篝火焚火は舌を切りたい
「篝火さん」
「はい」
少し騒がしい教室で、社会の先生から提出していたノートを返却される。私は他のクラスメイト同様にノートを受け取ったつもりだったが、授業後に先生に手招きされてしまった。
廊下に出ると、いつもジャージに猫背の先生は首を傾けていた。私も真似て首を傾げ、笑顔で「なんですか?」と問うてみる。先生に呼び出されるようなことしてないんですけど。私、良い子なんで。
「何かあったのかい?」
「何もありませんよ?」
「そうか、それならいいんだ」
眼鏡に光が反射して先生の目がよく見えない。それでも、今日もへらへら笑ってんだろうなぁというのは空気で察した。
教材を抱えた先生は飄々と職員室へ戻っていく。その背を暫し見送った私は、目も口も糸にして笑い続けていた。
『何かあったのかい?』
『何もありませんよ?』
大嘘つきが。
己の口から流れ出た嘘に反吐を吐き、目ざとく私の何かを察した先生には内心で拍手を贈る。貴方は教師の鏡ですね。生徒の機微に気づけて声もかけられる人なんだから! それに生徒が応えるかどうかは置いておいて。
私は弁当を持って教室を離れる。昼食時間は他の女子に席を使われているので、弁当を取るのが遅れた時は「あ、ごめんね、すみません、はい、はい、失礼しました」みたいな挙動不審な動きをする。黙って取って黙って去るって感じ悪いよね。処世術って大事だ。
私の昼食場所は外階段。特別教室のある校舎の廊下は突き当たりに扉があり、開くと階段がついているのだ。夏は暑くて冬は寒いという季節をふんだんに感じられる場所なので、好きこのんで近づく生徒はそうそういない。一人飯にはうってつけだ。笑お。
「焚火ちゃん! ご飯ね!」
「飛び出さないで下さい」
味気ない、いや、味のない弁当をつつこうかと箸を持った時、影から飛び出して来たのは影の女。
女は私の言葉など簡単に受け流し、影の中から黒い小鳥みたいなものを掴み出した。
「……それ」
「あ、これがバクよ」
勘弁してくれ。
私は天を仰いで全身を脱力させる。いま自分の膝にある弁当箱には、黒い鳥みたいなものが添えられているんだろう。たしかに鶏肉は好きだが、こんな安全性の欠片もない鳥は遠慮したい。
「できた~」
黒い女が一人で拍手をしているので、私は首を弁当に向ける。そこには丸まる鳥が乗っているわけではなく、千切られたんだろうなと分かる残骸が散らされていた。
ここで私が弁当の蓋を閉めたのは別に間違ったことではないと思う。
「なんで⁉ 焚火ちゃん!」
「見た目零点で食欲失せました」
「味は満点よ~」
嘆くふりをする女の足元で影が動く。嫌な予感はしたのだが、逃げることなど叶わず影に両手足を縛られた。昨日から縛られる事が多すぎて虚無になりそうだ、畜生。
私の顎を真正面から掴み、笑った女がバクの乗ったからあげを近づけてくる。
無駄な抵抗をやめた私ではあったが、やはり口に入る物が動く様は最低であろう。
***
「はい、ご馳走様でした~」
「……ご馳走様でした」
踊り場に倒れこんで手を合わせる。嬉々として弁当箱を仕舞う女に感謝なんてしてやるもんか。
仰向けになった私は太腿から下を階段に放り出し、上体を踊り場に預けた。目の奥が痛くなる青空は見つめすぎると吸い込まれそうだ。空に落ちそう、なんて比喩表現はありきたりだろうか。
「ねぇねぇ焚火ちゃん、私、思ったことがあるの。まだ自己紹介をしていなかったわって」
内情を穏やかにさせようと努めていると、掻き乱す元凶が私の顔を覗き込んだ。端正な顔立ちは作られたからこそだろうか。まぁ何かを作る時に醜く作るということは早々ないよな。そういう癖でもない限り。
人の願いを叶え続けた化け物。美しい影の住人、
それは、なんて皮肉なんだろう。
私が瞬きする間に女は隣に寝ころんでいた。影だから真似っこか? そんなわけないか。
私が空に軽く手を翳せば、女も同じように腕を上げた。
「私は
歌うような女の口調は今日も変わらない。ユエと名乗った女が纏うドレスは、降り注ぐ光を全て吸収しているのではなかろうか。
彼女は指揮するように指を振ったが、どこからともなく音楽が流れてくることなんてなかった。人生に挿入歌は存在しない。
「私にユエと名付けたのは誰だったかしら。忘れてしまったけど、まぁいいわ、気に入ってるもの。私は、私の名前を気に入ってるの」
