第129話 球体
結果がどうあれ、ユリシスにはやってみるという選択肢しかない。ユイエストとヘルベストに視線を投げ掛ける。瞳には決意が宿る。不安そうに見ているのはオーサだ。
オーサにしたところで、やむを得ない形で聖霊術を使って、ここにきてしまった。もちろん害意はあった、憎しみもあった。そうでなければ、わざわざ皇都バレルに残ったりはしない。教皇とともに一時的に避難するか、軍を率いて出たはずなのだ。
オーサは千載一遇の機会を正確に捕らえ、聖女に幽閉に成功した。もちろん、このような形で、異なった世界があるなどとは知るよしもなかったが、結果としては大成功だったわけだ。
しかし、もしユリシスが元の世界に戻ってしまったらどうなるのか、いい未来図は描けそうにない。
「やめろ、などと言えた立場ではないか……」
壁絵に手を当てて、じっとしているユリシスの背中には決意しかない。だめであろうと、どうあろうとユリシスは聖霊術を使う。
その潔さと決断の早さには敵であっても敬意を払わざると得ない。味方であったのならばどんなにか心強かっただろう。オーサにはここまでに至る筋道に後悔はない。逡巡すらしなかった。自分に負けてしまうからだ。他人からどう見られようと、オーサは自身の道を真っ直ぐに歩いてきたのだから。
ユリシスは失敗すれば、また別の方法を模索しつづけるだろう。それはそれでいい。もし成功したのであればどうするのか? オーサはそれだけを考えていた。軽く頭をふる。
ユリシスはじっと壁に手を当てている。その精緻な彫刻を掌から感じ取ってでもいるように、ゆっくりとその滑らかな表面を。
やがて意を決したのだろう壁絵から手を放すと、二歩三歩と後ろへと下がっていく。
ユリシスは左手を前に差し出し、右手を左腕の肘に当てる。大きく深く息を吸い込み、聞こえるほどの大きく息をゆっくりと吐く。
ユリシスは右腕で支えた左手の指先に神経を集中させる。聖霊力が身体の中を駆け巡り、胸から肩へ、肩から指先へと移動しているのがはっきりと分かる。もしかしたら一回きりの術式。失敗しようが、どうせ試すのだ。それが今なのか先なのかなど、ユリシスには関係がない。聖霊力が聖刻神器の切っ先でほとばしり始める。
「グラベーリン! ディメンショナル・コリドール!」
オーサが詠唱した聖霊術をなぞるように、力強い声をユリシスは上げる。術式が発動し、壁絵に当たると、表面でまるで血液をぶちまけたように飛び散る。施されている彫刻の溝を埋めるように、術式は広がる。
「何も起こらない……」
ユリシスがそう言った直後に、壁絵に変化が訪れる。ユリシスよりも頭二つ分、身体二つ分ほどの黒い壁が浮かび上がってくる。ユリシスはユイエストとヘルベストを振り返るが、二人は首を傾げる。オーサを見ると、驚愕しているようだ。
「ランサには見える? ロボはどうかしら?」
二人はうなずいている。
「姫様、見えます。黒い壁が」
どうやら術式はしっかりと発動したようだ。ユリシスは黒い壁に手を触れる。
しかし、向こう側へは行けない。
「ユリシス、しっかりと触れてみれば分かるはずだよ。壁が流れている」
ハッシキの言葉に、ユイシスは神経を集中して壁に向き合う。確かに、壁は流動している。上下左右、不規則だ。
「この流れは一体……」
ユリシスの腕に鳥肌が立つ。鼓動とも違う。規則性のない動き、一体何なのか? これが戻るための扉であるのは明白なのは分かるが、まだ仕掛けがあるようだ。このままでは戻れない。
「ちょっと待って、じっと触れていて。ボクなら何か感じ取れるかもしれない」
ハッシキの感覚が研ぎ澄まされる。
言葉が、ハッシキの言葉がユリシスの頭の中で反響し、飛び跳ねる。
「ユリシス、じっと触れていてごらんよ。分かるはずだよ。この壁は球体の一部になっている。切り取られているんだ。とすれば、脱出できる方法は簡単に分かる」
球体? それが一体何を意味しているのか? 回る球体……。
「ランサには分かるかしら、この壁、球体の一部みたいなの」
ランサも現れた黒い壁にゆっくりと手を触れる。
「この壁はいつまで出現し続けるのでしょうか? 消滅はしないのでしょうか?」
消えてしまえばもちろん戻れない。
「この壁絵は、この世界に最初からあった。この黒い壁はその形態を変えたものだと考えてもいいんじゃないかしら」
術式は、壁絵の本来の姿を呼び出すための呪文のように作用したと考えると、納得がいく。であるならば、形が変わっただけ。消えたりはしないという確信がユリシスにはある。
【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。聖女系の小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、ゆっくりペースでも気にならないという読者の皆様、★評価とフォローを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】
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