第10話

[まだ誰も登校していない、早朝だ。

 まあ、学校の鍵を開ける当直の先生はいるだろうが。そもそも、俺が無理を言って早めに開けてもらったわけだし。俺にとってこれは必要なことだからな。

 人がおらず静かだからか、足音がよく響く。

 屋上のドアの前に立つ。鍵を開け、一度深呼吸をした。

「行くか」

 ドアを開け、屋上を見渡した。静かだ。誰かが死んだ、…正確には落ちた、ような雰囲気は無い。

「なあ、猫間光。きっと、お前と話すのはこれで最後だ」自分は柄にもなく感傷的になっているようだ、他人事のように思う。

《うん、君が言うなら、そうなんだろうね》

「お前の願いは、何だ」

《前も話したけど、黒崎君と勇斗を、静永勇斗を仲直りさせたい。あ、いや、仲直りっていうのかは、わからないけどね》

「そうだな。…今のお前の存在は、その心残りを叶える為に残った、心の欠片だ」

《うん。そして、その心残りを、君が叶えようとしてくれている。君が来なかったらどうなってたんだろうね》

 そう、猫間光は、忘霊のような存在でここに残っているのだ。

 生きている間、どんな奴だったのかは知らない。でも、自分がいなくなった後のことを考える、とても優しい奴だ。

 今、黒崎と静永の仲が険悪になってしまったのは、猫間が死んでしまったのが原因だ。だから俺は、絡み合った思いを解きほぐすため、動くことになった。

《ありがとう。僕の願いを聞いてくれて》

「…本当は、猫間自身ができたら、いいんだけどな」

《まあ、本当にそうだけど、言っても仕方ない、よね》淡く笑いながら言った。

 本当のことだ。本当は、二人の仲は猫間がとり持てたら良かった。でもそれを一番思っているのは、俺ではなく、猫間だろう。

 猫間は、自分をいじめる相手の気持ちさえ考えられる奴だ。死んでいいような人間では無い。

「取り返しがつかなくなる前にわかりあうことは、できなかったのだろうか」

《…きっと、きっかけが必要だったんだよ。誰にとっても》少し悲しそうな声音で言う。

 心の中で言ったつもりが、声に出てしまっていたようだ。

「猫間の言う通り、誰か一人にでも背中を押すきっかけがあれば、和解だってできて。それによって今も、変わっていたのかもしれない。俺には知る由も無いがな」俺には、何も、することができない。だから、後悔もできない。ただ、虚しいだけだ。それはとても、悲しいことだ。

「しかし、この時間も終えなければならない」

《そうだね》寂しげに微笑みながら言う。

《心残りは、君が果たしてくれる。だからもう、終わり。いざその時になると、寂しいね。でも雨の日でよかったな。雨は、綺麗だ》

「そう、だな」

《うん。ありがとう、今まで。君も、幸せになってね》

 そう言って猫間は笑う。それは、消えゆく命の、寸前の足掻きの輝きとでも言うかのように、美しく透き通った笑みだった。

《ありがとうって、伝えておいてね。さようなら》その姿は、だんだん光る粉になり、消えていく。

「わかった。こちらこそ、ありがとう。さようなら」

 猫間の、『幸せになってね』と言う言葉が、胸の奥で響き続けている。

 これで、終わりだ。

「猫間光。今は静かに眠れ。お前の優しさが、いつかお前自身も救うことを、願っている」その言葉は、朝の静かな空気と相まって、何処か厳かに響いた。

「それにな、お前も幸せになれよ」]


 こうして、朝の冷たい空気は次第に薄れていく。朝の明るい日に照らされて、やがて影は、消えていく。

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