ならば言い聞かせるような雰囲気を出さなくていいだろうに。
化け物にも懐かしさとかあるのだろうか。もしもコイツを作った誰かが人の皮を与えようと思わなければ、どんな姿で私の隣にいたのだろうか。
想像するだけで鳥肌が立つ。鳥っぽい何かを食べたからではない。化け物であるコイツが、皮だけでも人間のように見えてまだマシだったと少しだけ思ったのだ。
が、しかし。
「ユエさん」
「はぁい、焚火ちゃん」
「学校で出てこないでください」
「あら、どうして?」
「他の人に見られると困ります」
「だぁいじょうぶよ、大丈夫。私達の姿が見えるのは選ばれた光源の子達だけだもの」
何が大丈夫なのか教えて欲しい。
それだと私、傍から見ると何もない場所に話しかけてる奴か、独り言が具体的すぎる奴になるではないか。「真面目ちゃん」はまだいいが「不思議ちゃん」のレッテルはいらねぇぞ。
胃だけではなく目まで私はおかしくされてしまったのか。いや、頭をいじられてしまったのか。方法は? 凍えるほど冷たいキスだな。最悪でしかないのでノーカウントにすると決めた。今決めた。
「レリック、来ないわねえ。それはそれで良いんだけど」
呟くユエさんは風船のように軽く背中を浮かせて、また横になる。彼女から空へ視線を戻した私は、どんな怪物が来るのか想像も出来ていなかった。
「レリックってどんな奴らなんですか」
「そうねぇ……
「待ってください。レリックって五十二体もいるんですか?」
「焚火ちゃん計算速い! でも安心して、大方のレリックは倒したから。残ってるのは俊足のナイト。堅固なクイーン。撃鉄のキング、獰猛なエース……と、数体の数字持ちかしらね」
ユエさんは何の問題も無いと主張するように喋っているが、私からすれば想像以上に数がいるではないかという話である。
これは長い道のりになるのではなかろうか。しかも、自分が進んでいる道だけを信じなければいけない不安定な旅ではなかろうか。
レリックを全員倒すと言うゴールはあるが、その過程は全く舗装されてない草原と一緒だ。果てもなく道標もない草原を、あると知っているゴールを探しながら歩くように言われている。いつレリックに見つかるかも知らないで、ハイドに行ってバクを狩る。バクはアルカナに馴染む為に必要なんだっけ。
私は一度深く息を吐いて確認した。
「……それ、聞く限り面倒そうな四体は全属性残ってたりするんですか」
「するわね。アイツら他の数字持ちより強いから!」
「なら、最低でも十六体はいると」
「そうそう! まぁ倒せるわよ、焚火ちゃんなら!」
「そのよく分からない評価やめてくださいよ……私の他にも光源の方はおられるんですよね?」
ふと不安が掠めてしまう。ユエさんは明るい声で「いるわよ~」と肯定してくれた。ならば私以外には二十人の光源がいる、で計算合ってるかな。光源を見つけてない
沸々と追加の疑問が湧いてくる。そんな私の頭の中を知らないユエさんは始終楽しそうだ。
「
「世界展開してるとか聞いてません」
額が痛くなる。ユエさん達は一体どこからきて、どこを旅して、どうしてここに辿り着いたのか。
私はそこで浮かんだ疑問があるのだが、まだ聞く心構えが出来ていないからやめておいた。
私の知らない歌を鼻で奏でるユエさんは、銀の髪を風に揺らしている。
ユエさんは自由が欲しいと言う。
だから自分を連れ戻そうとする追っ手を倒してほしくて、自分は戦いたくないから、私を選んだ。
味覚と痛覚を盗られた私は、ユエさんを連れ戻そうとするレリックを倒さなければならない。バクを食べるように強要されるし、それも自分で狩れって言われるし、もう少し配慮してくれてもよくないか。
自分の体育の成績だって覚えてない。帰りにゲームセンターでパンチングマシンを殴ってみた方がいいのかな。誰かと真正面から喧嘩したことはないんだけど。後ろからの奇襲しか経験がない。
あぁ、それでも、対価が魅力的過ぎるからやってやろう。是が非でも。何が起こっても。
私の願いをなんでも叶えてくれる化け物が願って良いと言ったのだ。ならばお言葉に甘えようではないか。強制参戦させられている慰謝料には持ってこいだ。
温かい心、あったかい心。それに抱き締められたいなんて、愚かな願いだと誰かは笑うかな。
