ベルガー家葬式
◆「8-5 貴族葬式と復讐」より:ベルガー家葬式
「――ヨシュカ様。最後の面会です」
――すべての人の面会を終えたようで、ハンネス司祭がいくらか労わるような口調でそう告げた。
彼はヘッセー教会の代表者だ。隣で、フィッタでは式を進行したケプラのシャルル司祭も同様に頷いた。最後というからにはもう棺桶を開けることはないのだろう。
実際、開始の司祭の言葉、賛美歌斉唱、遺族たちによる面会、伯爵夫妻の人柄や功績の読み上げと夫妻を囲っての語らい、などの行程を終え、式も終わりも間近だ。
ここでの葬式を終えると、俺たちは「みんなで」フィッタの埋葬地まで歩くことになる。
埋葬地は伯爵家から遠くない場所にある。
既に奪還済みとはいえ、襲撃され、蹂躙された地だ。そこはどうなんだと俺は内心で思いもしたが、ベルガー家のご先祖が眠っている土地だし、現在フィッタの警備は厳重なのでと、親族と教会関係者との短い話し合いの末断行された形だ。
みんなに促されるまでもなく、ヨシュカは亡き両親の元へ歩み出ていく。とくにふらついたりはしていないが、かといって力強さは微塵もない。
葬式の間、彼はあまり口を開かず、多くうつむいていた。ときおり夫妻の方を見てはいるようだったが……。
俺はきっと彼は何も考えられていないんだろうと察した。かつての義両親の葬儀のときの俺のように、空っぽの頭のまま、処理をし切れていないんだろう。
彼が羽織っている分厚く、動物の長い毛で縁どられた豪華なマントには銀糸で翼を広げたフクロウが縫われてある。ベルガー家の紋章だ。
ベルガー家の黄金時代は、アンテンブルク家に代わりフィッタ領主になったトビアス・ベルガーの祖父の代だという。
この祖父は、当時のホイツフェラー当主とともに木材の確保に当たり続け、フィッタおよびヘッセーの建築事業に多大な寄与した他、自らも小さいながら木工品の商会を立ち上げ、商会が抱える職人の作品の1つが王のイスになりもした。自身も戦場に出ることがあり、なかなかの知将だったそうだ。
だが、地位を盤石にするトビアスの血筋とは裏腹に、弟や妹の傍系の方はぱっとしなかった。
叔父は大した功績を上げられぬまま事業の小さな成功と借金を繰り返しながら死に、男爵家に嫁いだ叔母の家は没落してしまったという。
戦いの才能があった叔父の息子は勇んで士官したが戦死し、弟の方は賢い一方体が弱く20代半ばで死亡した。
これは夫人たちの内緒話を《聞き耳》で聞いたのだが、叔母の方は没落後、子供たちも悲惨だった。兄は賊まがいのことをして金をかき集めていた末に仲間から殺害、弟は家を助けようと商人として奮闘していたが危険を顧みなかった結果、魔物により殺害、妹は消息不明だという。これを聞いた時、ベルガー家の名声は奇跡のようにも思えたものだった。
そうして襲撃を1人生き残り、誰からも祝われることなく当主となってしまったヨシュカ。彼の双肩にはベルガー家の未来がかかっているわけだが、ヨシュカはまだ21歳だという。
武芸よりも学問がずっと得意だという彼の体つきはちょうど俺ほどで、俺が幾度となく周囲から断じられてきたように、誰が見ても頼もしいとは思わないのだろう。
ホイツフェラー氏が、ヨシュカの従者2人の肩に手を乗せた。不安げに見てくる2人にホイツフェラーは頷いた。
――そうして3人もヨシュカと同じように壇上に向かい始めた。
ヨシュカは動かないベルガー伯爵の傍に立って、しばらくの間じっとその顔――父親の顔を見ていた。
俺もベルガー伯爵の顔は少しだけ見た。
彼はアゴと口にヒゲをたっぷりとたくわえ、どこぞの幕末志士のようにほっそりとした知的な顔をしていた。目を閉じているのが、瞑想でもしているようだった。
ヨシュカの横顔は人物画かなにかのように動かなかった。だがよく見れば、顔に憔悴があることはみんな知っているだろう。
