第46話エルナの再出発

「燐火が行ったぞ! 私たちも出る!」


 夏美の大声に、周囲に控えていた戦乙女たちが一斉に飛び出す。その中でももっとも素早く敵に近づいていったのは、エルナだった。


「ハッ……ははははは! 見つけたぞ! 偽物がああああああ!」


 桜ヶ丘真央の元に銃弾が飛ぶ。走って接近しながら引き金を引き続けるエルナだったが、しかしその狙いは的確で確実に真央の姿をした敵を捉えていた。


「ぐっ……怪物たち、私を庇って!」


 周りに控えていた『魔の者共』が真央の前に立ち銃弾を受ける。自己犠牲。今まで見たことのない動きだ。

 エルナは舌打ちすると、肉壁を突破するためにさらに接近を始めた。


「私も出るぞ。光井、お前は燐火の元へと行くんだったな」

「はい」


 燐火は、自らの手で吹き飛ばした悪魔を追って奥まで行ってしまった。

 優香一人で燐火を追うことに不安を示した夏美だったが、しかし彼女の決意に籠った瞳を見てすぐに止めるのをやめた。


「では……私たちもあいつらに負けないように奮闘するとするか」


 サーベルを持った夏美は不敵に笑うと、その場から一瞬で消え去った。

 優香が次に夏美の姿を捉えた時、彼女はすでに敵前方にいた敵に向けて攻撃を放っているところだった。

 敵──落ち武者を鎧ごと切り裂くサーベル。血飛沫と断末魔と共に敵の姿が消える。


「私に続け、勇敢なる戦乙女たち!」


 落ち武者を切り裂いたサーベルを高々と掲げ、夏美が声を張り上げる。物陰から飛び出し奇襲を仕掛けたほかの戦乙女たちは、それに呼応するようにさらに激しい攻撃を加えて居るようだった。

 前夜は集団行動で戦乙女たちを翻弄していた『魔の者共』だったが、奇襲を前にして陣形を崩壊させていた。近接戦闘に優れた『魔の者共』が敵前逃亡をはじめ、後方に控えていた遠距離型の敵と入り混じる。


 まるで羊を追い立てる犬のように、戦乙女たちは確実に敵を追い詰めていた。



 その集団から少し離れたところ、激戦を繰り広げているのはエルナだ。真央の偽物、ドッペルゲンガーと戦っている彼女は、激しい怒りを顔に浮かべながら戦っていた。


「く……私の言葉を忘れたの!? 私は、あなたたちに尽くしたのに結局裏切られて……」

「知らん! 私はその顔の奴に会ったことなどない!」


 エルナの弾丸が、ドッペルゲンガーの体を掠める。すかさずドッペルゲンガーを庇うようにオークが前に出てくるが、エルナの激しい銃撃を前にあっさりと倒れ込んだ。


「っ……なら……!」


 ドッペルゲンガーの持った弓から続けて飛び出した三本の矢。エルナはそれを鼻で笑うと、素早い動きで回避した。


「こんなのがリンカの尊敬していた戦乙女だと? そんなわけがないだろ!」


 再び、引き金を引く。鉛弾が体の中心を捉えると、真央の姿に揺らぎが生じる。ドッペルゲンガーがあまりのダメージに変身を維持できなくなっている証拠だ。


「ッ……それなら……!」


 劣勢を悟ったドッペルゲンガーが、怪物たちをけしかける。

 犬の姿をした複数の敵がエルナに襲いかかるが、すぐに銃声が響き全て倒れてしまう。


「次はお前だな……なんだその姿は」


 エルナの目の前に立っていたのは、エルナの姿をした人間だった。鏡写しのような状況。ドッペルゲンガーが高笑いする。


「ハハハ! 見ろ、まごうことなきお前自身の姿だ! これを傷つけられるのか!? お前は自分自身を撃てるのか!?」

「うるさいぞ偽物っ!」


 あっさりと引き金を引く。エルナの偽物ながら綺麗な顔に、不自然なひびが入った。


「あ……な、なぜ……」

「そんな怯えた顔をするのは私ではない。消えろ」


 再び直撃した銃弾と共に、ドッペルゲンガーの顔が砕け散る。

 しかしながら、ドッペルゲンガーはそれで終わらなかった。


「ふ……ふふ……」


 再び顔を上げたドッペルゲンガーの顔は、茶髪にお下げの生徒の顔だった。


「やはり、あれもお前だったのか」


 それは、エルナに対して燐火と決闘するようそそのかした生徒の姿だった。

 自分が燐火と敵対するところから、既に敵の策略の中だった。

 それを悟ったエルナの表情には、あまり変化がないように見えた。


「ええ……ええ! 私の言葉に翻弄されてピエロを演じるあなたは、あまりにも滑稽で笑えましたよ! 特にあの、暴力事件の容疑者として天塚燐火に捉えられた時の狼狽具合といったら……ふふ……あっははははは!」


