第23話愚行記①

 淵上高校最悪の一日、太陽が没した日。あの日は、月のない夜だった。


 集結した戦乙女たち。眼前には数多の「魔の者共」。

 いつもの光景だ。しかし、今日は何かが違う。死線を乗り越えてきた戦乙女たちは、それを肌で感じ取っていた。


「燐火ちゃんと夏美ちゃんは、本当に待機じゃなくて良かったの?」


 先輩方は、今日の戦いには経験の浅い一年生は参加させないこととしていた。未熟な戦乙女が出てきては、死人が出る、と判断したようだ。

 遠くから見るだけでも、『魔の者共』の練度が今までと段違いだと分かったのだ。足並みの揃い方や体躯の大きさから、危険を察知した。


「はい! 先輩の役に立ちたいですから」


 夏美が元気に答える。相変わらず、真央先輩と話している時はびっくりするくらい嬉しそうだ。普段は睨みつけるような目つきのくせに。


「燐火ちゃんは?」

「私だって先輩の役に立ちたいです。それに、『魔の者共』をたくさん殺せる最高の機会ですからね。引っ込んでるなんていう選択肢はありませんよ」


 真央先輩と夏美が、俺の言葉に少し悲しそうな表情を浮かべる。

 殺せるから、というよりも自分が傷つけるから、なのだが、勘違いしてもらった方が俺的には好都合なので黙っておこう。


「燐火ちゃん。今日は私の指示に従ってもらうからね。いくら燐火ちゃんでも、死んじゃうから」

「善処します。それに、私は死にませんよ」


 俺の魂は、一度死んだようなものだ。死人がどうやって死ねるというのか。

 俺の命が終わるとは、単に蛇足の如き人生のような何かが終了するだけだ。


「……燐火ちゃんに何かあったら、私許さないからね」

「私も、燐火が好き勝手に動くのは気に食わない! 今日も独断専行したら、真央先輩の義妹やめてもらうからな!」


 静かに言う真央先輩に、ツンツンしながらこちらを心配する夏美。

 ああ、やっぱり美少女に心配されている状況は楽しいなあ。こう、自分が価値ある人間になった気がしてくる。二人とも真剣な表情なので、ニヤニヤしそうになるのをなんとか抑える。


「総員交戦を開始しろ! 三年を中心に交戦、二年は援護にまわれ!」


 三年生の先輩が声を張り上げると、それを合図に戦乙女たちが飛び出した。


「私たちも、行きましょう」

「うん。……燐火ちゃん、気を付けてね」

「はい」


 ああ、真央先輩は心配性で可愛いなあ。悦びに緩みそうになる頬を引き締めて、俺は戦場を駆けだした。



「上級種! 三時方向にいる!」

「必ず十人以上集めてから交戦しろ! 上級種を侮るな!」

「こ……こっちにも上級種がいます! 10時方向!」

「上級種が二体!? そんな!」


 戦況は混沌としていた。今日の『魔の者共』は、その数が多いだけでなく質まで一級品だった。上級種が一日に複数確認されるなんて初めてだ。


 戦乙女十人で戦ってようやく倒せるか、という強敵である上級種は、せいぜい半年に一度確認される程度だった。

 上級種は、他の化け物の指揮をしているようだった。おかげで敵の動きは洗練されている。まるで、軍隊と戦っているみたいだ。


 そして、俺の目の前にいる敵も一筋縄ではいかないようだった。


「フッ……!」


 目の前にいる獣人に対して両手から挟み込むように斬撃を繰り出す。

 しかし、反応が早い。獣人は両手の鋭利な爪で刃を受け止めた。


「グルルルル……」

「二刀流同士とは、奇妙な偶然もあったものだな……!」


 睨み合い、次の一手を模索する。しかし、獣人にとって、武器は爪だけではなかった。


「グルウッ!」


 第三の武器は、牙。体毛に覆われた顔が下を向いたかと思うと、俺の右腕に噛みついて来た。


「ぐう……!」


 腕から新鮮な血が噴き出す。凄まじい顎の力だ。獣人の口の中にある右腕が、潰れるのではないかという痛みを訴えかけてきている。


 ──ああ、最高だ! 


