冷めきった、

石田明日

映画

「なっ、なぁ。お前も俺のことを疑ってるのか?」 

 胡散臭い吹き替えがテレビから流れていた。それを私は皿洗いをしながら聞いていた。いや、聞いてるというよりか、考えないといけないことが溜まっているから、それから逃れるためにテレビの音に必死にしがみついてるだけだ。

 水が流れ始めるとテレビの音は聞こえなくなった。洗剤が落ちて、私の手には中途半端に泡が残った。

 私はこの感覚が嫌いだ。ぬいぐるみが破けた時、纏わりつくワタのように粘っこくてなかなか取れないあの時と似ている。鬱陶しいだけなら許せるが、なかなか取れないことがすごく嫌だ。

 だけど今私の手についているものは、洗剤だ。水を流して手を入れればすぐに落ちる。落ちるけど、落ちるんだけど、嫌なものが触れていると一度思ってしまったら、なかなか体が動かない。

 ダラダラと洗剤を落として、タオルではなく洋服で手を拭いた。なるべく高頻度でタオルを変えるようにしているが、私の手についた水が、部屋の湿度に合わせて乾いていくと考えると、今の時期は汚いものに感じてしまう。

 ペーパータオルにしたらいいんじゃないかとも思った。買い足すのはめんどくさい。もう今の時期は何をするにもめんどくさいんだ。皿洗いだって、つまんない映画を見ることだって、明日を生きることでさえもめんどくさい。

 少しだけ重量感を感じられる服と一緒に床に座った。今日撮りに行った写真の確認をしなければいけない。

 カメラは高いし繊細だから、もっと大事に扱わないといけないことくらいわかっている。我が子のように愛し、大事に、温もりを保ったまま愛くるしいものを見る目で見ることができたら、きっと写真のことは嫌いになっていないはずだ。

 嫌いとまではいかないが、好きではないし、これから好きになることもない。アーティストや企業に頼まれた景色、人、空気、声を撮ってお金をもらっているから、私はこれがなかったら生きてはいけない。

 だからと言ってそれがカメラや写真を愛す理由にはならない。

 「待って、私はまだあなたのことを愛しているの」

 覚悟を決めないと飲めないくらいに冷えたコーヒーが唇に触れた途端、またテレビからセリフが聞こえた。彼女はどんな気持ちで演じているんだろうか。こんなこと本当に起こるわけがない、百パーセントフィクションの物語をどれだけリアルに演じようと思っているのだろうか。

 すでにカメラで撮影されたものをもう一度私のカメラに映してシャッターを押した。どのシーンを切り取ってもサマになるのは当たり前だ。これをするためだけに私は週末に映画を見るようにしている。

 私が頑張らなくてもいいものが撮れる。誰もが納得するものを簡単に撮ることができる。嫌いだ。これだから写真も映像も、絵も何もかも嫌いなんだ。

 つまんないねと笑ってくれるような写真を眺めながら、もう一口コーヒーを飲んだ。冷めていることを忘れていたから、少しだけ声が漏れた。


 そこそこ有名なバンドのMV撮影があった。シーンごとに写真の確認をしようと、ボーカルが監督と話している時に、他のメンバーに声をかけた。リーダーはボーカルだから。とぶっきらぼうなメンバーになんとなくだけど、心地よさを感じた。

 ボーカルが戻ってくる前に自分で何度も確認したが、何も納得がいかずに焦っていた。夏休みが終わり、登校日初日に宿題を丸々忘れた時と同じような焦りを感じて、気分が悪くなった。

 彼らと私の作品について言葉を交わさなかったら、きっと納得がいっていた。でも、リーダーは。と写真すら見なかった彼らの言葉で気づいた。誰も見ないんだ。私の写真は見るべき人間しか見ない。

 その見るべき人間というのは、私に依頼した本人ではない。自分の作りたかったものを明確に持ち、実現してくれると私に期待している人だ。だから、絶対に期待に応えないといけない。期待は超える必要はない。ただ、求めているものを綺麗に差し出すということができなければいけない。「これなんですけど、もう一回全シーン撮り直してもいいですか。私としてはいいものが撮れたと思っています。ですが、何度見返しても納得がいかない。甘えていました。これじゃああなたも、あなた達を待っているファンの方々にも失礼です。時間が押してしまうかもしれないです。できる限りそうはならないように努めます。どうかお願いします」

 求められていないのに、深々と頭を下げた。昨日できたであろう水溜りが私の顔を映し、蜜陀僧色のぼんやりとした空も映していた。

「今回はいつもと違ったものにチャレンジしようと思い、あなたに依頼しました。僕だけでなく、僕ら全員が納得するものを作りたいとずっと強く思って、今日を迎えたんです。そう言って頂けてすごく嬉しいです。やりましょう、時間のことなんて気にしないでください。みんなきっと同じ気持ちです」


 今日の出来事だというのに、勝手に懐かしさに浸った。やめたくなった時、写真がうまく撮れなくなってしまった時、きっと今日と同じように、綺麗なまま何も変わらずに素直に思い出すことができるだろう。

 都合のいい使い方だと思う。私は思い出でやる気を出すことは不可能だけど、今やっていたように、一枚一枚つよくボタンを押して、あの時の感情がなくならないように涙を堪えながら思い出すことはできる。

 それできっと十分なんだ。何度も賞を取って、大きな花束をもらってきた。自慢にもならないくらい、自己満足と自信しか残っていないから、私はこの思い出は黒歴史だ。

 おめでとうと添えられて受け取る花束は、私には大きすぎた。これじゃあ逆に不十分で、違和感を拭いきれなかった。

 あの時の違和感ではない、何か満足するものがあった。一輪の黄色いチューリップをもらった気分だ。大切にする理由が明確にある寂しい花束。 テレビを消した。来週も変わらず画面越しの映画の写真を撮るだろう。なんの刺激もない毎日を送るだろう。

 生きていることがめんどくさいまま、梅雨が私からいなくなることを祈ってコーヒーを捨てた。

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