ヨシュカの2人の従者――リッツとカーレンが目に入る。2人とも沈鬱な表情で視線を落としている。彼らは双子らしく、顔立ちはそっくりだ。
ディアラとヘルミラも双子ではないが、よく似ている。彼らのことは、南部の辺境伯領の道端で倒れていたのを保護したらしい。
ヨシュカの体型は俺と同じくらいだし、外見年齢も近いと言えば近い。
こうした俺と彼の類似性の発見はなにかしらの慰めになり、俺にヨシュカの良い友になれるかもしれないと考えさせられることになったが……結局いまだにろくに話はできていない。
「母上……」
次いで、「父上」とヨシュカはぼそりとこぼした。何か言葉をかけようとしたのか、口が動いたが、何も言葉は出てこない。
ホイツフェラー氏がそんな彼の肩にやさしく手を置いた。びくりとして、ホイツフェラー氏の顔を見るヨシュカ。
「……ベルガー家ではもうこのような悲劇は二度と訪れない。俺が家名と俺の命をかけてお前を守ってやるからな。無論、
ホイツフェラー氏が参列席を見、ヨシュカも続いた。参列者たちの多くがヨシュカに頷いていた。ゲスト参列の一人である俺も数に入ってるのかはわからないが、俺も頷いた。
――ヨシュカは棺桶に視線を戻してしばらくすると、鼻をすすり始めた。やがて嗚咽も聞こえ始めた。
「……父上……うぅ。私はまだ何も、……剣もようやく少しは振れるようになったのに……こんな別れ方になるなんて……――母上えぇ……。私はもうすぐ乗馬レースに出れるのです……。ようやく……ようやくバシリウスが、……私の命令に応えてくれるようになったのです。でも……」
ヨシュカの成長の報告はインによれば、2人に届くことはない。もちろんだからと言って報告が無駄だとは思わない。
フィッタの葬式でも泣いている人はいたし、語りかける人もいた。だが……彼らの慟哭にも増して、辛く悲しい時間だった。彼の報告の様子は、涙に暮れていた遺族の誰よりも純粋に見えた。
「――赤竜様、どうして私は1人残されなければならなかったのでしょうか……? 私が……私がいったいなにをしたというのでしょうか??」
つられたのか、参列側からも女性の泣き声が聞こえ始めた。
この声はラフラ夫人の妹フリーダさんだろう。彼女は式の間、姉さん姉さんと、よく泣いていた。
「……赤竜様。……私は、私は何もできなかった愚かな息子です。……フィッタにいれば、……私は! ……剣もろくに振るえぬ身で……何も、……何も……出来なかったかもしれませんがそれでも私は……」
ホイツフェラー氏はさきほどのような力強い言葉はもうかけなかった。ヨシュカの痛ましい姿から顔を背け、俯いていた。
フリーダさんにくわえて、別の女性の泣き声が聞こえてくる。「おいたわしや……」というヘリバルトさんのあまりらしくはない嘆き悲しむ声が聞こえた。
俺の中ではやがて<山の剣>やアマリアに対する怒りがふつふつと沸き始めた。だが……沸くだけのようだった。
俺は彼の身内でも何でもない。フィッタの凄惨な現場もない。ここは夫妻を弔い、嘆き悲しむための神聖な場だ。俺の無鉄砲な怒りの正当性はここにはない……。
代わりに俺は行き場を失った怒りのままに、なんとかしてやれよ、とジルに恨み言を内心で吐いていた。
……ヨシュカは式が始まる前、ホイツフェラー氏の息子シャリオット君を相手に、ろくに話し合うこともなく衝動的に家を出てしまったことを悔いていた。
彼は当初、ベルガー家に庶民をいきなり2人も迎えることに対して反対していたらしい。
浮気はどうでもいいんだな、意外と高潔なんだなとか俺は思ったりしたが、シャリオット君も慰めつつも全面的に同意していたものだった。貴族は俺が考えるよりもずっと誇り高い人々のようだった。
母親のラフラ夫人はダゴバートたちの話とは裏腹に、自分が1度しか妊娠していないことを理由に、2人の引き取りには肯定的だったらしい。
