最強戦乙女の愚行記~ドMなTSっ娘は心配されながら傷つきたい~

恥谷きゆう

太陽の如きお姉様

第1話ドM乙女の心は複雑怪奇

 化け物と戦うことを宿命づけられた少女、天塚燐火は元男でマゾヒストだ。

彼女が己の性癖を開花させるに至ったのには、複雑な経緯がある。



 前世において、俺は男であった。健全に漫画やアニメを嗜み、美少女の戦う様に興奮した。魔法少女。戦うヒロイン。銃を持った女子高生。

 様々な作品を吟味した俺は、己の性癖を悟る。

 すなわち、美少女が傷つく様は美しい。手足を拘束される時、腹を殴られた時、手傷を負い痛みに顔をしかめる時、彼女らはもっとも輝く。


 そう悟った俺は、次々とそういったシーンを消費していった。ヒロピン、リョナ、触手。

 素晴らしかった。美しい少女の絶望顔。愛らしい女の子の苦痛に歪む顔。それを見る仲間たちも、まるで同じ痛みを受けているように苦痛の表情を浮かべる。


けれど、あらゆる性癖を食らい続けた俺は、やがて深い失望に包まれることになる。

 ――どうして俺は、美少女になってピンチに陥ることができないのか、と。



 俺を十年近く蝕んだ思考は、俺を狂わせた。自分が美少女だったなら、痛覚を、屈辱を心から堪能できるのに。それは渇望であった。灼熱の砂漠で三日間過ごした人間が水を求める如く、俺は美少女になって痛覚を得ることを渇望した。





「あれ!? 俺美少女になってる!? ひどい目に遭うことができる!?」

 

 夢は叶った。俺は歓喜し、その場で絶頂した。当然、比喩である。完璧な美少女たる俺は、簡単に淫らな姿を晒すわけにはいかないのだ。

口端に伝った唾液を拭って、俺改め私は一人深呼吸をして、息を整えた。


「スーッ……ハーッ……フヒッ」


 深呼吸すらまともにできないほどに俺は興奮していた。変な声が漏れる。

 

 そんな風にまだ見ぬヒロピンを想像してゾクゾクしていた俺は、数分かけてようやく己の現状の整理に頭を回し始めた。


「女子制服……この感じ、女子高生ってところか」


 上品な装いの制服を盛り上げる、胸部の膨らみを軽く掴む。微かな快感。けれど俺は、この胸を蹂躙するのは意に添わぬ、嫌悪するべき相手であるべきだと思っていた。例えばそう、下卑た顔で胸を鷲掴みするような下郎であるべきだ。

 だから遊ぶのはほどほどにして、現状分析に戻る。


 生徒手帳らしきものを開く。淵上高校一年、天塚燐火 おお、顔写真可愛い。凛とした顔立ちがいい味出してる。高校一年生かー、若いなー。とりあえずこれは仕舞っておこう。


 スカート丈は膝のあたり程度か。軽率に短く折らない様子は気品を演出している。――興奮する。

 スカートの脇には、制服にはあまりにも不釣り合いな日本刀が二本吊るされていた。丈はやや短い。小太刀、と分類されるのだろうか。

 鞘に収まるそれはどうやら真剣のようだ。慣れた所作で一本を抜刀した俺は、刀身を眺めてそう分析する。


「……おお、やっぱり美しい顔だ」


 曇り一つない刀身に映った顔は、凛とした美少女だった。黒髪は艶艶としていて、烏の羽を思わせる。細められた目は、やや不機嫌そうに見えるだろうか。俺的には、今めちゃくちゃ興奮してるんだけどな。


「……というか、刀を持っているってことはやっぱりどこかに敵が……?」


 少女が戦う作品をたくさん食らってきた俺の直感的には、この体は戦うためにどこかに向かわなければならないのだと思うのだが……。


「おーい! そこのひと―!」


 遠くから、今の自分と同じ年代くらいの少女が近づいて来た。よく見れば、その身に纏う制服は俺と同じだ。


「ハァッ……ハァッ……探したよー? まったく、登校初日からおさぼりなんて、君いい度胸してるねー?」


 息を切らしながら俺の前まで来た少女は、俺に小言を言った。けれど、その口調はあくまで明るいままで、あまり怒っているという印象は受けなかった。


「えっと、あなたは……?」


 正直、ここに来るまでこの体がどうしていたのか全く分からない。俺の最後の記憶は、男の俺が――死んだところで終わっている。


「うん?」


困惑したような声をあげる少女。彼女は、愛らしい顔立ちの女の子だった。年は俺より少し上だろうか。幼げな顔だが、よく見れば体の発育など大人びたところがある。明るい茶色の髪が、サイドアップになっている。


「ふっふっふ! 今日からあなたのお姉様になる人です!」


 少女はなぜか得意げに胸をそらすと、自信満々に言った。


「えっと、お姉様?」

「うんうん! いいねいいね! もっと言って! もっとお姉様って呼んで!」

「お姉様」

「くーっ、この響き、先輩もこんな気持ちだったのかなー!」

「お姉様」

「はい、あなたのお姉様ですっ! どうしたのかな、愛おしい我が妹よ」

 

 あ、ようやく話を聞いてくれる姿勢になった。


「えっと、髪の色が違うんですけど本当にお姉様ですか?」

「ぇ?」


 天真爛漫、と言った様子だった少女の笑顔が、突然凍り付いた。


「妹じゃない……私に妹はいない……? っていうか君の名前は?」

「あ、はい。天塚燐火です。あの、名前を知らないのに姉を名乗っていたんですか?」


 この人怖い。不審者?

