液状化ヒーロー

高丘真介

第1話

「猿にゴミを捨てさせている」

 現地の人間から世界ヒーロー協会日本支部への第一報はこの内容であったらしい。その後、続けざまに被害の通報が入ったことから、日本のヒーローである私の所に連絡が来たのである。

 詳細は道中に電話で確認することとして、私は即刻電車に飛び乗り、箕面の滝へと足を向けた。本当ならタクシーで現地入りしたほうが何かと都合がいいのであるが、経費の面で協会からは電車を励行されている。

 どうしても必要なときのみタクシーを使用してよい、と規約には書かれていた。しかし実際には、私がヒーローに就任してからこの3年間、いまだにその許可が下りたことはない。何度かは交渉を試みたのであるが、そのたびに「それなら自家用車を使えばよろしい」と言われて話が終わるので最近ではあきらめて電車で通うことにしている。

 

 阪急箕面駅を出てから箕面の滝まではしばらく上り坂を歩かなければならない。その点を考えても車、もしくはバイクのほうがよい。ヒーローといえば颯爽とバイクで登場、と相場が決まっていると思っていた。

 確かに数十年前まではそのスタイルが主流であったらしい。しかし世界ヒーロー協会からの経費削減命令が、現場レベルまで浸透した結果、ヒーローは電車と徒歩以外使えないことになったのである。

 

 延々と続く上り坂を早足で歩きながら、私は道中に確認した今回の案件の詳細をもういちど頭のなかで反芻する。 

 まず、悪事を働いているやからは間違いなく悪の組織〈ロマンティック〉の連中であろう、ということであった。〈ロマンティック〉は悪の組織の中では世界最大であり、創業から120年間、ただひたすら世界征服をもくろみ続けている老舗である。

 被害としては、猿にゴミを捨てさせていることのほかに、山から運んできた小石を滝へ投げ込んでいる、という報告があったらしい。さて、今日はどうやって懲らしめてやろうか、と私は内心で逡巡しながら歩を進める。


 ここ数ヶ月では、あるときは奈良県の山奥でつり橋を落とそうと画策する彼らをその直前で食い止め鉄拳制裁を食らわせ谷底へと突き落とし、またあるときには天王寺動物園のトラの檻のなかにウサギを放り込もうとしていた連中を蹴り飛ばし、彼ら自身を檻へ放り込んだ実績がある。どちらも瀕死の重傷で済んだようであるが、それでも手ぬるいと私は思う。


 そしてようやく箕面の滝にたどり着いた私の目に最初に飛び込んできたのは、報告に違わず、猿にゴミを捨てさせている悪の組織〈ロマンティック〉一味の姿であった。

 ゴミ箱には『さるのおててはつかえません』という張り紙がちゃんと張られているのである。小さな子供でもわかるように、親切にもすべてひらがなで表記されているにも関わらず、彼らはそれを無視して猿の手を使ってゴミを捨てているのである。許し難い行為だ。

 当然猿は暴れている。その猿を数人の男で何とか押さえつけて、手に菓子パンの袋や惣菜のパックなどを無理やり握らせている。よく見ると、彼らの顔には無数の引っかき傷があり、激戦のあとがうかがえる。とりあえずは殴ってしまおう、と決意して走り出そうとしたとき、ショルダーバックのなかからけたたましい呼び出し音が響く。出鼻をくじかれた形になった私は小さく舌打ちする。協会の日本支部からの電話連絡であった。


「もう着いたんか?」


 担当管理者のロシナンテ坂本だった。世界ヒーロー協会本部から日本支部に派遣されてきた男である。


「たった今殴ろうとしていたところですが、何か」


 私は早口に伝える。目の前では、今まさに猿が無理やりゴミを捨てさせられようとしているのだ。電話などしている場合ではない。

 そんな私の焦りなどどこ吹く風といった口調で、ご苦労様だがそれはそうと、と前置きしたロシナンテ坂本は、

「例のものは飲んだか?」

「いや、まだですが……それが何か?」

「なんで飲まんのや」


 つい数日前、私は協会からの指令で、ある研究所に赴いた。そこでロバート近藤と名乗る博士から、緑色の液体の入った小瓶を手渡された。ロシナンテ坂本の話によれば、それは私にとっての最強の秘密兵器になるはずだ、ということであった。

 そんなものは必要ない、というのが私の正直な意見であった。これまでとくに問題なく悪の組織をしりぞけ続けているのである。そのことを力説するとロシナンテ坂本は、

「どんな時にも向上心を忘れたらあかん。それがヒーローや」

 それがヒーローだ、と言われれば私には反論のしようがない。

 しぶしぶ小瓶を受け取ったのであった。


 一日もかからずに効果が現れるはずであるが、個人差があるので数日中には飲むようにとの指令が下っていたが、私はそのまま放置していた。

「ええか、一刻も早く飲め」

 電話口で、有無も言わさぬ口調で命令してくるロシナンテ坂本。

 私はこれ以上反論するのは得策ではないと考え、分かりましたと一言だけ口にして、電話を切った。仕方がない。飲むしかない。

 私はカバンから小瓶を取り出し、キャップを空けた。なんとも言えない芳香が漂ってくる。化学の香りだ。


 ロバート近藤から、軽く説明を聞いたところによれば、これは自分の体を自由自在に液体に変えることができる薬なのだそうだ。

 なるほど、それが現実のものとなれば、敵地への潜入操作や捕まってしまった時の逃亡など、役に立つこともあるだろう。しかし、現実問題としてそんなものは必要ないのである。潜入操作など未だかつてしたこともなければ、今後することもないだろう。基本的には悪の組織が現れた、と通報があった地域へと足を運び、悪事を働く連中を殴り倒せば終わりなのである。


 また、私自身が敵に捕まることなど今までにはなかった。そして、もしそのようなことがあっても、どのようにしてでも逃げることができるようになっているはずなのである。それがヒーローというものだ。したがって、ここから導かれてくる自然な結論として液状化薬など必要なし、ということになってしまうのだ。

 現場を知らない上の人間はこれだから困る。おおかた、新兵器開発の予算が下りたから使わなければならない、という程度の話なのだろう。


「あのロバート近藤博士はすごい人や。過去の実績とか見たらあの有名な……まあ君に言ってもわからんやろうから言わんけど、とにかくすごい人や」

 最終的にはロシナンテ坂本はこう言って私の反論を煙に巻いたのであった。

 すごい人かどうかは確かに私にはわからないが、それが一体どう関係するのかもまったくもってわからないのである。すごい人だからなんだというのか。


 思い出しながらも私は、小瓶の口の部分をまず自分の鼻へと持っていく。反射的に顔をしかめてしまう。青汁など問題にならない不味さのはずだ。青汁は少なくとも飲むことを前提に作られているはずであるが、この液状化薬に関しては、完全に機能重視である。

 私の心のなかでは、自然に不満があふれ出してくる。こんなものを開発する予算があるなら、私の車代ぐらい出してほしい。

 と、甲高い悲鳴が私の耳を貫いた。

 視線を前へ向ける。

 ゴミを捨ててしまった猿が、断末魔の悲鳴を上げながら山へと帰っていく。〈ロマンティック〉の男たちは汗をぬぐいながら、お互いに握手を交わしている。ついに、私は出し抜かれてしまったのだ。もはや一刻の猶予も許されない。

 私は液状化薬をほぼ機械的に飲み下し、その場に瓶を投げ捨てる。と同時に地面を蹴り、悪事を働く男たちの方へ全力疾走を開始する。

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