ラフラ夫人はいわゆる子供のできにくい体質だった。不妊症を医学的に認知しているかは疑問だが、子供が出来ないことに対して後ろめたく思う感情はこの世界でも同様のようで、だから夫人にとって愛人とウーリ君の出現は、ヨシュカ君がぶつかった貴族家に庶民を迎えるという由々しき問題や、金目当てかもしれない愛人の諸問題の可能性が潜んでいる事実を知りこそすれ、重荷を1つ下ろせる安堵した心境でもあったらしい。
――語りかけもいつの間に終わり、しばらく続いていたすすり泣きも止んだ。ヨシュカは顔を上げ、2人の顔をじっと見始めた。
そうしてどれほど経っただろうか。やがて、彼はゆっくりと立ち上がった。
「……ハンツ様」
「どうした?」
「私は……<山の剣>の奴らの根絶を誓います」
「……それはもちろん俺も誓うが、……お前が戦に出るのか?」
「はい」
復讐か……。
ヨシュカの顔は涙に暮れていたさきほどとは裏腹に決意に満ちていた。ホイツフェラー氏が不安げに訊ねたように、彼は決して戦士然とした体つきではない。
復讐の道の半ばで、それ以外の何か大切なものや道も見つけてくれるといいんだけどと思わずにはいられない。
「……うむ。その時は無論、俺たち戦斧名士も行くぞ。俺は無二の友2人を失い、お前は両親を失ったのだからな。俺たちの復讐の剣の鋭さが、奴らの喉と胸を易々と貫かんわけもないだろう。……だが、鬨は少し先にしよう。いいか、ヨシュカ? 今は静かに喪に服せ。そのあとは家を建て直す見通しを立てるんだ。そしてお前は剣の腕を磨け。未熟な者が復讐を企て、血気に逸るのは愚か者のすることだ」
ホイツフェラー氏の怒ったりはしていないが厳しい正鵠を射るたしなめる言葉にヨシュカは気遅れることもなく、「当然です」と頷いた。ヨシュカは即答していた。うん、しっかりはしているようだけど。
それにしても、ホイツフェラー氏はもしかしてアマリアのことをヨシュカに言ってないのか? アマリアへの復讐を決意されるのは確かに少し困りそうではあるけど。
「俺も金のやり繰りやフィッタの今後に頭を悩ませねばならんし、奴らの調査もしなければならん。少し待っててくれ。……奴らに恐れをなしているわけではないぞ? 戦いにおいて、準備はいつも必要なんだ。すればするほど無駄な死者も減る。それはお前はもちろん俺も含まれている。分かるな?」
「はい。分かっています」
「うむ。……分かっていればいいんだ」
ホイツフェラー氏はヨシュカに頷いたが、表情は依然として固い。まあ、このやり取りでは不安の種は取れないよな。
葬式には来ていないが、ヨシュカはウーリ君と仲良くできるだろうかと思う。ウーリ君にはかつてヨシュカの面倒を見ていた乳母があてがわれたらしい。
ヨシュカはハンネス司祭に向き直った。
「ハンネス司祭。行こう。父上と母上を眠らせなければ。……少しうるさくしてしまったからな」
ヨシュカは後半は穏やかな声音でそう言って、夫妻のことを見た。理解が早すぎる気もして少し不安が残るが、いくらかは吹っ切れた様子はうかがえた。
ハンネス司祭はそうですなと厳粛に頷き、ヨシュカに背を向けて歩きだしたかと思うと、壁に下がっている長い縄を手にし軽く体重をかけて引っ張った。
やがて高い頭上から、リンゴンと鐘の音が鳴る。ハンネス司祭が手を離した後も、しばらく鐘の音は鳴り響いていた。
「お前たち。夫妻の棺を運ぶ準備をしなさい」
席の後ろの方にいた立派な服を着せられた体つきのいい男たちが立ち上がる。木製の担架のようなものを持ってきて、夫妻の棺をそれぞれ丁重な手つきで乗せた。
戦斧名士たちも手伝い始め、式が始まる前に集めた献花や手紙、アクセサリーなどによって、棺の中の隙間が埋められていく。
フリーダさんの娘クレイグが棺の前に出てきた。傍にはフリーダさんの夫とホイツフェラー氏の妻アグネスさん、息子のシャリオット君がいた。
