リコリスの日記
王水
一冊目
「4月1日(木) 天気 雨
汚ったない猫を見つけた。戦場の前線に自分から入ったくせに大怪我を負って倒れてた。臭いし間抜けな顔だったけど、家に連れて帰って手当てしてやった。まあ俺は優しいからね。
利口そうなら飼ってやってもいいかな。」
✱
──雨が地面に突き刺さるような土砂降りの中、連中は今日も飽きずに縄張り争いをしている。
「はあ、煩いなぁ、本当、毎日毎日よくやるよね。感心するよ。
……でも、ここ、俺の縄張りなんだよね。勝手に人の庭を取り合わないでくれない?」
俺の掌でぐしゃりと音を立てて、頭が1つ弾け飛んだ。
「な、なんだお前、誰だっ!?」
「お、おい、あの彼岸花の頭巾って…。」
「ひっ……まさか……っ。」
伝説のゴーレムだ、戦士の墓場だ、なんて勝手につけた異名を口々に言いながら連中が馬鹿みたいに騒ぎ始めた。
全く失礼だよね。俺は「庭に入ってきた部外者を埋めろ」って言いつけを守ってきただけなのに。
腰が抜けて動けないのか、足がすくんで動けないのか、阿呆面で突っ立っている連中を尻目に、俺は地面を指さして数を数えていた。
「2つ、3つ、4つ、5つ……」
連中が訝しげにこちらを見ている。
「な、何を数えてんだ……?」
「知らねえよ、お前、早く逃げろよっ……。」
「馬鹿野郎、こういう時に先に逃げた奴から殺されるんだろう、がっ……?」
ずるりと音を立てて彼の内臓がこぼれ落ちた。
「ごめんごめん、待たせたね。今、定員を数えてたんだ。ここ、ちょっと狭いから。全員は埋めてあげられないかも。」
にっこりと微笑むだけで、一気に逃げ散る様は面白くて嫌いじゃない。ここで潔く散った奴は特に深追いしないようにしている。残った奴や立ち向かってくる奴は皆殺し。
──だったはずなんだけど。
一際目を引く弱そうな奴が戦場の真ん中にいた。青い顔で腰を抜かしているのかと近付いて見てみれば、大怪我をしていて動けないらしい。
「……君、弱そうなのに何でこんな所に入ってきたの?もしかして馬鹿?」
「な、なんだよ、うるせえな!俺だって訳わかんねえんだよ、くそが!やるなら早くやれ!」
春の若葉のように鮮やかな黄緑の髪
片目しか見えないのに存在感のある瞳
女みたいに綺麗で長い睫毛
震えてる癖に屈服しようとしない生意気な態度
「……よいしょ。」
「!?、な、何だ!?おい、下ろせ!どこへ連れてく気だあ───!?」
「うるさい。」
「がっ…………」
暴れるから適当に殴ったら気を失ったのか、静かになった。
自分でも、何でこんな薄汚い反抗的なのを拾ったのかよく分からない。
エイプリルフールだし、ちょっと気紛れを起こしたのかも。
……強いて言うなら、懐かしいような感じがした。
✱
「4月2日(金) 天気 くもり後晴れ
昨日拾った猫が汚いから洗ってやったのにひっかかれた。やっぱり捨て直してくるべきかな。俺も鬼じゃないし、怪我が治るまでは面倒みてやるけど。なんかチョロそうだし、それまでに懐くかな。」
✱
────昨日の激しい雨は上がって、少し晴れ間が見えていた。まだ空は淀んでいるけど、じきに晴れそうだ。
昨日拾ってやった間抜けは俺のベッドで不細工な寝顔を晒している。
俺も腹が減ったし、仕方が無いから朝食でも作ってやることにした。
オリーブとトマト、玉ねぎを潰して煮込んだ汁に挽肉とスパイス、ハーブを加えてもうひと煮立ちさせる。
香りが立ってきたら炒めるように混ぜ、味見。我ながら完璧。でも、二人分にしては少し量が足りなかったかな。まああの間抜けの分を少なくしたらいいか。
あとはこれをパンに塗って……
「ふがっ……んん"……なんだ、この、美味そうな……。」
腹を空かせていたのか、飯の匂いで起きた間抜けの声が、寝室から聞こえた。
「やっと起きた?全く、半日も人のベッドを占領するなんて図々しいよね。」
「な"っ、お前が勝手にッ……て、
痛えええ"!!!何だこれえ!?!!!」
「うわ、煩いなぁ。手足の骨折くらいで喚かないでよ。幸い、内臓はどこも無事だったんだし、そんくらいの骨折なら3日で治るんじゃない?」
「治るか!!俺は化け物じゃねえんだよ!!
