第101話 叱責

「何と仰せでございましたか」


 ナザレット教皇国の大司教次席のオーサ・ジクトは教皇パディクト・クルクトを仰ぎ見た。何かの聞き間違いなのではないか。


「兵を引けと言ったのだ、オーサ。レストロアも放棄せよ。作戦は失敗だ」


 パディクトの毅然として言い放つ。やはり聞き間違いではないようだ。オーサの背中を汗が流れる。作戦は上手く行っていたではないか。このままいけばリリーシュタットの半分を切り取れる。もちろん万全とはいかないまでも打てる手は打てているという自負がある。


「汝に二つ質問がある」


 口調は重々しい。


「まずひとつ目だ」


 オーサは憂いで揺れる視線を落とす。


「人はどれぐらい生きられると思うか?」


 最初は質問の意味が分からなかったオーサだが、パディクトの説明で得心がいった。


「水なしだと三日。水があっても十日といったところだろうな。しかも動かずにじっとしていてだ。兵は飢え始めていると聞いている。食糧が届いていないのではないのか?」


 確かにレストロアへは補給物資が届いていない。何者かの襲撃にあって、すべてが奪われたのだ。最初は何らかの事故だと推測したのだが、それが数回も続くと、その線はない。

 先日、レストロアからの援軍が撃破されている。組織的に補給部隊を狙ったのだ。

 レストロアからの援軍は半数を失う大打撃を受けた。補給部隊はバレルへの帰還を余儀なくされた。生き残った兵たちの証言によると、巨大に白狼にまたがった少女の存在が確認されている。


「聖女ユリシス……」


 警戒を怠っていたわけではないが、軽視していたのは確かだ。そこを指摘されると痛い。オーサは歯を食いしばり、握る手に力を入れる。リリーシュタットは、住民や兵を全て物資ごと引き上げるという大胆な作戦をとっているのも承知している。現地での食糧の調達も難しい中ではあるが、しばらくすれば、収穫期を迎える。食糧は眼の前にぶら下がっているではないか。


「次の質問だ」


 動揺を悟らせまいとオーサはそのままの姿勢でじっとしている。


「汝は戦場に立った経験はあるか?」


 意外な質問だった。オーサはもちろん軍人ではない。


「ございません」


 オーサの声は小さく弱い。


「余はある。数度だがな」


 どの戦場でも比較的安全な場所で、襲撃される恐れも、負ける可能性も低かった。本営にあって、警備も厳重であった。それでも恐ろしかったとパディクト嘆息する。


「手足が勝手に震えるのだ。武者震いではない、恐怖からだ。恐怖で震えが止まらなかった。骨が鳴ったな。戦場とはそういう所なのだ、オーサ、一度でもいい、踏んでいれば今回の失敗はなかっただろうな」


 パディクトは遠くを見つめながら回想しているようだ。


「戦争には犠牲がつきものだ。それは余にも分かる。しかし、ナザレットの殆どの兵を失うわけにはいかぬであろうよ。どうじゃオーサよ。今回は諦めも肝心なのではないか」


 ナザレットには力があると見せつけるだけで今回は良しとすべき、それがパディクトの考えのようだ。今回の作戦ではリリーシュタットの貴族たちの反乱も誘発している。それだけでも相手を翻弄できたのだ。完全な失敗ではない。だが、今がギリギリのタイミングという判断もある。パディクトが政治や軍事に介入するのは最近では異例だ。それだけ切迫しているという危機感がある。


「余はな……」


 パディクトの口調が不意に柔らかになる。


「勅命を出したくはない。汝はまだ若い。出せば汝を失ってしまうからな」


 それだけを告げるとパディクトは立ち上がった。謁見の時間は終了したのだ。オーサにとっては叱責以上だ。ゆっくりと立ち上がると執務室へと向かう。絢爛なはずの聖堂が灰色に見える。

 椅子に沈み込むように腰を落ち着けると、オーサは羽ペンを手に取る。


「撤退せよ」


 命令書にそれだけを記入すると、サインを入れる。

 机の上には地図が置かれている。レストロアを起点としてリリーシュタットを東半分を手中に収めていた。


【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。聖女系の小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、ゆっくりペースでも気にならないという読者の皆様、★評価とフォローを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】

https://kakuyomu.jp/works/16817139557963428581#reviews

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る