンタ誰よ?」


声をかけると勢いよく振り向く2人。

お姉ちゃんと呼ばれていた方の少女が僕を睨みつける、怖っ。

よく見たら服や顔は薄汚れているが顔立ちは非常に整っている。

妹も幼いながら可愛い容姿をしており、数年後には美人姉妹とか評されるだろう少女たちである。


「波切、波切光希だ。もし腹減ってるならうちの店においで」


ポケットから、いつ入れたかも忘れたクシャクシャの店の名刺を彼女の手に押し付ける。

と、誰かに肩を叩かれる感触。


「すいません、幼児に話しかけている男性ってあなたですか?」

「へ?」


振り向いたら、スーパーの制服を着た男性と後ろにカゴを持ったおばちゃん3人組。

コソコソと話している声から、"誘拐犯よ"、"犯罪者よ"、"やだ、アタシたち犯人を捕まえたって表彰されちゃうんじゃない?"と不穏すぎる会話が。

汗ダラダラで慌てて否定する。


「いや、違うんですよ」

「はいはい、話は事務所で聞くから」

「ちなうんですぅー!」


現実は無慈悲だった。

そして、いつの間にか少女たちは居なくなっていた。

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