「はっ……ハハハ! 噛みつき! カニバリズム! そういうのは考えたことなかったな!」


 獣人は、俺が痛みに怯むと思ったのだろう。俺の小太刀を抑える爪がおろそかになっている。

 それでは、『血みどろ新星ブラッディルーキー』と恐れられた変態の力を見せてやろう。


「味見はもう十分だろ? ほら、離せ!」

「グルッ!?」


 俺は血塗れの腕を力任せに引っこ抜いた。途端、まるでカッターを突き立ててギリギリと皮膚を切り裂いたような痛みが走った。予想外の動きに、獣人の反応が遅れる。


「ふはっ……痛い! ああ、血塗れの腕、裂傷跡! これこそヒロピン! オレが求めたものだあ!」


 高笑いしながら、俺は左手を振り上げて獣人の頭へと振り下ろした。強硬な頭蓋骨すら粉砕して、俺の小太刀は脳髄を破壊してみせた。


「はあ……はあ……やばい、ハッスルしすぎたか。真央先輩とかに聞こえてないよな?」


 そういえば、と気づいて俺は周囲を見渡した。後方を見れば、真央先輩が次々と矢を飛ばして『魔の者共』を吹き飛ばしているところだった。相変わらず、その立ち姿は美しい。

 戦場に立つ真央先輩は、普段の天真爛漫な様子からは一転、冷静沈着で確実に敵を屠るスナイパーだ。


「おい燐火! 大丈夫なのか!?」


 真央先輩の様子を見ていると、夏美が近づいてきていた。その視線は、俺の血塗れの腕に注がれていた。


「私は大丈夫。夏美の方こそ無理しないで」

「じゅ、重傷のお前に言われたくない! なんだその出血の量は!」


 会話中も腕を伝って血が流れていた。

 もっとも、頭の中は痛みと心配されたことの喜びでフィーバーなのであまり気にしていない。


「そんなこと言っても、夏美は疲労している。いつもより目に覇気がない」

「相変わらず憎らしいくらいに人の観察が上手いなお前は……!」

「夏美のことはいっぱい見てきたから、当然」

「クッ……コイツ、無表情で恥ずかしいこと言いやがる」


 夏美は少しだけ頬を赤らめて目を逸らした。ああ、この様子なら夏美はまだ大丈夫かな。


 それよりもまずいのは、周りの先輩方だろう。俺は周囲の状況を観察しながら、思う。

 明らかに、負傷者の数が多い。既に撤退してしまった義姉妹も多い。敵の数は衰える様子がなく、戦い続ける戦乙女の負担は増えるばかりだ。


「夏美、私はちょっと遠くまで行ってくるから、あなたは真央先輩の近くにいて」

「は? お前、さっき真央先輩に独断専行するなって釘さされたばっかじゃないか!」


 夏美が憤慨する。しかしその言葉裏には、心配するような感情があった。それに気分を良くした俺は、続けて言葉を紡ぐ。


「明らかに先輩方の旗色が悪い。余裕のある私が頑張るべき。指揮を出している群れのボスを倒せば、だいぶ楽になる」

「余裕があるってそんな傷で何を……」


 夏美は俺の血塗れの右腕に目をやった。


「見た目よりも傷が浅いから、大丈夫」

「いやダメだ、今日は流石にヤバい! 敵の動きが明らかに違う。いくらお前でも死ぬぞ!」

「戦いの中で死ぬならそれでいい」


 どのみち、一度死んだ後の蛇足みたいな人生だ。むしろ俺が死んで皆が曇るなら最高じゃないか。


「ッ……お前が死んだら、お前を心配する真央先輩はどうなるんだ」

「……」


 下を向いた夏美の言葉に、俺は返す言葉がなかった。真央先輩も、さらに言えば夏美も、きっと俺が心配したら悲しむだろう。そのことに罪悪感はある。


 ──でもそれ以上に、死んだ俺を悼んでくれることを考えればそれだけで興奮できる。我ながら最低だが、二人が心配してくれるなら本望だ。



 何も言わずに、駆け出す。夏美が背後で制止する声をあげていたが、追ってはこなかった。きっと、真央先輩が心配だったのだろう。


 ざっと戦場を見渡した感じ、余裕があるのは俺くらいだ。この戦況を変えられるのは俺しかいない。


 俺は皆に曇って欲しいが、肉体的に傷ついて欲しいわけじゃない。


 ……それはそうと、俺が一番考えているのは自分が気持ち良くなることだ。まだ見ぬ強敵。それがもたらす痛みやピンチに思いをはせると、それだけで興奮できる。


 足が軽い。やっぱり俺の体は、痛みを感じれば感じるほど……もっと言えば、興奮するほどに軽くなっている気がする。


『魔の者共』を縫うようにして進む。行く手を阻む者は、一太刀で斬り伏せた。途中に息を引き取った戦乙女が地べたに転がっているのも見て、俺はさらに先を急いだ。これ以上犠牲者が出る前に、大元を叩かなければ。