 けれど俺の言葉にも、彼女は得意げな笑みを見せたままだった。


「ふっふっふ。君と私が義姉妹になることは、ずっと前から決まっていたんだよ……! そう、これは絡まり合う因果律が生み出した奇跡の邂逅……! 時代の荒波に翻弄されながらも、ついに私たちは再び巡り合ったんだよ……!」

「ああ、なるほど。義姉妹制度ですか。学校から既に決められていたんですね。すいません、見落としてました」


 俺は彼女を放って学生帳を捲り、記載事項を改めて確認していた。そこには、見慣れない、義姉妹役、という欄があり、「桜ヶ丘真央」という名前が記載されていた。


「えっと、桜ヶ丘先輩で良かったですか? 入学初日から遅刻してしまい大変申し訳ございません。入学式の案内の用紙を紛失してしまいまして……」

「あらら、どうやら見かけによらずドジっ娘みたいだね。私の妹は」


 桜ヶ丘先輩は、妹、の部分をやけに強調して言った。


「仕方ない、私が連れてってあげるから、ほら、手」

「あの、幼児ではないので手を繋ぐ必要は……?」

「いいから、ほら! ドジっ娘ちゃんが転ばないように!」

「はい……」


 おずおずと、手を握る。あったかくて柔らかい。

そうしてから、ようやく気付く。

……これはもしかして、結構な羞恥プレイなのではないだろうか!?


 入学式に遅れて教室に入ってくる新入生。わざわざ上級生に手を引かれての登場。突き刺さる視線。呆れた目。叱咤。


 ……ゾクッ


 こんな快楽を簡単に味わっていいのか!? うおおお、美少女ライフ最高だー!



 興奮していたらいつの間にか目的地についていたらしい。

少女に連れられて到着したのは、大きな学校だった。四階建ての校舎は、味気ない白色。立派な正門。門の前の札には「淵上高校」と書かれていた。


「じゃあ、お姉ちゃんはこの辺で。クラスの皆と仲良くするんだぜ、愛しの妹よ」


 桜ヶ丘先輩は、あっさりと俺の手を離してしまった。……ああ、やっぱりそう上手くはいかないか。クラスメイトに初日から呆れた視線を向けてもらえると思ったのに、残念。


 けれど、個人的に桜ヶ丘先輩は短い間話しただけでも好感を覚えた。明るい口調、豊かな表情、話すたびにわちゃわちゃと動く腕。

 愛らしい、という言葉がまさしく似合うような人だった。

 ――あの人に、私が傷つく様を見届けて欲しい、と思えるほどには。


 今の俺はマゾヒストだが、単に自分が傷つけば満足、というわけではない。傷つく自分を心配してくれる人がいる方が、もっと興奮する。


 悲劇のヒロイン気取り? まあ、そう読み取ってもらってもいい。

でも俺自身の分析から言うと、それとはちょっと違う感情だ。


価値あるものが傷つき、貶められる方が興奮しないか?


 傷つくことを皆に心配してもらうほどの人間。貶められることを、誰かが代わりに怒ってくれるほどの存在。

 そういう人が傷つき、苦悶の表情を浮かべることこそがもっとも美しい、と被虐趣味者的には思うのだ。

 

