プリズン・アーム――腕に魂を宿した聖女は人類の真理を知る――

武臣 賢

第1話 プロローグ

 小さなシコリ? のようなものだった感触がある。指で触れるとちょっとした突起が腰に出来ていた。でも、痛くもなければ痒くもない。最初はニキビかと思ったけれども、シミ一つない真っ白な肌には何とも似つかわしくはない。


 虫に刺された記憶もなければ、何か引っ掻いた覚えもない。だいいち、ユリシス・リリーシュタットは殆ど外出をしない。心臓に病を持っているからだ。

 蜂蜜を溶いたような鮮やかな金髪はややまとまりが悪く、いつも手入れをしていなければならない。

 櫛を入れてくれるのは侍女だ。

 

「ねぇ、ここ見てもらえないかしら? 何かあるみたいなの」


 金の象嵌で縁取られた豪華な鏡に映る侍女に、ユリシスは言葉を掛ける。

 十歳にしてはやや舌足らずでゆっくりと喋る。好奇心いっぱいの年頃ではあるのだが、その澄んだ空のような鮮やかな瞳は、より心の内側を向いている。手足は長いのだが、身体は華奢で、二つ三つ幼く見える。


「それでは拝見致します」


 櫛を操る手を止めた侍女が、ユリシスのスカートをたくし上げると、ユリシスが手を回したところをじっと見つめる。


「姫様これは……。そのままでお待ちくださいませ」


 侍女は慌てて部屋を飛び出していった。ただし走ったりはしない。ここは王宮内の居館なのだから。


 しばらくすると、さきほどの侍女が一人の淑女を伴ってやってきた。母親でありこの国の王妃でもあるシンシアだ。


「お妃様こちらです。ここに」


 先程と同じようにスカートをたくし上げ、王妃はじっとユリシスの腰を見つめている。


「間違いないようですね。急ぎ使いを出さねば。今から手紙を書きます。あなたが教会に行くように」


 王妃は手早く文書をしたためると、侍女に手渡す。


「決して誰にも話してはいけません。直接、聖女様にお渡しするのです」


 侍女はうなずくと、部屋をあとにした。ユリシスには何が起こっているのかよくわからない。周りの大人たちが急に慌てだし、それが驚きに拍車を掛けた。


「何も心配はいらないのよ、ユリシス。あぁ、貴方に神のご加護を」


 王妃はユリシスを優しく抱きしめた。


「王宮からの使い? 私に直接と言ったのね」


 ついにこの時がきたのだ。この世で唯一着用を許される白い法衣をまとった老婆は左手の中指にはめた指輪にそっと手を添える。


「その者を早く私の自室へ」


 できるだけ人目を避けたい。老婆は立ち上がると自分の部屋へと向かう。

 そこにはすでに、王宮からの使者、王妃から指名された先程の侍女が待っていた。老婆の姿を見ると、ひざまずきそっと王妃からの手紙を渡す。


「聖女ロロ・ロア様に急ぎご一報を。王女に種の兆しあり」


 手紙にはそれだけが記されていた。


「イザロの炎」


 聖女と呼ばれた老婆が唱えると掌に炎が燃え上がる。手紙をそっとくべるとあっという間に灰になる。


「ご苦労でした。今夜、日付が変わる頃に伺います。そう伝えるように」


 聖女ロロは、すぐ隣でうずくまる白虎の頭を撫でる。


「貴方の役目もあと五年といったところね。もうひと頑張り頼みますよ。しかし、次の聖女が王族とは。いろいろ急がないと……」


 白虎が頭をもたげるのを見ながら、聖女は外に控える従者に声を掛ける。


「大司教をここへ」


 程なく現れた大司教にそばに寄るように伝えると、その耳元に囁き掛ける。


「聖獣を召喚します。期限は五年以内。手配するように。それと私は補佐官の人選を致します。数日は誰も祈祷所に入れないように。極秘事項です」


 大司教の目が大きく見開かれる。


「何を驚いているのです。いずれこの時がくるのは分かっていたのですよ。聖女は一世代に一人だけ。新しい聖女が生まれたのです。むしろ喜ぶべきなのですよ」


 深夜、日付を越えようとする頃、黒塗りの馬車が王宮の裏門へとそっと停められる。迎えるのは昼間やってきた侍女だけだ。手を添えて聖女ロロを王宮へと誘う。


「こちらです、お部屋にはすでに王妃様がお待ちでございます」


 先導されるままに部屋に入ると一人の女性がベッド脇の椅子に座っている。立ち上がろうとするのを手で制したロロはベッドに近づくと、そっと中を覗き込む。


「この子ですね。名前は?」


 女性が小さな声でそっと告げる。


「この子の名前はユリシス。王家第四王女です。私は母親のシンシアと申します、聖女様」


 少女はベッドの中で吐息を立てている熟睡しているようだ。とても可愛らしい美少女だと思いながら、ロロはそっとシーツをめくる。


「腰です」


 シンシアがユリシアをうつ伏せにすると、パジャマを脱がす。そっと燭台を近づけ、光が指し示す先を二人はじっと見つめる。

 ロロがユリシスの腰にそっと手を触れる。波動が伝わってくる。どうやら間違いないようだ。


「確かに、次の聖女はこの子で間違いないようです。王妃、この子の宿痾は? それと婚約はすでにしていますか?」


 シンシアは仰向けに寝かせ直したユリシスにシーツを掛けながら答える。


「胸に病が。それもあって婚約はしておりません」


 ロロはうなずきながら、ユリシスに落としていた視線をシンシアへと向ける。


「分かりました。種が花開くまで慈しんで育ててください。素敵な花が咲くと良いですね。いや、必ず咲くと信じていますよ。では、私はこれで。見送りは不要です。時が来ればこちらから連絡をしますので」


 ロロは足早に教会へと取って返すと祈祷所へと入った。補佐官の人選も進めておかなかればならない。これは神託が下る。ロロは指を組んで神の前にひざまずく。


 手紙を受け取ったレビッタント・ミラは我が目を疑った。


「公爵家次女ランサ・ミラを次期聖女の補佐官に任ずる。婚約などしている場合は何らかの理由を付けて破棄するように。なお時が満ちるまで他言無用」


 聖女からの書簡など普通ではあり得ない。ロロが王宮を訪れてから一週間が過ぎている。ロロは祈祷所の籠もり、神託を受けたのだ。


「聖女が王家で補佐官が公爵とは。逆じゃなくてよかったわね」


 神託が下った時、ロロは少しホッとしたのを覚えている。ロロ自身はリリーシュタット王国の辺境で暮らす騎士の家が出身だ。ロロの手元にはランサに関する調書が届いている。


「年齢は十歳。性格は明朗で快活、婚約者はなし。宿痾は両腕。聖霊術のレベルは国内でもトップクラス。髪は亜麻色、瞳は鳶色……」


 その他、教養のレベルから幼なじみや好き嫌い、得意不得意など細かな項目が調書には記載されていた。ロロはそれを丹念に読み進めていく。


「問題はなさそうね。あとは穏やかに時間が過ぎるのを待つだけ」


 ロロは手の甲に刻まれたスズランの紋章にそっと手を重ねた。

 運命の時は迫りつつあった。


【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。聖女系の小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、ゆっくりペースでも気にならないという読者の皆様、★評価とフォローを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】

https://kakuyomu.jp/works/16817139557963428581#reviews

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