第17話偉大なる我が義姉
ちょっと大人びたレストランに二人で行ってから、俺と優香ちゃんの仲は少しずつ深まっていた。四六時中一緒にいるというわけではない。それでも、週に一回の訓練以外にも、優香ちゃんが俺を昼食に誘ったりしてくれるようになった。
友達の少ない俺は、喜んで招待されるのであった。
今日優香ちゃんが招いてくれたのは、春の暖かい風が吹く屋上だった。俺たち以外に人っ子一人いない屋上はがらんとしていて、穏やかな雰囲気だ。
静かな環境に穏やかな気候。なんだか眠ってしまいそうだ。俺は空をぼんやりと見上げながら、そんなことを思っていた。
「燐火先輩、もしかして眠いんですか?」
「ん? ああ、ちょっとね」
ぼんやりとしたまま返事をして、空を見る。優香ちゃんは、手作りらしい弁当を摘まみながらも、俺に話しかけてきてくれた。一方の俺は、完全栄養食を謳うパンをモソモソと食べていた。
「最近、ずっと眠そうですよね。たまにお見かけする時も、少しボーっとしているようですし。何かありましたか?」
「うーん。ちょっと寝つきが悪いとか、その程度だよ」
「そうですか……」
さすがに、慕ってくれている後輩に『悪夢がひどくて眠れない』とは恥ずかしく言えなかった。義姉となかなか話せていないだけで眠れなくなってしまうなんて、まるで幼子みたいだ。
空から目を下ろして、優香ちゃんを見る。こちらを見るその目は、俺の様子を窺っているようだった。
「優香ちゃん、私がずっと眠そうだなんて良く分かったね。クラスの皆も、授業してる先生たちも、一人も指摘してこなかったのに」
「あっはは……燐火先輩は分かりづらいですからね」
デフォルトが無表情の俺は、何を考えているのか分かりづらいらしい。もっとも、本心を見抜かれたら全校生徒から軽蔑されてしまうので、(それはそれで興奮するが)好都合と言えよう。
「私の表情を見抜けた優香ちゃんには、『天塚燐火検定2級』の称号を授けよう」
「なんですかそれ……?」
眠さに任せて適当な冗談を抜かすと、優香ちゃんが困惑したような声を出す。
「国家認定資格だよ。誇っていい。この資格を持っているのは、優香ちゃん以外に二人だけだから」
「へえ……ちなみに誰が?」
「一人は夏美。優香ちゃんと同じ2級を取得している」
「黒崎先輩が……私と同じように先輩の本心を見抜けるってことですか?」
「そんな感じ。夏美とは、同じお姉様を抱いた仲だったからね。今はもう決別したわけだけど」
パンを咥え、モグモグと食す。ぱさぱさとした食感は、相変わらず美味とは言い難かった。箸を進める優香ちゃんは、何を言うべきか迷っているようだった。だから、俺が言葉を続ける。
「それから、唯一の1級取得者の桜ヶ丘真央先輩。私のお姉様」
「1級ですか……そんなに燐火先輩のこと理解してるんですね」
「それはもう。恥ずかしいところまで全部見せあった仲」
「きゅ……急に何の話ですか!?」
顔を真っ赤にした優香ちゃんが大声を出す。その様子があまりにも可愛らしくて、俺は少しだけ嗜虐心をくすぐられた。
「お姉様と私は、義姉妹をも超えた仲だと自負している。何も言わなくても言いたいことは伝わるし、一緒に過ごした時間の濃さはそこらの義姉妹とは比べ物にならない。夜も同じ部屋で仲良くやっている」
「え!? え!?」
優香ちゃんはキャパオーバーしてしまったらしく、目をグルグルと回していた。茹で上がった顔は、まるでタコみたいに真っ赤だった。
「フフ……ただ同室ってだけだよ」
「あっ……もう! 揶揄わないでください!」
プンプンと怒る優香ちゃんが可愛くて、つい笑ってしまう。
