第112話 名前
太陽が銀色の糸を引き、月が金色の帯を作る。
交互に入れ替わり、明滅を繰り返す。見えているのではない。目の裏側に広がっている。時折、ほうき星が横切るが光は弱く、尾は短い。ともすれば流れ星と見間違えそうだ。
やがて太陽と月はジグザグの軌道を取って、こちらへと近づいてくる。
ユリシスは手を伸ばす。
しかし、幻影にでも手を伸ばしているかのように、光の螺旋には届かない。
胸にわだかまる引っ掛かり。不安? いや不安定さに対する苛立ち?
ユリシスには今が分からない。
前方に突き出していた手を左右へと広げる。手に触れる肌と毛の感触。ランサとロボに違いない。
「ハッシキ、聞こえる?」
返事はない。ランサとロボも反応がない。もちろん返事もない。
いつしか太陽と月、星さえも消えてしまい真っ暗になってしまう。ユリシスは予感する。もうすぐ目が覚めるのだと。
そういえば一番最後に見た夢は何だったのか?
夢など目が覚めてしまえば、すぐに忘れてしまうユリシスにとって、遠い存在だ。多忙と疲れ、野営が続いていた。その様子を太陽や星は見ていてくれたのだろうか? ユリシスの動きに目星をつけていてくれたのだろうか? 一体何が起こっているのかユリシスには思い出せない。
腕を探していたような気がする。いや、それはずっと前の話しだ。ユリシスたちは戦争をしていた。確かに勝利の手応えが掌に残っている。曖昧な気持ちのまま、皇都バレルを目指したはずだ。
ユリシスはランサに対する贖罪を告白しなければならなかったはずだ。いやすでに済ませたのだろうか?
定かではない。何も定まっていない。暗闇に閃光が走る。両手を突き出した男の姿が見えるが、顔には靄がかかっていて不明瞭だ。
確か名乗っていたようだが、星よりも遠くの忘却の彼方へと消え去ってしまっている。
さらに暗闇に閃光が走る。記憶は幼い頃へと逆行する。
雨が降っているのにも関わらず、花壇に咲いている花が欲しくなって、外へと飛び出した。ユリシスの耳に侍女たちの制止の声は届かない。
花の名前は知らない。
黄色く可憐な花びらだったような気がするが、定かではない。鮮明なのは手折ったその花を花壇に投げ捨てた、それだけだ。当時は罪すらも感じなかった。慌てて駆けつけた侍女たちにも気が付かれなかったのではないだろうか。
しかし、罪の意識はしばらく消えなかった。
「結局、なんという名前の花なのかも知らないままだわ、私」
ユリシスの声は自分にしか届かない。あの時の花壇はまだ王宮に残っているのだろうか? 聖地の陥落で手入れは一時途切れているはずだ。
「戻ったら確かめてみないといけないわね」
ユリシスは自分のつぶやきに違和を覚えた。
「戻る? どこへ? 帰る場所なんて私にはあるのかしら?」
まず、ここがどこであるのかユリシスには不明だ。戻るにしても帰り道が分からない。そもそも、今の状態が現実だとは思いにくい。その程度の覚醒はしているようだ。
眼球を上下左右に動かしてみる。真っ暗闇ではあっても、視界が動いている気配がする。声を出す。ランサやロボ、ハッシキはまだ気を失っているのだろう、反応はないが、声はしっかり出ているようだ。
上っているのか、降っているのか、それとも漂っているのか、体感ができない。触覚はまだそれほど元に戻ってはいないようだ。
手の感触を再び確かめる。ユリシスよりは少し大きなランサの手、そしてずいぶんと大きなロボの前足が確かに存在している。
「確かに私は生きている」
ユリシスがそう知覚した時に、判然となった。
「皇都バレル、聖霊術……」
確かオーサと名乗る司教だった。彼が聖霊術を発動させたのだ。死に至るものではなかったようだが、効果が不明なだけに、ユリシスには不気味さを感じる。いや、もしかしたら死んでしまっているのかもしれない。死後に知覚がないとは言えない。
あのオーサと名乗る男にとってユリシスは脅威であったはずだ。それを取り除く方法の中で最も確実なのは死だ。男の使った聖霊術にはそれだけの力があったとユリシスは思う。
「私は死んだ?」
いやそんなはずはない。ランサとロボの説明がつかない。死は厳然と個人に属する、それぐらいはユリシスにも分かる。それにロボは聖獣なのだから、一緒に死ねるはずはない。
「なんとなく分かってきた」
暗闇が再び明滅を始める。ユリシスのまぶたがそっと上がる。
やはりユリシスは生きていた。覚醒したのだ。
【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。聖女系の小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、ゆっくりペースでも気にならないという読者の皆様、★評価とフォローを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】
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