 だから俺は、自分がマゾヒストだ、なんて滅多な事がない限り言わないだろう。そんなこと言ったら、皆が俺を心配してくれなくなる。


「桜ヶ丘先輩」

「うん?」


 先輩に呼びかける。先輩には、私のために曇ってもらう要員の一人になってもらわなければ。だからここで、ちょっと媚を売っておこう。


「これからお願いしますね、お姉様」


 言い終えると同時に、最大限の笑みを。どうにも表情筋の硬いこの体にしては上手くいっただろう。

 桜ヶ丘先輩は、大きく目を見開いて呆然と俺を見つめていた。

 フッ、堕ちたな。


 謎の確信を得て、俺は教室へと向かって行った。





「いやあ、あの頃の燐火ちゃんは可愛かったなー。お姉様って! 私のことお姉様って言ってたもんなー!」

「い、イヤー! やめてください真央先輩! オレの黒歴史を掘り返さないでください!」


 真央先輩の前でだけ見せる素の俺の状態で、俺は絶叫した。

先輩は、俺の動揺する表情を見てケラケラ笑っていた。その元気な様子は、一年前とほとんど変わりない。ずっと可愛らしい彼女のままだ。


 さて、俺が戦乙女として戦い始めてから、一年が経った。

 淵上高校は、全寮制だ。寮の部屋は、そのほとんどが二人部屋だ。

 俺は唯一美少女への擬態を解くことができる自室で、桜ヶ丘真央先輩と話をしていた。


「本当に、あの頃のドジっ娘な燐火ちゃんはどこに行っちゃっただろうねえ。今じゃ撃破数ナンバー1の大エース様。お姉ちゃんはちょっと寂しいです」


 この体になってから俺は、皆に尊敬されて、頼りにされ、何よりも心配される人物になるために全力で頑張った。

 本当に頑張ったのだ。毎日欠かさず素振りとランニングをして、体力の向上に努めた。

 実戦では、誰よりも前で戦い続け、敵を屠り続けた。おかげで今では、真央先輩の言う通り、撃破数ナンバー1の大エース様だ。


 ……ぶっちゃけ、戦って負傷するのが気持ち良かっただけである。

美少女になった俺は無敵だった。ランニングで息が上がり、心臓が痛くなれば、それだけで気持ちよくなれる。素振りのし過ぎで血豆が潰れると、気持ち良さのあまり大笑いしてしまったものだ。


 何よりも、敵に攻撃される快感といったら……! もう、天国に昇ってしまいそうだった。足を斬られ、頭を殴られ、腹を刺された。そのたびに俺は歓喜した。ああ、これこそが快感。最高の痛みだ、ってな。


 ちなみに、そんなことをしていたおかげでいつしか俺は『血まみれ一等星』なんて物騒な名前で呼ばれ、恐れられるようになった。



「でもお、私は今でもあなたのお姉様なんだから、頼ってくれてもいいのよ? あ、またお姉様って呼んでくれたらハグしてあげる!」


 真央先輩は両手を大きく広げると、カモンカモン、と手をこまねいた。

 少しだけ心惹かれたが、俺はその気持ちをグッとこらえ、あくまで冷静に答える。


「いやですよ。そんなことしたら、最強の戦乙女の名折れじゃないですか」

「ええー! どれだけ強くても、燐火ちゃんは燐火ちゃんでしょ! もっと私に頼ってくれたっていいじゃない! もうっ!」


 ぷくっと可愛らしく頬を膨らませる先輩。そんな様子に、思わず口角が上がってしまう。


「もうオレは人の上に立つ人間ですからね。いつまでも妹分の身に甘えられませんよ」

「ええー、マゾヒストなのに?」

「……」


 そう言われると、何も言えない。

俺は俺の快楽のためにこの嗜好については誰にも教えないつもりだったが、真央先輩にだけは本当のことを話していた。先輩にだけは、もう何も隠したくなかった。


 そんな様子の俺を見て、真央先輩はまた優しい笑顔を見せてくれた。


「そんなに背伸びする必要ないと思うけどなあ。燐火ちゃんは燐火ちゃん。可愛くて、クールで、ちょっとドジで、そして困った趣味を持ってる子。最強だとかなんとかは、後からついてきた結果。それに囚われる必要なんてどこにもないんだよ?」

「……先輩は、相変わらず凄いですね」


 俺の悩みをあっさりと見抜いて、適切な助言をくれる。本当に、いつまでも頭が上がらない。


「さて、そろそろ寝る時間かな? 燐火ちゃん、今日は添い寝、する?」

「しませんよ! いつもしてるみたいな言い方しないでください!」

「ええー、強情だなー。じゃあ、こういうのはどう? ――失望した。添い寝してくれないなら、燐火ちゃんなんて嫌い」

「あふんっ……」


 真央先輩らしからぬ冷たい声だった。それに興奮した俺は、思わず変な声をあげてしまった。先輩は、そんな俺を見てちょっと眉を下げた。


「……燐火ちゃん、ちょっと気持ち悪かったよ」

「うぐっ……」


 先ほどの比ではない衝撃が、俺の胸を襲った。

 気持ち悪いって……真央先輩に気持ち悪いって言われた……! 基本的に人に蔑まれるのはウェルカムな俺だが、好きな人に言われると流石に傷つく。

 一年の時を経て、俺と真央先輩の関係は義姉妹、なんて言葉では言い表せないほどに深いものになっていた。


「ふふっ……ごめんごめん。好きな人にはちょっと意地悪なこと言っちゃうものなんだよ! さ、寝よ寝よ!」


 ころりと表情を変えた先輩は、明るい口調でそう呼びかけてきた。

好きな人、と言われた俺の気分は一瞬で回復する。我ながら現金なものだ。


「おやすみ、燐火ちゃん。……あっ、寝てる間に勝手にベッドに入ってきてもいいからね! むしろ来て! 妹を抱き枕にして寝るの私の夢だったんだ!」


 相変わらず、賑やかな人だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る