第37話あの日の屈辱は彼女らの胸に
エルナが暴力事件により拘束されてから、一週間が経過した。
彼女が校内から姿を消してからというものの、これといった騒ぎは起きることがなく、平和な学校が維持されていた。
『魔の者共』の動きが不気味なほどに静かで、ここ最近の出撃はゼロだ。戦いから遠ざかることができた戦乙女たちは、高校生活を謳歌している。
しかし、この平和は単なる嵐の前の静けさに過ぎなかった。
その日、淵上高校には突如として校内放送が響いた。普段ほとんど活用されていない校内放送は、生徒たちの耳にはひどく異質なものとして聞こえた。
「異常事態宣言。多数の『魔の者共』の襲来が観測されました。戦乙女は直ちに出撃準備をしてください」
一年生にとって、そんな言葉を聞いたのは初めてだった。緊迫した声にただ事ではない予感を感じる。
そして、あの日のことを知っている二年生、三年生の緊張感はその比ではなかった。
この状況は淵上高校最悪の日、破滅級が現れた『太陽が没した日』と同じだ。
「燐火」
「ああ。夏美、気を引き締めよう」
俺が静かに頷くと、夏美は表情を引き締めた。きっと彼女も、あの日のことを思い出しているのだろう。
冷静な顔を作ってはいるが、俺は内心の昂りを抑えきれずにいた。異常事態宣言がだされるほどの事態。それは、魔の者共を率いることができる化け物、喜悦の悪魔の出現に違いないと思ったからだ。
「戦力が必要。エルナを出すことはできる?」
「……無理だ。分かっているだろう。仲間を背後から撃つかもしれない奴なんて、自由にさせられない」
やはり、夏美ならそう言うか。彼女はみんなのリーダーだ。一人で戦う俺と意見が合わないのも当然だ。
「皆がいてもどうにもならない敵もいる。破滅級なんて最たる例だ。それでも夏美は、規律を選ぶというの?」
少しきつめに問うが、彼女の答えは変わらなかった。
「ああ。皆が力を発揮できなければ、防御壁が崩壊する。強大な個は危険だが、私たちは通常の敵にも対処しなくてはならない。それは、たとえお前が二人いても同じことだ」
夏美がそこまで言うのなら、俺も覚悟を決めよう。孤独に生き、好きに戦っていた俺には見えないものが、彼女の目には映っているのだろう。
外に出ると、縁起の悪いことに雨がぱらついていた。近いうちに本降りになるかもしれない。
校庭に集った戦乙女は、みんなどこか不安そうな顔をしている。
そんな様子を見た夏美は、少し表情を変えて問いかけた。
「みんな、既に揃っているな」
夏美が来たことに気づいた戦乙女たちが、彼女に向き直る。雨に濡れる彼女らは不安げな顔のままだ。雰囲気が重たい。
しかしあくまで冷静な顔を崩さない夏美は、皆の視線を集めると、大地を震わさんばかりの大声で演説を始めた。
「──聞いてくれ! 一年生には分からないかもしれないが、今日はあの最悪の日と良く似ている。我らが太陽が没し、多くの戦乙女が犠牲になったあの日のことだ。我々は、真央先輩の命を懸けた一撃によって辛うじて今を生きている」
夏美の言葉には、聞く者の背筋すら震わせるほどの冷たい響きがあった。
彼女の無念、自責、後悔。そういったもの全てが凝縮されているようだ。
「原因は、破滅級の出現だ。喜悦の悪魔を名乗っていたあいつのせいで、私たちは言い訳のしようのない敗北を喫したのだ」
夏美の言葉を聞く生徒が息を呑む。忸怩たる思いが、その場にいなかった者にまで伝わってくるようだった。
しかし、夏美は勇ましく声を張り上げる。あの時とは違うのだ、と示すために。
「しかし! 私たちは強くなった! あの敗北の日を忘れたことはない! 親しい人を失った経験は、私たちの心を強くした! そして、私たちの後ろで平和に生きる人々に同じ思いをさせたくないと誓ったはずだ!」
その言葉に、何人もの生徒が頷いた。皆、あの日敗北を経験して尚戦い続ける者たちだ。その胸にあるのは、決意。大事な人を奪われる悔しさを誰にも味わわせないために、彼女らは戦っているのだろう。
胸を打たれる。そうだ。彼女たちは、俺なんかよりもずっと強い心を持っているじゃないか。
「もう負けることはない! なにも失わない! 我々はあの日の雪辱を果たし、あのふざけた化け物共に打ち勝つのだ!」
夏美が拳を握る。冷徹な瞳には、普段見られないほどの熱量。その様子を見た生徒が息を呑む。
夏美だって、悔しかったのだろう。真央先輩についていくことができず、彼女を死なせてしまったことが。
──でも、それを言うなら俺の方が悔しい。
「──私も」
俺の大声に、多くの生徒が振り返った。驚いたような顔。俺がみんなに話しかけるなんて珍しいのだろう。
「悔しかった。あの日真央先輩が死なせたことが。自分の無力が。だから、力を貸してほしい。今まで散々自分勝手に戦ってきて今更何をって言うかもしれないけど、みんなの力が必要だと思う。たとえ破滅級が出てきたとしても、私が倒す。だから、みんなについてきてほしい」
夏美の言う通りだ。今の演説を聞いて俺は自分の勘違いを恥じた。
俺たちは、破滅級を倒すのと同時にこの国を守らなくてはならないのだ。必要なのは、復讐ではなく勝利。そして、俺たち全員が生き残ることだ。
「夏美のことを信じて、全力を尽くしてほしい。皆で明日を迎えるには、各々が持てる最大の力を発揮する必要がある。だから、勝とう。私たちは、もう二度と負けない」
語り終わって周囲の顔を確認すると、相変わらず驚いたような雰囲気を見せつつも納得してくれたみたいだった。
少し安堵する。自分があんまり信頼されているとは思えなかったからな。
「燐火先輩! お待たせしました!」
そんなことを思っていると、優香ちゃんが走って来た。
「珍しいね優香ちゃん。遅刻?」
「あはは……ちょっと行くところがあって、遅れちゃいました」
誤魔化すように曖昧に笑いながら言う優香ちゃん。彼女が隠し事なんて珍しい。
「燐火、今まで通りに行くぞ。お前たち二人は遊撃して敵を間引いてくれ。私がみんなの指揮を執って、撃ち漏らしを処理する。──それから、あのクソ悪魔を見かけたらすぐに教えてくれ。私も行く」
彼女らしかぬ獰猛な笑みに、俺も自然と笑顔になる。
「それじゃあ夏美、行こうか。私たちの雪辱戦。真央先輩の仇を取る戦いに」
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