 ドッペルゲンガーが大袈裟に挑発しているのには訳があった。

 エルナは精神攻撃に弱い。特に己が笑われる、馬鹿にされるような状況になるとひどく狼狽する。燐火の決闘を見ていた者なら誰でも分かることだ。


「……」


 エルナが沈黙する。わずかに銃口が下がった。

 間違いない。動揺している。手ごたえを感じたドッペルゲンガーは、さらに言葉をつづけた。


「何よりも滑稽だったのは……そう! 天塚燐火に敗れた時のことでしょう! 慣習に惨めにも笑われながら地面に倒れ込んだあなたはまさに──」

「──黙れ」


 エルナの全身から溢れ出す殺気に、ドッペルゲンガーの口はピタリと止まった。

 次の瞬間、口内に冷たい感触。エルナの持った拳銃が、ドッペルゲンガーの口の中に差し込まれた。


「ッ……」

「消えろ」


 皮膚の内側から爆ぜた銃火が、内側から脳味噌を貫く。それだけでは飽き足らず、エルナは心臓のあたりにもう片方の拳銃を押し当てると、何度も引き金を引いた。

 エルナが嗜虐的に笑う。飛んできた血肉を浴びながら、彼女は凄惨に笑っていた。


「ハッ……ハッハハハハ! 消えろ消えろ消えろ消えろ!」


 茶髪の少女の姿をしていたドッペルゲンガーは、雨のように浴びせられた銃弾のせいで既に血まみれの肉塊と成り果てていた。普通の人間ならとうの昔に死んでいただろう。しかし、元々人間ではないドッペルゲンガーはまだ死んでいなかった。


「あなたは……」

「しぶといな。傷つけるかいがある」


 銃弾を一発。口の部分を貫く。

 しかし、肉塊は別の部分から声を出し始めた。


「あなたは、人間を傷つけることを躊躇わないのですか?」

「愚問だな……楽しいに決まっている」


 弾丸を一つ。しかし、ドッペルゲンガーは黙らない。エルナを動揺させなければ、勝ち目はない。

 しかしエルナは怒りを露にしながらも揺らぎはなかった。


「そんな腐った性根で、あの人たちと仲良くしようとしていたのですか?」

「ふん……私は、私のゆるせないものを傷つけるだけだ。それがお前みたいな奴……人を傷つけてニヤニヤしているようなクズだ」


 エルナは、無防備で無垢な相手を傷つけて自らの欲を満たしたいのではない。そんなものは、もうやめた。

 彼女が傷つけたいのは、自分と同じクズ。他人を傷つけて喜んでいる奴、そして、自らは手を下すことはなく他人を操りニタニタしているようなクズだ。


 銃弾をもう一度浴びせると、ドッペルゲンガーの様子に変化があった。肉片が収束し、黒色に変化していく。ドッペルゲンガーの本質は影。もともと、不定形のものだ。


「Arrrrrrrrrrrrrrrrrr!」


 ひび割れた、不気味な声が響く。影は大きく広がり、宙に浮かびながらエルナを取り囲む。まるで、巨大なクラゲの足のようだった。うねうねと動く触手が、エルナを取り囲む。


「……ははっ、ついに醜い本性を晒したな」


 触手の数はざっと見ただけで20本はある。一斉に襲い掛かれば、二丁の拳銃を以てしても捌ききれるか怪しいほどだ。


「A……Arrrrrrrrrrr!」


 触手たちは、一斉にエルナに向けて襲い掛かった。


 ドッペルゲンガーは、激痛の中で必死に思考を繋ぎとめた。元々、ドッペルゲンガーの自然な形は人型だ。そう語られた歴史がある以上、形に縛られる。


 エルナの度重なる銃撃で、既に体力は限界。影を広げてしまった今、おそらくドッペルゲンガーは元の姿に戻ることなく四散するだろう。

 しかし、それでもいいとドッペルゲンガーは思考する。目の前に立つ、エルナ・フェッセルという強い人間を殺して、初めてドッペルゲンガーは自らが『本物』だったことを立証できるのだ。はじめから人間の偽物として生まれ落ちたドッペルゲンガーは、ここで人間を殺すことで世界に影響を与え、自らの存在を刻み込む。

 瀕死のドッペルゲンガーに残された欲求は、ただ世界に認められたいという一心だけだった。


「Arrrrrrr!」


 触手の動きを観察していたエルナが動く。流れるように動いた銃口が、正確無比に触手を打ち抜く。

 身をかわして、背後に一発。身をかがめて頭の上に一発。触手の数と同じだけの銃声が響いた後、エルナに襲い掛かる影は、手のひらほどのサイズの小さな球体になっていた。


「……」


 もはや言葉を発する機能すら失ったドッペルゲンガーに、エルナは表情の向け落ちた顔で銃口を向けた。


「お前も、私と同じだったのだな。認められたくて、だから誰かを傷つける。私と同じ、クズだ」


 最後の銃声とともに、影はまったく動かなくなった。

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