瞳の中のひまわり

サトウ

前編

 叶わない恋に意味などあるのだろうか。


「私はやっぱり、男の人が好きかな」

 自分の中で何かが砕け散った。それはガラスのように粉々に割れて、あの耳をつんざくようなパリンという音まで聞こえてきそうだった。いや、私の耳には確かに聞こえてきたんだ。私の心が、私の理性を司るものが破壊された音が。

 彼女をめちゃくちゃにしてやりたい。自分でも不思議なくらいそう思った。その考えがスッと私の中に入り込んで来て、私を動かし始める。私のものにならないなら、今ここで彼女をめちゃくちゃにしてやりたいんだ。人気のないここで勇気を出したのはきっと正解だった。彼女を包み込むあの制服を破り捨てて、ここから逃げ出せないようにして、あの柔肌を蹂躪じゅうりんしてしまいたい。それに、彼女の黒髪をついばみたかった。あの長くて美しい濡鴉ぬれがらすを見るだけで、生唾が出る。

 彼女を抱きしめて、壊したがっている私の腕が、ふらふらと虚空を彷徨いながら、自然と彼女の方に向けられた。まるで、彼女を抱きしめることこそが私の存在意義であるかのように。

 左足が前に出る。それは私が指示を出した訳ではなかった。勝手に、私の制御を失った動きだった。これで彼女は一生手に入れられない。

 でも、このままでは一生彼女は私に振り向いてくれない。私のものにはできない。だから今、一時の夢を見てしまいたい。

 目線の先の彼女は私の奇行を見つめてもなお、その微笑みを絶やさない。何度確認しても目の前に居る彼女は、私の愛している人だった。

 私を見つめるあの瞳。いつ見ても美しい。この異常な精神の高ぶりの中でも、彼女の瞳はきれいだった。まるでガラス玉のような美しさがあって、それは子供の頃に口の中で転がしたことのあるビー玉のようだった。だから、私は時々彼女の瞳を口の中で転がしたり、瞳を舌で舐める妄想をしてしまう。あの子供の頃の口内の感触を思い出しながら、コロコロと。

 それもこれも、彼女の瞳が美しいのがいけないと思う。だって、目の中にひまわりが咲いているんだから。あの瞳の美しさにはきっと誰も敵いはしない。あの色彩の彩りは、人を狂わせていく。あの瞳に見初められた人は、彼女の愛を際限なく受け取れるのだろう。殺してやりたい。

 でも、愛なんてずっと続く訳が無いと私は思う。いずれはさめてしまう。でも、トラウマはきっと消えない。今やれば私は彼女の中で永遠に生き続けることができる。彼女にとって忘れられない人になれる。

「どうしたの、阿野あのさん」

彼女の凛とした声に、私は瞬間的に震えを覚えた。出した腕と足をすぐさま引っ込めて、俯いた。私はいったい何を考えていた? 彼女を痛めつけるなんて、一時でも自分の物にしたいなんて……

 萎縮いしゅくし過ぎて力いっぱい握りしめた手から、痛みと共に赤い鮮血が滲み出てきた。それは確かに私への罰であり、私から悪い感情を抜く為の儀式であった。俯いた床の先に私の純情が落ちて、染みた。脱色された純情と真っ赤に染まったキモチノワルイ感情が床へと染みていくことのみが、今の私を唯一救ってくれる行為だった。

「血が出てる」

彼女が私の手を取り、固く閉ざした拳をやんわりとほどいて、手のひらで包み込んだ。目の前で、私の感情はあらわにされてしまっていた。このまま死んでしまいたかった。最後に触れたのが彼女になるのなら。

 彼女は私の手を自らの頬へと添えた。頬に私の色が、感情が塗られていく。

「やっぱり、血ってあったかいね」

 彼女が私を見て笑った。その微笑みが歪んでいるのは私の涙のせいなのか、それとも本当に歪んでいるのか、私には分かりっこなかったし、分かりたいとも思わなかった。

 彼女は一頻ひとしきり私の感情をもてあそぶと、私を押し倒した。

「ねえ、私のこと好きなんでしょ」

 彼女の言葉に、私は暴れだしたくなった。恥ずかしいというよりも、恐ろしい。この状況が明らかに終わりの始まりになることが私には理解できた。できてしまった。

 薔薇にはやはり棘があった。私は見つめているだけで満足していれば良かったのに。でも、触れた。いや、今触れようとしている。その棘に巻かれて、結局薔薇に触ることが出来ない末路を迎えようとしている。

「の、野崎のざきさん」

「ゆ、許してください」

 私は蚊の鳴くような声で訴えかけた。

「私は……」

 次の言葉を吐き出す前に、私の口は塞がれていた。その柔らかさは私が想像していたよりも、もっともっと弾力があって、私のキャパシティーを超えた。

 彼女の鼻息が、時々私にあたる。私の息もきっと彼女にあたっている。呼吸は生きる為に必要なことだからこんな時でも止めることはできなかった。

 目を開ける。でも、彼女のひまわりは姿を隠している。私はひまわりを探した。でも、そうしている間に、私の身体から、愛が吸い出されていく錯覚を覚えた。

 私は怖くなって目をつぶり、瞳を口の中で転がした。コロコロ、コロコロと。現実とは裏腹のその感触に、私は泣いた。

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