「上級種……お前が群れのボスだな?」

「ゥウウ……」


 軽い体で敵をバッサバッサと斬り捨てていくと、ようやくそれらしい敵の姿が見えてきた。


 群れのボスは、普段滅多に目にすることがない種類、赤鬼だった。威圧感が、明らかに他の『魔の者共』と違う。

 体長は2m以上ある。腰巻き以外には何も身に着けておらず、赤い筋肉質な体が剥き出しになっている。手に持つのは、巨大な棍棒。一メートルほどあるだろうか。


「……流石に強そうだな。あの棍棒に頭でもぶち抜かれたら達してしまいそうだ」


 棍棒のゴツゴツとした表面は、よく見れば赤い血がついていた。その傍らには、倒れた戦乙女の姿が二つ。……ひどい有様だ。もう息はないだろう。


 間に合わなかった。わずかに歯噛みして、俺は目の前の敵と向き合う。


「ゥウウウウ!」


 観察していると、赤鬼はこちらに突っ込んできた。その足は速く、地面を踏みしめるたびにドスンドスンと重苦しい音がした。


「オオオオ!」


 俺も武器を手に駆け出し、交錯。赤鬼の棍棒は俺の腕を掠め、横に逸れる。


「イッタ……掠っただけでこの威力とか、当たったらオレバラバラになるんじゃないか?」


 一方俺の小太刀。腹部への突きは弾かれ、左腕への斬撃は浅く切りつけるに留まった。

 ダメだ、皮膚が硬すぎる。俺の剣速は当初よりもずっと上がっているはずだ。自惚れでもなんでもなく、三年生の先輩をも超えるほどのはずだ。しかし、通らない。


「ゥウウウウウウウ!」


 赤鬼の体が動き出す。地面に叩きつけた棍棒を手元に戻し、上段から一撃。大きなガタイに見合わぬ素早い一撃。回避が間に合わないと判断した俺は、右手の小太刀でそれを受け止めた。


「ぐう……」


 重たすぎる一撃は、落石でも受け止めているような気分だった。棍棒を受け止めている右腕がブルブルと震え出す。

 直に限界が来る。次の一手を打たなくては。

 しかし、判断は赤鬼の方が早かった。


「ゥウッ!」


 丸太のような脚が跳ねあがる。密着状態の俺の腹部に、赤鬼の膝が直撃した。


「ゴハッ……!」


 腹の中で何かが爆発したような痛みが俺を襲った。全身が揺さぶられるような感触。口から血混じりの何かが飛び出す。


「腹蹴りとはいいセンスしてるな……!」


 個人的には腹パンの次くらいに点数高い。

 しかし、変態がその程度で止まると思うな。


 痛みと同時に快楽を覚え、すぐさま反撃に向かう。

 密着状態から、小太刀を振るう。狙うは顔面、その中でも目玉だ。


 刃が躍る。俺の動きは、蹴りを食らう前よりも明らかに速さが増している。赤鬼のいかつい顔に次々と傷をつけていった。


「ゥウ……」


 咄嗟に手を出して顔面を防御したが、刃は赤鬼の左目を捉え、視界の半分を潰した。


「ゥウ……ウウウウウ!」


 怒りの咆哮と共に、赤鬼が高速で棍棒を振るう。横なぎ。振り下ろし。振り上げ。そこに挟んだ蹴り、殴り、体当たり。

 それら全てを、俺は紙一重で避けていく。今までになく頭が冴えている。棍棒の端が掠め、打撃を浅く食らう。

 しかし、それに合わせて俺も反撃を繰り返していた。腕を切りつけ、腹部を突き刺し、足を払う。


 上級種、ということで警戒していたが、俺のエンジンがかかってきた今なら勝てそうな予感があった。一挙手一投足が見える。敵の動きが手に取るように分かる。


「ッ……ハッ……どうした、そろそろ限界じゃないのか?」

「ゥウ……」


 体中から出血する赤鬼は、既に戦意が衰えてきているように見えた。見た目の雄々しさに反して臆病な奴だ。

 次の動きを観察していると、赤鬼はくるりと背を向けて逃げ出した。


「ウ……ウウウウウ!」

「なっ!? 待て!」


 あいつを放っておけば、他の戦乙女が死ぬかもしれない。

 踏み出す。地面を踏み抜かんばかりで駆け出した俺は、一気に駆け出す。最高速度のまま、最速で突き。かつてない速度で放たれたそれは、硬い筋肉の鎧を貫通し、心臓を破壊した。


「ウ……ウウウゥ……」

「はあ……はあ……」


 忘れていた呼吸を再開して、俺は赤鬼を観察する。どうやら無事に仕留められたみたいだ。山場を越えられた安堵に、一息つく。



 ──その隙は、あまりにも致命的だった。

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