……ていうか、お前、その量一人で食うのかよ…。」
腹から下品な音を立てながら物欲しそうな顔で見ている。
「何?お腹すいたの?まあ俺は優しいから分けてあげてもいいよ。ほら。」
「は!?!!少な!?!!お前の50分の1くらいしかねえじゃねえか!!!」
「我儘言わないでくれる?病人なんだからそれくらいで十分でしょ。」
その後もぶつくさ文句は言っていたが、朝食は美味そうに食っていたから、もうそれほど心配は要らないんだろう。…別に心配なんてして無いけど。
「……それにしても汚ったないなあ。水浴びくらいしてくれば。」
「無茶言うな、足が痛くて立てねえんだよ……。」
「はは、本当に一人じゃ何も出来ないんだね。」
「くそ、バカにしやがって……!」
「仕方ないから綺麗にしてあげるよ。」
「……は?」
抱き抱えると、昨日と同様に暴れる間抜け。
これ以上傷を増やしたくないなら大人しくしろと脅すと、静かになった。
隠れ家の近くの湖についたから畔に下ろしてやる。
「うおお"!冷てえ!!は!?待っ、服がぁ!!」
「服?どうせ服もどろどろでしょ。ついでに洗っときなよ。」
「いやお前、乾かしてる間どうするんだよ!」
「大丈夫大丈夫、馬鹿は風邪ひかないって言うでしょ。」
「誰が馬鹿だ!!って、そういう問題じゃ……ふぐっ。」
ニャーニャーうるさいから、俺の上着を貸してやった。
「ほんと、図々しいよね。それでも羽織ってなよ。仕方ないから貸してあげる。」
「てっ、てめっ、こんなの脇と尻スッカスカじゃッ…ていうか今渡されても濡れるだろうがッッ……ひい"!?ちょっ、おまっ…いでででで!?」
「文句言わないでくれる?暴れると折角貸してあげた服が濡れちゃうよ。ほら、もっと脇開けて。傷口もちゃんと洗っとかなきゃ化膿するけどいいの?」
「ふ、ふざけんな!自分で洗えッッる"!?おいどこ触って!?」
「は?一番汚れるとこでしょ。洗わないの?」
「そ、そういう問題じゃねええええ!!!」
──────結局、暴れた間抜けのせいで2人共ずぶ濡れになった。
✱
「4月3日(土) 天気 晴れ
間抜けの名前が分かった。『サギリ』っていうらしい。どういう意味か聞いても、よく分からなかった。薄々気付いてたけど、他の大陸から来たみたいだ。帰り方も分からない低脳で、帰り道が分かるまで泊めて欲しいらしい。生意気でうるさいけどまあいいか。俺は優しいからね。」
「4月5日(日) 天気 雨
間抜けの服から写真が出てきた。女の写真。なんか羽が生えてて金髪で、間抜けと同じような髪型。一丁前に想い人でもいたのかな?それとも恋人?妙な書き込みがあるし。…別にどうでもいいけど。」
「4月6日(月) 天気 大雨
間抜けが生意気。昨日の恋人の写真について聞いたら声を荒らげて否定してきた。あからさまで分かりやすいなあ。イライラしたから早く恋人のとこ帰ればって言ったら、帰りたいって。
つまみ出してやろうかな。折角置いてやってるのに。」
「4月7日(火) 天気 くもり
あの写真は本当に恋人じゃないらしい。嫌いな女なんだって。他にも嫌いな女が何人かいて、それにも書き込みしてるらしい。たしかに、よく見たら弱点とか悪口ばっかり書き込まれてた。ねちっこくて性格悪いよね。面白い間抜けだなあ。まあ、懇願してきたからもう少し家に置いてやることにした。」