そんな風に揶揄って、パンを頬張る。穏やかな春の風が、俺たちの間を吹き抜けていった。
風が止むと、突如として沈黙が下りた。会話が途切れた隙間。お互いに食事を進める時間。
「燐火先輩は、本当にお姉様について話す時は楽しそうですよね」
「え、そうかな?」
それは少し照れるな。俺はちょっとだけ視線を逸らす。
「どんな人なんですか?」
「うーん、そうだな。──ちょっと昔話をしようか」
「……昔?」
俺は空を見上げて、真央先輩の下、夏美と肩を並べて戦っていた頃のことを思い出した。
◇
たしか、俺が入学してから半年経ったくらいだっただろうか。
瞳に殺意をぎらつかせて『魔の者共』が侵攻してくる。ファンタジーの世界から飛び出てきたような化け物共が地を駆ける姿は壮観だ。
それを迎え撃つのは、年頃の少女たち、戦乙女だ。二人か三人で固まって、各々の得物を構えている。義姉妹、という枠組みで定められたチームだ。
義姉妹の契りで結ばれた戦乙女は、戦場では一蓮托生だ。信頼して、助け合い、背中を預ける。命を懸けた戦いを共にすることで、義姉妹の絆は深まっていく。信頼の感情が育ち、時には恋愛感情にすら発展することがある。
二振りの小太刀を構えて、俺は目の前の化け物を睨みつけた。後ろからは、頼もしい真央先輩の声が聞こえてきた。
「燐火ちゃんは左のミノタウロスを、夏美ちゃんは右のオークを倒して! 他は全部私が抑える!」
「了解です!」
声と同時に、真央先輩の強弓が激しい音を立てた。飛び出した矢が、目で追うのも困難な速度で襲い掛かり、前方にいたゴブリンの矮躯を吹き飛ばした。
「さすが真央先輩……!」
呟きながら、俺はミノタウロスに飛び掛かる。左手で斧の一撃を受け止め、右手の小太刀を振るう。狙い通り、切っ先がミノタウロスの両目を切り裂いた。
「グオオオ!?」
痛みにバタバタと動くミノタウロスの体。好機とみて追撃を試みた俺。しかし、視界を失ったミノタウロスがバタバタと動かしていた足が、奇跡的に俺の顔面に突き刺さった。
「ごぼっ……」
顔のど真ん中への衝撃に、鼻血が飛び出す。痛みに顔を顰めながらも、俺の頭の中は一つの思考に支配されていた。
顔面強打の痛み……気持ちいい……!
「フッ!」
真央先輩も夏美もそばにいる以上、大声を出してハッスルするわけにはいかない。痛みを存分に堪能しながらも、俺は二振りの小太刀を力強く振るった。
「グオオオ……」
胸部を交差する傷口ができたミノタウロスが、その場に倒れ込む。起き上がる様子はない。
……前々から思ってたけど、俺やっぱり傷受けてる時の方が強くなってる気がする。戦乙女の力だろうか、それとも俺の性癖の力だろうか。
鼻血を拭いながら、そんなことを思う。
「り、燐火ちゃん血! 大丈夫なの!?」
真央先輩の心配してくれる声に、飛び上がりそうなほどに嬉しくなる。ああ、やっぱり自分が傷ついて心配されるのは最高だなあ……。
「問題ありません」
努めて冷静な声を出しながら、次の敵の方に向き直る。
そうこうしているうちにも、真央先輩の強弓から離れた矢が、『魔の者共』の体に突き刺さる。
夏美の方も、一体片づけ終わったようだ。彼女らしい豪快な太刀筋が、オークの体を吹き飛ばしていた。
それにしても、相変わらず真央先輩の敵を殲滅する速度は、俺と夏美を遥かに超えている。矢の威力も凄まじく、ほとんどの敵は一撃だ。
正直なところ、上級生を含めた戦乙女と比べても、真央先輩の技量はかなり上の方に来るのではないかと思っている。
さらに社交的で皆を元気づけてくれるのだからもう最高だ。最高のお姉様だ。
「スーッ……ハッ!」
後ろで奮闘する真央先輩に勇気づけられて、俺も目の前の敵を一撃で斬り捨てる。小太刀の刀身は短いが、その分扱いやすい。急所を的確に狙うのには適している。意識を集中させて一振りすれば、最短で終わらせられる。
……しかし、それだとちょっと物足りない。やっぱり俺が何回か攻撃を受けてボロボロになるくらいがちょうどいいんだけどなあ……。
「お、ちょうどいい奴がいた」
見れば、前方には一際大きな熊のような化け物がいた。その体長は、3メートルを超えるだろうか。獰猛そうな目がこちらを見る。ちらと後ろを確認すると、真央先輩も夏美も目の前の敵で手一杯のようだ。
「仕方ないね。うん、これは仕方ない。決して自らピンチに陥りに行っているわけじゃないから!」
ぴゅう、とその場から走り出し、俺は見るからに強敵な巨大熊と対峙した。
◇
ほどほどに戦って、それなりに気持ちいい思いをしてから、俺たちは学校に帰還することになった。ちなみに今回の俺の負傷は、鼻血、足の打撲。内臓の軽微な損傷。それから軽い切り傷だ。
「燐火ちゃん、あんまり無理しちゃだめだよ?」
「ご心配いただきありがとうございます。でも私は大丈夫です」
実際のところ大丈夫じゃない。痛みが、じゃなくて興奮が。そこら中がズキズキ痛いし、真央先輩は心配そうな顔でこっちをずっと見つめているし、夏美は心配だけど心配してることを悟らせないためにチラチラとこちらを見てきている。
……最高か? 俺はいっぱい痛みを感じられて、先輩も同僚も心配してくれる。ここが天国だろうか。
「燐火、何度も言ってるが突っ込みすぎだ。そのうち死ぬぞ?」
「死んでもいい。『魔の者共』を一体でも多く屠れるなら本望」
どのみち一度死んだ身だ。もう一度死ぬのは怖いと言えば怖いが、俺が死ぬ時の皆の曇り顔を想像すれば、恐怖も和らぐというものだ。
「燐火ちゃん、私もちょっと不安だな。今日だってそんなボロボロになって、無理してない?」
「真央先輩、ありがとうございます。でも、家族を殺された私にとって、これが存在意義ですから」
家族を『魔の者共』に殺されたことは、すでに二人に話してある。
「燐火ちゃん……」
そんな俺の言葉を聞いて、真央先輩のいつも明るい顔が曇っている。形のいい眉が下がって、痛ましげに目を細めている。
──ああ、あなたのそんな顔が俺に向けられるのなら、俺の二度目の生にも価値があるというものだ。
「あ、いたいた! 真央! ちょっといい?」
お通夜のような雰囲気になってしまった俺たちの元に、突然遠くから声がかかった。真央先輩の同級生だろうか。こちらに歩いてくるその足には、痛々しい打撲跡があった。
「ちょっと春奈、その傷大丈夫なの?」
「あっはは。いつも傷だらけで帰ってくるあんたの義妹ほどじゃないって。ってそれはどうでもいいんだ。ちょっと今日の戦いで分かった問題点について相談したいんだけど、後で時間取れない?」
「うん、また後で声かけてくれれば相談に乗るよ?」
「ありがとう! いつもごめんね? じゃあまた!」
慌ただしく去っていく二年生。
「真央先輩は相変わらず人気者ですね。皆に頼りにされてるじゃないですか」
俺の身を案じる二人がいつまでも暗い雰囲気なのも気の毒なので、適当に話題を振る。
「え? あはは、燐火ちゃんに素直に褒められると照れるなあ……」
頬を掻きながらちょっと視線を逸らす真央先輩。可愛い。
そんな様子を見て、夏美も声をかけた。
「でも、先輩が皆に慕われてるのは見てれば分かりますよ。先輩の『
夏美は相変わらず真央先輩に心酔しているようだ。そのうち告白でもしてしまうのではなかろうか。
「うぅ……」
あ、真央先輩が顔を真っ赤にして俯いた。さらに可愛い。
これは……攻め時だな?
「それに慕われてるだけじゃなく、直接的な戦闘力も高くて、三年生にも認められてるじゃないですか。人によっては、先輩が今のエースだって言うくらいですよ。私から見ても、先輩の実力は三年生にも劣っていません。先輩の弓を引く姿は堂々としていて、見惚れてしまうほどですよ」
「う、うぅ……」
真っ赤になった顔を覆ってしまった真央先輩。その様子があまりにも可愛らしくて、俺はつい笑い声をあげてしまった。
「フフ……アハハハハ!」
「り、燐火ちゃん、揶揄ったな! この、姉に逆らうとは悪い妹め!」
真央先輩は俺の方に駆け寄ってくると、頬を引っ張り始めた。
「いひゃい、いひゃい。ひぇんはい、いひゃいです」
「何をー、可愛い声だしやがって。これくらいで許してやると思うなよ?」
真央先輩は、今度は俺の脇をくすぐりだした。
「あはは! せんぱいっ、ダメです! あは……あはははははは!」
これはまずい……! 俺の性癖が微妙に反応してる! 酸欠という責め苦は俺には効いてしまうー!
「燐火のそんな声初めて聞いたぞ……」
「ほら、暴れるな。このスレンダー美少女め、普段はすまし顔してるくせにいい笑顔するじゃねえか。こちょこちょこちょ!」
「あはははははははは! 無理! 無理です! あは、あははははは!」
あ、待ってヤバい! 大好きなお姉様に責められているという感覚におかしくなりそう! さっき鼻血出した時とは比べ物にならないほど気持ちいい!
「ふう……これで分かったかね? お姉様の威厳というものが」
くすぐりからようやく解放された俺は、凄まじい疲労感とともに肩で息をしていた。
「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……先輩はもしかしてドSなんですか?」
「解放された途端に失礼なこと言い出しやがるなこの後輩は。違うわ」
それは残念。
「燐火お前、そんなに笑えたのか……」
「夏美も真央先輩のくすぐりを食らえば同じ目に遭う。試しにやってみるといい」
「ナイスアイディア」
俺の言葉に目を光らせた真央先輩が、手をワキワキさせながら夏美にじわじわと近づいていった。
「い、いや! 私はいい! 真央先輩! いいですって! っていうか私は別に先輩を揶揄ったりしてないじゃないですか! おい燐火、余計なこと言うな! あああ、待ってください先輩……あっ、あはははははは!」
◇
「なんだか、楽しそうな人たちですね」
「うん。真央先輩がいると、その場が明るくなる。あの無愛想な夏美ですらも饒舌になる」
「それはなんだか想像がつかないですね」
笑う優香ちゃん。真央先輩が皆を元気づけるのは、何も義姉妹間だけではない。同級生と話す時も、上級生と話す時も、相手を笑顔にしてしまうのは天賦の才と言えよう。
「それに、真央先輩は戦乙女としても一流。あれほど遠距離攻撃に優れた戦乙女は他に見たことがない」
「へえ……」
真央先輩の強みは、攻撃の鋭さと正確さ。それから常に冷静に周囲を見ている落ち着きだ。
普段の元気な姿からは想像もつかないが、真央先輩はどんな苦境だろうと冷静な判断を下せる才能がある。
「何よりも、私にとって大事な人」
それだけは、確かに言える。
「ふふっ、燐火先輩、本当に嬉しそうですね。ちょっと妬いちゃいます」
「まあね」
「今度、私にも会わせてくださいね」
「そのうちね」
ああ、なんだか久しぶりに真央先輩とじっくり話したくなったなあ。
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