晴れない私

石田明日

梅雨

タバコが切れていることを思い出し、着替えることなくだらしない格好のまま外に出た。キラキラとした空に目を細めてしまい、下を向いて歩いた。干からびて死んだカエルや、ひっくり返って死んでいる虫たちを無視して、咲くには少し早すぎた夏の花木だけを見つめ、暑くなる次の季節にひどく嫌気がさした。知り合いに会いたくないな。と、思っているくせに、いつも通りの道を歩き続けた。今更中学の同級生や、高校の同級生に会ったってきっと無視してしまうんだろうな。そういえばこの時間はみんな仕事だとか大学だとかに行ってるみたいだから、会うことなんてないんだった。と、ホッとした。でも、みんな頑張っているのに、昼に起きてタバコを買いに行くから。と昨日から着替えていないよれた服のまま下を向いて歩いてるなんて惨めで仕方ない。サンダルが脱げそうになり、つまずいた。「あっ。」小さく声が漏れた。ちょうど通り過ぎた老人が鼻で笑ったような気がするが、私の被害妄想だということにして、サンダルを履きなおした。そこからサンダルを気遣いながら、不器用に歩いていると、遠くで蝉の声が聞こえた気がした。まだあいつはきていないはずなのに、聞こえてはいけない声が聞こえて耳を塞いだ。


異様に涼しい店内に少し震えてしまったが、流れるようにドリンクコーナーに行き、そのまま炭酸飲料を一つ手に取ってレジに向かった。人がたくさんいてなかなかレジが進まない。待つという無駄な時間があると、必要以上に考えてしまい、そんな自分にうんざりした。すると、普段目に入らないパンコーナーが目に入った。特にお腹は空いていなかったが、なんとなく気になった惣菜パンを手にして、列に戻った。二つを静かに置き、覚えてしまったたばこの番号を店員に伝えた。私の後ろに並んでいた人に迷惑がかからないように、足早にコンビニを出た。


来た道を戻るとなると、自分がいかに惨めに歩いていたかを客観的に見ようとしてしまい、目を瞑って動けなくなることが目に見えていたのでやめた。普段は疲れるから。と通ることのない坂道を通って帰ることにした。日差しがどんどん強くなり、汗が止まらない。止まらないはずなのに、頬を伝うほどの量ではなく、着てるTシャツが張り付く程度で、じんわりかく汗が不快で仕方ない。その汗は拭うこともできなければ、どうすることもできない。Tシャツを掴み、風を通してみようと思っても、風はなく、体温が変に下がるだけだった。コンビニに向かってる時と同じように、サンダルを気遣いながら歩いてしまい、何度も手に持っているビニール袋が私の足にぶつかった。中には炭酸飲料や惣菜パンが入っているにもかかわらず、私は足に当たることを避けようとはしなかった。


少し息を切らしながら、来た道を振り返ると何もなかった。いや、建物や植物、そして人が私の目に写ってるはずなのに、何も認識することができず、ただ遠くで見える入道雲に引き込まれた。雲が多く、空は全体的に白いはずなのに、隙間から見える濃すぎる水色が私を苦しめた。こうなるから、こうなってしまうから上は向きたくなかったんだ。なんでこうなることを予想できたはずなのに、私は疲れた勢いで上を向いてしまったんだ。と、後悔したってもう遅い。そうだ、後悔する時には当たり前に既に遅くて、どうすることもできず、ただ呼吸が浅くなり、それを噛み締めることしかできないのだ。惨めだ。いつまでも噛みきれないエビのしっぽのように、味のなくなったパリパリとしたものが私の喉に突っかかって咳をしても出てこない。不快な喉の痛みが終わることを待つしかできない。私は頭が良くないし、わざわざそれを取り除くためにインターネットを使いたくない。だから、いつまでも喉の不快感を憎み、小さく咳ばかりを繰り返す。後悔はそうやってなくならない。なかったことにはできる。だけどそれじゃあなんの意味もない。なくならないといけない。克服して、また前を向けるようにならないといけない。そうなるためにはどれだけの努力が必要で、何回反省会を開かないといけないのだろうか。疲労と帰りたくない思いでなかなか足が上がらない。ズルズルと迷惑な音を立てながら、もたもたと家に向かった。 「ただいま。」暗く静かな部屋に私の声が響いた。無駄に家電製品の光が目立ち、改めて私を孤独にした。テーブルには乱雑に置かれたチラシ達が溜まっている。それらを適当に集め、目を通すことなくゴミ箱に捨てた。バンッ。と音を立てて落ちたチラシに同情する前に急いで手を洗った。


今は、十三時だ。雷の鳴り響く外の音を聞きながら、暗い部屋でタバコを吸いながら、新しく始めるバイト先のマニュアルに目を通していた。さっきまであんなに晴れていたというのに、また、もうそんな季節か。と苦しくなった。マニュアルを裏っ返し、たばこに火をつけた。経営理念だとか、好感を与える言葉遣いだとかいう文字を思い浮かべながら、落ちていく雨を眺めた。マニュアル通り、「ありがとうございました。」「大変申し訳ございません。」と、哀れにペコペコと頭を下げている私が鮮明に映し出されるが、強い光によってすぐにかき消された。「嫌だなぁ。」そう呟くと、さっきとは比にならない音量で雷が落ちた。東京にも走り梅雨が存在するようになったのか。と、強くなる雨音を聞いて思ったが、天気にも準備とやらが必要なんじゃないのか? と、考えることをやめた。風雨がカーテンを揺らし、部屋が明るくなったり暗くなったりした。せっかく食べようと思って買った惣菜パンがテーブルの上に置いてあったが、いつまでも食べたいと思えず、炭酸飲料にばかり口をつけてしまっていた。もう一度たばこに火をつけようと思ったが、雨の匂いを掻き消してしまうのはどうなんだろう。と、後ろにある鏡に映った私が、難色を示してきたので火をつけることができなかった。晴れていた時間があまりにも暑かったので、豪快に窓を開けてしまっていたが、汗が冷え、今は寒く感じる。


ピリッと強く背中に痛みが走った。痛む背中を庇いながら、椅子に深く座り、ため息をついてしまった。この部屋には誰もいないというのに、私は弱音を吐くことすらできない。そうやって自分の弱さを自覚しては、誰にもバレないよう、鳴り響く雷に、素直に怯えた。幸せを逃がして、私の中で暴れてるこいつらは大事にするなんて狡い生き方をしているな。と自分でも思う。だからと言って簡単に吐き出せる訳では無い。


落雷注意報が出ていてもおかしくないくらい、雷がうるさく光っては大きな音を立てている。でも、今の私に調べる気力なんてない。何となく見た事ある光景だな、と記憶を並べてみたが、何も出てこなかった。雷が私の妄想を邪魔することなく、痛く寂しい妄想は止まらない。今、私が息をしているこの世界は止まることを知らない。 私だって天気のように自由に生きていたいと思う反面、マニュアル通りに生きる楽さから逃れたくはない。と、天気と同じようにわがままな自分に嫌気がさす前に、テーブルの上に散らばった書類を整理した。灰皿を持ち、窓の前に座って外を眺めた。通り雨のように来た梅雨が私を見ることなく、ただ無駄な音を立てて降り続けた。

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