「4月8日(水) 天気 晴れ
間抜けの歳が分かった。17だって。生意気な理由がよく分かったよ。どうやらこの辺の奴らとは違う匂いもするし、用心のため色々聞き出さないとね。」
「4月9日(木) 天気 くもり
本名は フジミヤ サギリ、血液型はB、誕生日は6月6日、……」
✱
「6月1日(金) 天気 くもり
サギリとかいう間抜けを拾ってから、もう2ヶ月経った。未だに生意気だし、不躾だけど、まあ案外、馬鹿で可愛いところもあるよね。もう自分でも歩けるようになってきて、俺の散歩にひょこひょこ付いてくるようになった。寂しいの?って聞いたら顔を真っ赤にして大袈裟に否定してたけど、本当に素直じゃないよね。」
「6月6日(水) 天気 雨
今日は酷い日だったよ。本当に胸糞悪いったら無いね。今までの恩を忘れて一言も言わずに逃げ出すなんて。散歩に付いてきてたのも、懐いたのかと思ってたけど、この辺の地形を把握しようとしてたのかな。まあ、こんな化け物と一緒に居たくない気持ちは分からなくはないけど。どうせ気紛れで拾った奴だし、どうでもいいけど。
今日はいつもより多めにケーキを焼いたから、お腹いっぱいだしもう寝ようかな。」
「6月7日(木) 天気 嵐
酷い夢を見た。色んな悪夢。でも全部にサギリが出てきた。本当に迷惑で失礼な奴だよね。夢の中で散々人の悪口言ってたし。……でも、最後に見た悪夢では、サギリが何かに攫われてたけど。やっぱりとっ捕まえて土下座くらいさせないと気が済まないから、探しに行くことにしたよ。」
✱
───夢の中のサギリの声が頭から離れない。
「リコリス」
何かに攫われながら切なそうな声で、俺の名前を呼んでいた。
手を伸ばしても届く距離では無くて、走ってもどんどん離れていって。ただ、確かだったのは、サギリもこちらへ手を伸ばしていたこと。
あんなに生意気で不躾で失礼な奴に愛着が湧くなんて、笑っちゃうよね。ただの俺の妄想かも知れないのに、こんなところまで探しにくるなんて、俺もどこか打ったのかな。
何でこんなに諦めが付かないのか、自分でもよく分からない。
こんな雨風の中で、居たとしても見つけられるかどうか。
気付けば、いつかサギリと散歩した小道にいた。
ふと川が荒々しく流れる音に気を引かれ、そちらに目をやると、何かが木の枝にひっかかって、ひらひらとたなびいている。雨に視界を遮られて良く見えない。
「何、あれ……黒い…………」
──────眼帯…………?
サギリの眼帯。
そう思った時には、もう俺の足はそれに向かって走り出していた。
眼帯を手にした瞬間、驚いた。足場が無かったから。下は嵐の中で荒れた濁流の川。俺はそのまま落ちていく。
ひどい仕打ちじゃないか。ただ、飼い猫をおもってこんな嵐の中を探しに来ただけなのに。
もう藻掻く気力も無かった。
川は丸太も砕ける濁流だったはずなのに、落ちたあとはゆっくりと沈んでいく感覚で、妙に思いながら俺は意識を失った。
リコリスの日記 王水 @pinnsetto87653
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