私の話

鯖缶/東雲ひかさ

私の話

 その日は不思議と明るい夜だった。

 きっと満月なのだろうけど定かではない。

 空はぼんやりだけれども明るく、雲の濃淡が黒の濃さで表されている。その群雲の中に一際明るく雲が黄に光る一点があった。

 多分、そこに月があるのだ。

 もうもうとする雲の裏側が光るので、そこに空の神殿とかがあるんじゃないかと思われた。

 僕はその視界に被らせるように紫煙を燻らせた。街灯に照らされて煙が白く見える。僕はもう一つの雲の色を見たような気になった。

 街灯の下で煙草をふかして空を見上げる――ひと昔前のシティロマンスのワンシーンでありそうだ。とは言ってもここはシティではなくベッドなタウンだ。しかも田舎寄りの。

 ここは車道を歩道で挟んだよくある住宅街の道で街灯だって古びた電柱についていて虫が集っている。風情の欠片もない。ある種

のエモーショナルさはあるかもしれないが。

 僕は電柱に背中を預けて惚けていた。ふと反対側の歩道を見ると街灯の下に人影が――少女がいるのに気づいた。

 少女は白いワンピースを着て闇夜にそぐわない麦藁帽を被っている。顔は麦藁帽でよくは見えないが背中まであるのではないかと思わせる美しい黒髪が麦藁帽から伸びているのが見える。肌は透き通る、と言うのだろうか、街灯の光でも灼かれてしまいそうな白々しさだった。ローヒールを履いているようだから見た目よりはきっと背は低いのだろう。

 深窓の令嬢――そんな言葉がよく似合う、寧ろ深窓の令嬢そのものではないのだろうか。

 美しい少女。理想の少女像――そんなふうに見えた。

 ふと我に返ってみればこの場にそぐわないのは麦藁帽だけではない。彼女自身もまたこの場――この時間帯にはそぐわない。

 彼女は僕を見ていた――いや、睨むようだった。きっと僕は彼女に見蕩れていたのだろう。それか彼女を訝しんでいた。どちらにせよ僕は彼女を見ていた。僕は咄嗟に目を逸らした。

 そしてバツ悪そうに外方を向いて煙草をふかす。

 すると視界外からアスファルトを打ち鳴らす音が近づいてくる。それは反対側の歩道から聞こえてくる。そして僕のすぐ近くで音は止んだ。

 そちらにゆっくりと首を向ける。

 誰もいない――わけではなく少し視線を落とすと僕と同じように電柱に寄りかかる麦藁帽があった。

 少女はゆっくりとこちらを向く。顔を見て僕は納得した。

「もう会うことはないと思っていた」

「だって夏よ。お盆だもの」

 お盆、お盆か。確かにそれなら合点がいく。

「煙草なんて吸って、それらしく見えると思ってるの? なら貴方は相当のステレオタイプね」

 僕は図星を指されて押し黙った。

「だんまり? 男らしくないわよ?」

「……うるさい」

 僕は子供っぽい反抗しかできなかった。そして縋るように煙草を吸って、咽せた。

 少女は前かがみになった僕の背を摩る。

「楽になった?」

 そう言う彼女に僕は無言で頷いて立ち直った。そしてまだ半分は残る煙草を携帯灰皿に捻じ込んだ。

「苦しくない?」

「どういう意味だ」

「生きているのが」

 見下ろす少女の顔は麦藁帽で見えない。しかし表情は容易に想像できた。

「これが僕の生き方なんだ」

 僕は半分は正直に、半分は強がって言った。

「もっと楽になればいいのに。私を……」

「やめろ」

 僕は遮って言った。聞きたくなかった。

 少女は不服そうに口を噤んだ。

「皆が求めていたのは貴方だったのかしら。それとも私かしら」

 そしてすぐ、何もなかったように少女は淡々と、滔々と話した。

「僕は、僕のために生きている」

 僕は心の内では言い切れないことを言い切って答えた。

「虚栄心かしら。私には曖昧に見えているけれど」

 少女は見透かしたように――いや、彼女の方が僕のことを理解しているのかもしれない――そういう風に言った。

 それでも僕はそれを否定するしかなかった。

「わかったようなことを言うな」

「何故?私は貴方ことを誰よりも、一番理解しているのよ」

「そんなことは、わかっている」

「貴方、言っていることが支離滅裂だわ」

 僕は言葉が出なかった。何か言おうとすると胸が痛い。きっと煙草の所為だ。

「……何を選んでも結局苦しいのね。だからいっそのことって私を――」

 少女はそこで言葉を止めた。きっと僕がその先を聞きたくないと思ったからなんだろう。

「いつでも私は貴方に成れるわ。忘れないで」

 少女はきっと優しさでそう言った。そう言って欲しかった。

「僕は……お前じゃない。お前には成れないんだ」

 僕は必死に言葉を捻り出した。彼女の方も見ないで僕は言った。

 気づくと少女はいなくなっていた。

 僕は結局、何にも成りきれていないような――そんな不安に駆られた。

 僕は煙草に火を点け、彼女の匂いを紛らわすようにひと思いに吸い込んだ。

 案の定咽せた。胸が痛かった。

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