男たちとともに準備をしていたマルフトさんが少女に気付き、「入れてあげてください」と促した。彼女は父親に担がれ、献花を夫人の棺の隙間に置いた。
白百合のリース飾りだった。クレイグが式が始まる直前にわがままを言って花の種類を変更したために捧げれるのが遅れたのだった。
ちなみにこのリース飾りは、「金色タチアオイ」の会に所属しているリース編みが得意だというヘッセーの男爵家の令嬢がせっせと編んでいた。この会はハムラが所属していた会だ。
マルフトさんは隙間に置かれたリース飾りを棺の真ん中、ラフラ夫人の胸元に置き直した。
そうしてマルフトさんは少女に「素敵なリース飾りですね」とニコリとする。少女は「今度はわたしが編む予定なの」と子供らしいはっきりとした口調で答え、マルフトさんは花を贈られる方はお喜びになるでしょうねと、やさしい言葉を送った。
鎧をしっかり着込んで参列していたマルフトさんとは別の戦斧名士の面々も動き出し、4名が白い炎が灯った松明を手にし、他の者は教会の扉の前で胸に手を当てて待機した。
担架を運んできた男たちは、箱の形をした妙な形の帽子を被り始めた。鈴にしては低い音が鳴った。中になにか入っているようだ。
ゆっくりと2人の棺が閉められる。
そうしてハンネス司祭と神父が閉められた棺に両手を向けた。
棺は白い膜で覆われたかと思うと、さらに白い鎖で覆われ、どちらも消えた。イン曰く、後者はやはり《
また、棺自体にも《
ハンネス司祭が扉を開けなさいと言うと、戦斧名士の古株隊員だというランブレーさんとホサさんにより、教会の扉がゆっくりと開けられる――
――外はヘッセー市民でたくさんだ。
ダゴバートやハスターさんなどの戦斧名士の他の隊員や、ラウレッタたちなんかのフィッタの生き残りもいる。
みんな教会の前の道や周辺でしゃがみこんだり祈ったりしていたようだが、立ち上がった。
「みな、道を開けなさい。葬列の準備が整いました。これからベルガー伯爵とラフラ夫人のお二方を送りに行きます。悲劇の訪れた地ですが、2人の愛した地でもあるフィッタへ」
教会の前に止まっていた豪華な馬車に繋げられた大きな荷車に担架ごと棺がゆっくりと乗せられる。少々過剰だと思わざるを得なかったが、神父たちが再び棺や周囲に禊ぎの魔力を撒いていく。
禊ぎをよそに市民が軽く群がり、何人かの人々が不運な運命を辿った領主夫妻に別れを告げたり、2人との思い出を軽く話すなどして嘆きの声をあげた。
ヨシュカとホイツフェラー一家が馬車に乗り込む。少し離れた場所にも馬車がいくつかあり、各々親族やヴィクトルさん夫妻をはじめとする貴族たちが乗り込んだ。俺たちはさすがに徒歩だった。
――後ろで教会の鐘の音が鳴り響く中、俺たちはフィッタの地まで大勢で葬列した。
いったい何人いるのか分からないが、後ろには大勢のヘッセー市民がくっついてきていた。
葬列の間、男たちの帽子の中にある低い音色は、2人の死を悼むように絶えず鳴り響いていた。
司祭や神父たちは歌を歌い始め、参列者も追従した。歌は定期的に歌われ、途切れることがなかった。物悲しい歌だったが、合唱になった歌は、特別悲しんでいる人たちを励ますだろうと思った。
道半ばで商人の馬車と貴族の馬車に出くわしたが、彼らは馬車を道の端に寄せてすぐに降りたかと思うと、帽子を取り、お付きの兵士は冑を脱いだ。彼らは左胸に手を当て、頭を下げ、フィッタの悲劇に見舞われた領主夫妻にお悔やみの黙とうを捧げた。
貴族の方は赤色と黄色の組み合わせの反応に困る派手な色合いの服と羽付き帽子をかぶっていたが、黙とうする彼は、誰がどう見ても紳士で立派な貴族だった。
>称号「貴族の葬式に参列した」を獲得しました。
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