第7話

 恐怖で思わず、身体がすくんでしまう。だが、社長は特に動揺することなく「いてててて」と軽く顔をしかめるくらいだ。

 チンピラが増えてきた。路地の出口を塞がれる。

 だがそんな状況でも、一般の人目に触れなくなるくらいの地点に到達した途端、すぐに社長が動いた。

 身体を軽くひねっただけで突きつけられているナイフを肘で弾き、そのままそのフードの男の頭に掌底を打って壁に叩きつける。

 そしてそのまま振り返り、俺の脇にいる男にボディを入れた。太い腕から放たれるその拳は、一撃だけで男を沈めた。

「おい!」

 泡を食ったチンピラ達が走ってきた。一番先頭の男を、社長は前蹴りで遠ざける。

「社長!」

「どうせこいつらはカタギじゃねぇんだ。手加減するこたぁねぇ」

 そんなこと言われたって、明らかに多勢に無勢だ。俺は路地の奥に走った。

 角を曲がると少し先にもチンピラが一人。だが、それよりも重要なことが。その向こうは行き止まりではない。

「あ、お前……!」

 喧嘩で何よりも重要なのは、不意を突くことだ。

 もう手遅れかもしれないが、この男の戦闘態勢が整う前にたどり着けるようにダッシュ。

 向こうも咄嗟にガードしようとしたが、俺は渾身の力を込めてその手を払い除け、横から顎に一発入れて揺らせた。

 一発では決まらなかったので、俺も頭を壁に叩きつける。血痕が壁を朱く染め、そのまま一筋に垂れる。

「社長! こっちです!」

「おう!」

 そう小さく聞こえ、巨体が小走りでこっちに曲がってきた。

 そしてその後ろから、チンピラ達もヨロヨロと追ってくる。

「一人で突破できましたか?」

「いや、流石にきついな」

 よく見ると社長のスーツも結構、血や埃で汚れている。

「おい、手伝え」

 社長は、俺がのした男の身体を抱えあげようとしていた。

「は、はい……!」

「いくぞ、ウオリャ!」

 社長と俺は、迫りくるチンピラ達に向かってその身体を投げつけた。

 男達はなす術なく一緒に倒れ込む。

「ほら、逃げるぞ!」

 社長のその声に急き立てられるように、俺達は走り出した。

 路地の奥へ、奥へ。そして表の通りに出て、別の路地に入る。とにかく何度も角を曲がり、あいつらの目の届かないところへ。

 途中、何故か笑いがこみ上げてきた。こんなに全力で走るのは、まだちゃんと学校に通っていた中学の時以来だ。

 大きな身体を必死に揺らせながら走る社長は、まだ俺の後ろにいた。

「社長、それじゃ追いつかれちゃいますよ!」

 笑みを抑えきれないまま、振り返る。

「うるせぇ……年寄りに無理さすんじゃねぇよ……」

 口ではそう言いながらも、社長の声もどこか弾んでいる。

 何もかもを忘れて、今と必死に向き合う高揚感。そうだこの感じ。幼かったあの頃のような。


      ***


 町名が変わるくらいのところまで走って、あいつらの気配も跡形もなくなった頃、俺達はようやく足を止めた。

 俺も社長も、呼吸が荒い。二人共腰に手を当て、身体を折る。

「いやー、走りましたねぇ」

「そうだな……面倒をかけたな。お陰で助かったよ」

 社長が俺の背中を優しく叩く。

「いえいえ、元々ボディガードとして呼ばれてたんですから」

「あいつらが何なのかはすぐに調査する。ハンパなことしやがって。落とし前は必ずつけさせるからな」

 社長の声は優しいままだったが、その目の奥は笑っていなかった。気分が一気にどん底まで突き落とされる。

 もし、俺が亀岡に見られたことが原因だったら……?

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