まぁいいか。私の願いだ。勝手だろ。
「レリックって、どこから来るんですか?」
「さぁ? 私達を見つけたら自動的に追いかけてくるみたいよ。ジキルにいても、ハイドにいても」
「逃げるだけでは解決しないんですよね」
「しないわね。逃げ切れないもの。だから戦って壊すしかないわ」
「レリックに命令してる人がユエさん達を諦めるということは?」
「ないんじゃないかしら。最初に命令をした人間は死んだんでしょうけど、血筋で私達の話が伝えられてるみたいだから止められないのよね。レリックが止まってくれると一番いいんだけど」
その人間だか血筋だかを黙らせられないのかよ、化け物。
自分の状況を綿雲みたいな柔らかさで話すユエさんだが、聞いてるこっちは鳩尾が重たくなる。今の感じからして、ユエさん達が逃げ続けているのは何十年という単位なのではなかろうか。その間もレリックが止まらないということは、ユエさん達を連れ戻したい意思は脈々と受け継がれているわけだ。
ユエさん達を諦めない人間の執着が怖い。これだけ逃げてるんだからもういいだろ。この化け物達は自由になりたいって言ってるんだし、聞く限りハイドで大人しくのんびりしたいだけみたいなんだから。子どもの巣立ちくらい許してやれよ。
「いつレリックが来るかは私が感じ取ってあげる。そしたらハイドに移すから、元気に戦っていきましょ」
戦ったことなんてないけどな。小学生の体験を一と数えるなら間違いだ。あれは正当防衛である。
でも、我武者羅でも泥臭くても、逃げ道はない。私は願いを叶えてもらう道を選んだのだから。
もしもハイドに行かなければ、戦わなければ、私はレリックに殺される。勝手にユエさんの光源に選ばれてしまったせいで。
だから倒せ。化け物を追ってくる化け物を。
出来る出来ないの話ではない。やるのだ、やるしかないのだ。そうしなければ私の願いは果たされない。
戦って、倒し抜いた先で叶えてもらうんだ。私を抱き締めてくれる、温かい心を勝ち取るんだ。
目尻を涙が落ちていく。おかしな話だ。今は真心くんを抱き締めていないのに、私は何に涙するのか。
「怖い? 焚火ちゃん」
「怖くてもやります」
「素敵ね」
「願い、叶えてくださいよ」
「私の願いを叶えてくれたらね」
喉を鳴らして笑うユエさんに息をつく。耳に入った雫が鬱陶しくて顔周辺を拭けば、なんだか無駄に疲れた気がした。意味の分からない涙だったな。理由はなんだろう。空が青過ぎたことにしようかな。
私は真心くんを抱きしめたいと漠然と考え、ユエさんは思い出したように手を打った。
「そうだわ、アルカナについて説明しなくちゃね」
「はい」
反射的に返事をして、ユエさんは楽し気に上体を起こす。私も体を起こしたユエさんにつられた訳ではないからな。私の意思だ。
ユエさんが出した舌には三日月が刻まれており、やはり魅入ってしまうほど綺麗だった。
「アルカナは焚火ちゃんが望んだ物を作る為の能力よ。本来は願いを求めた相手が、願いを叶える為に必要な物を具現化する力なの」
「ならば私が作るべきは、」
「戦う為の武器ね! それ以外では使えないようにしてるから、先に自分の願いを叶えようなんてしないこと!」
青白い指が伸びて私の舌を掴む。無遠慮に舌を引かれても痛みはなく、私は見開きかけた瞼に力を込めた。今日先生に嘘をついたから舌を引き抜かれるんだろうか。勘弁してくれ冷や汗が出る。先に願いを叶えようとも思ってなかったよ、お前が言うまでは。
ユエさんは私の舌を見て、口角が上がりっぱなしだった。
「バクってよく動くし、焚火ちゃん達に寄ってくるの。レリックは言わずもがなだけど、バクにも間違えたら殺されちゃうかもしれないからね」
それは聞いてねぇんだけど。
私は肩に重荷が増えた心地になり、ユエさんはどこまでも楽しそうだった。
「殺されないように、焚火ちゃんだけの武器を作ってね」
冷たい指が私の舌の表面をつつく。
そこで私は第六感的に嫌な気がして、女子トイレへと駆け込んだ。
誰もいない洗面台で舌を出す。
赤い表面に浮かんでいるのは、黒い三日月。
ユエさんと対になる、刺青のような美しい月。
弁当箱を落とした私は、洗面台を力の限り殴っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます