第7話黒崎夏美の懸念

 放課後の戦乙女たちの過ごし方は様々だ。街まで出て、遊びに出かける者。

 学校の敷地の中にあるカフェに行き、リラックスして過ごす者。(淵上高校は、商業施設を敷地内に所持している。服屋、美容院、食事処など、年頃の乙女が必要なものは一通り取り揃えていた)

 教室に残りダラダラとだべる集団。

 そして、そんな中にあって鍛錬を欠かさず、『魔の者共』との戦いに備える者たちだ。


「失礼しまーす……うわ、凄い人」


 鍛錬室には、ジムのような設備が整っている。ランニングマシーン、ダンベルなどオーソドックスなもの。奥の方では、どうやら戦乙女同士で組み手を行っているようだ。

 熱気に溢れるそこは、なんとしても『魔の者共』を倒して日本を恐怖から解放するのだ、という気概に溢れた戦乙女でいっぱいだった。


「おお光井、早くも鍛錬か? 精が出るな」


 見れば、昨日光井を導いてくれた先輩、撃破数ナンバー2の黒崎夏美が、優香に話しかけてきていた。


「は、はい。じつは、燐火先輩にここに来るように言われていて……」

「……燐火先輩?」


 優香の言葉を聞いた夏美が、眉を顰めた。目つきの悪い彼女がそんな仕草を見せると、それだけで威圧感がある。

 内心怯えながら、優香は答える。


「はい、実は昨日、燐火先輩に義姉妹にならないか、と誘われて、それで交流を持たせてもらうことになったんです」


 その言葉に、夏美はひどく驚いたような顔を見せた。


「あいつが、義姉妹……?」

「はい。……あの、何かおかしかったですか?」

「…………いや、珍しいこともあると思っただけだ」


 そう言うわりに、夏美は色々と考えることがあるようだ。腕を組んで、目を瞑る。いつもより怖そうな顔をしている、と優香は思った。


 やがて、躊躇しながらも、彼女は優香に静かに語り掛けた。


「ただ、一つ言えるとすれば、あいつの義妹なんて、オススメはできないぞ。あいつは常人とは違う。一緒にいても苦しいだけだ」


 苦々しそうな言葉。夏美の複雑な表情には、燐火への嫌悪が含まれているようだった。それに黙っていられずに、優香は声を荒げる。


「り、燐火先輩は勘違いされやすいだけでいい人です! どうしてそんなこと言うんですか!」


 優香の剣幕に、夏美は苦しそうに顔を歪めた。強気な様子だった夏美らしからぬ態度に、優香は少し違和感を覚える。


「お前に詳細を話すことはできないが、あいつは普通の奴が近づいていい奴じゃない! どっか狂ってんだよ。……半年前、私はそれを確信した」

「黒崎先輩……?」


 含みのある言葉。半年前に何があったのか、優香が尋ねようとした時。


「夏美、私の妹に何か用かな?」


 燐火の声が、鍛錬室に静かに響いた。

 彼女の姿を認めた夏美は少し動揺するような様子を見せたが、すぐに気を取り直して、彼女に食って掛かった。


「燐火……お前、義妹なんて正気か? コイツがお前と一緒に戦えると思ってんのか? 新入生をむざむざ死なせに行くのなら、私も黙っていないぞ」


 二人の視線が交錯する。夏美の鋭い視線に対して、燐火の目は普段と同じく、あまり感情を映していない。


「優香の力は凄い。五人一組のチームで安全に着実に経験を積んで、なんてやっていたらもったいない。私と一緒に来て、どんどん経験を積ませるべきだと思う」

「お前が今の戦乙女の戦い方に疑問を覚えているのは良く知っている。たしかに、今のままだと新人が経験を積むことができずに育成が難しい。でもそれは、命を優先してのことだ。それについてはお前も同意してくれたはずだ」


 燐火は静かに頷く。夏美の僅かな嫌悪を孕んだ目に貫かれても、燐火は少しも動揺していないようだった。


「夏美が苦心して今の制度を固めたことは良く知っている。そのことを全部否定する気はない。でも、優香の力は一つのチームに留めておくなんてもったいない。それこそ皆の命を考えたら愚策だよ」

「なに? お前、何考えてる?」

「簡単に言えば、私が優香を護衛しながら戦場を駆けまわって、治療が必要なチームのところに彼女を届ける。彼女は経験を積めるし、負傷して撤退するチームを減らすこともできる」


 現行の制度だと、チーム内に負傷者が出た場合は、五人全員で撤退することが推奨されている。戦乙女の命を考えれば、それは一番良い方法だ。


 負傷者を守りながら撤退するのは、一番難しい場面であり、全員で事に当たった方がいい。それに、チームに穴が開けば、他にも負傷者が出るかもしれない。


「今の制度で学校を守れるのならいい。だけど、あの日みたいなことがあったら、今の皆じゃ耐えられないと思う」


 夏美の表情に苦みが走る。


「だからこそ、安全な状況で一年生にどんどん経験を積んでもらっているんだろうが」

「あいつがいつ来るのか分からない。使える人材はどんどん伸ばして備えておくべき」


 そのために、優香の力を活かさない手はない、と燐火は語る。優香がいるチームは負傷者が出ても撤退せずに済むが、他のチームは優香の力の恩恵を受けられない。


「優香の力を皆に届けるには、今のチーム制度じゃなく、従来の義姉妹制度、ツーマンセルが最適だと思う。そして優香を守るのなら、私以上の適任はいない」

「──守れるのか」


 夏美の静かな問いに、今度は燐火が動揺するような様子を見せた。その様は普段堂々としている彼女らしくなくて、優香は少し驚いた。


「……守るよ。私の命に代えても」

「信じるぞ。守れなかったら、私がお前を今度こそ殺す」


 物騒な言葉だったが、夏美の表情はどこまでも真剣で殺気すら感じられるものだった。この場で燐火に斬りかかってもおかしくないほどだ。


 けれどそれを受けた燐火は、薄く笑みを浮かべた。それは、見ている者を不安にさせるような、いつも泰然とした彼女らしからぬ笑みだった。


「あなたには私を殺す権利がある。いつでもいい」



 ◇



 色々語ったが、半分くらいは優香ちゃんを独占するためだ。いやまあ嘘は一言も言ってないが。


「あの、先輩、本当にあんな啖呵切ってよかったんですか?」


 優香ちゃんが不安そうな顔でこちらを見ている。相変わらず可愛らしい。


「構わない。あれは全部私の本心」

「でも、なんか最後凄い険悪な雰囲気だったんですけど……」


 ああ、恐らく彼女が言っているのは、最後の殺す殺さないの話だろうか。


「元々私と夏美の関係性はあんなものだった。優香ちゃんが気にすることはない」

「で、でも! 喧嘩してるなら仲直りしないと……」


 健気な姿に、癒されてしまう。本当に、彼女は優しい子だ。


「喧嘩じゃないよ。──あれは、決別」


 俺と彼女の間にあるのは、喧嘩なんて生易しいものではない。そういう強い意思を籠めて言うと、優香ちゃんは困った表情で黙り込んでしまった。

 ……ああ、無駄に困らせてしまったな。俺が見たいのは美少女の曇り顔であって、困り顔ではないのだ。


 一度咳ばらいをして、彼女に呼びかける、意図的に声音を変えて。先ほどまでの話は終わりだと告げるように。


「ああそうだ、改めて聞きたいんだけど、さっき私が言ったこと、同意してくれる? 私と一緒に戦場を駆けまわってくれる?」


 うっかり先走ってしまったが、優香ちゃんにも聞いておくべきだった。今のチームで守ってくれる戦闘スタイルじゃなくて、私についてきてくれるのか。


「……今の私には先ほどの先輩方の話を完璧に理解できたわけではありません。でも、きっと先輩は、私が一番人を助けられる道を提示してくれているんですよね?」


 優香ちゃんの瞳には、強い意思が籠っていた。やっぱり、と俺は確信する。


 彼女は優しい。そして、何よりも人のために動くことができる人間だ。

 彼女の目を見て、俺は瞬時に確信した。なぜならば、瞳の光があまりにも真央先輩に似ていたからだ。

 真央先輩と同じ、何よりも人のために動くことが出来る人間。だからこそ俺は、優香ちゃんに惹かれたのだ。


「うん。優香ちゃんならそれを望むだろうと思ったから」

「なら、私に異議はありません」


 ああ、本当に真っすぐな子だ。歪み、捻じれた俺が嫉妬してしまうほどに。


「──よし。じゃあ、まずは今日のトレーニングメニューから行こうか。まずはランニング30km」

「……え?」


 あ、優香ちゃんの表情が消えた。いい表情だ。ご飯三杯はいけるね。

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