第6話

 夜の店である『Muse』にひとけがなくなるのは午前十一時頃だ。

 ボーイの一人に金を掴ませて入手した合鍵を使って、燦々と日が照る中、コソコソと店に潜り込む。

 亀岡をダマした時に散々下見をした、見慣れた店内。

 何か、何か証拠はないか。客など全員カモなのだ。顧客名簿はないのか〝ダマシ〟の痕跡は?

 バックヤードを漁ったが、この店には不自然なほど何もなかった。

 唯一怪しいのが、よく見るような漆黒の金庫だ。売上を入れているのだろう。だが、番号がわからない。ボーイから聞き出しておくべきだったか。いや、そんなことをしたらいよいよ言い訳がきかなくなる。

 どうにかして破るか……?


 ……ダメだな。それじゃ意味がない。これでは普通に押し入るのと変わらない。

 俺はそっと店を出た。

 そうだ、証拠などあるわけがない。この犯罪のプロ集団がそんな脇の甘いことをするはずがない。俺が〝ダマシ〟をやったときだって、ホステスへの指示は全て口頭で行ったのだから。

 では、どうする? 次の一手は?


「あれ? おい……」

 微かな声が聞こえた。俺の斜め後ろだ。声の主が誰か、俺は即座にわかった。亀岡だ。

 しまった。色々と考えを巡らせていた分、周りに十分気を配れていなかった。

 俺は気付かないふりをして路地に入り、亀岡の視界から消えた。そのまま一切後ろを振り返らず、走る。


 偶然か……? 早鐘を打つ心臓。俺は荒れた呼吸をおさえながら、数百メートル先のビルの陰でそれまでの行動を反芻する。

 最悪だ。よりにもよって亀岡か。一番やってはいけない禁を犯してしまった。

 さっきの出来事が致命的な影響を及ぼさなければ良いが……


      ***


 社長に随行を頼まれた。取引先と会食をするのに、ボディガードをしてほしいそうだ。

 俺は淡い希望を抱いた。何とかここで情報を掴めないか。


「初めて〝ダマシ〟をやってもらったが、どうだ。そろそろ落ち着いたか」

 会食は滞りなく済み、社長と並んで歩いている時に、ふとそんなことを聞かれた。

「ええ」

「良い度胸だ。対面で直接騙す、あのヒリヒリした緊張感に耐えられるやつは限られる」

「恐れ入ります」

「ところで、亀岡からの八百万だが、まだ振り込まれてないぞ」

 え……

「す、すみません……」

「かまわんかまわん。詐欺なんて所詮水物だ」

 社長がガハハと笑って鷹揚に俺の背を叩く。だが、すぐに真顔に戻った。

「ま、俺ならそんなヘマはしないけどな」

 一気に冷や汗が出てきた。何か知られているのか……?

 だが、それきり社長は何も言わなかった。社長の真意を掴みきれないままだったが、俺も前を向いた。

 その直後だった。

 右脇腹にわずかな痛みが走った。そして身体の自由が奪われる。塞がれる口。

 何が起こったかはすぐに分かった。

 フードを被った人間が、斜め前にいる社長の脇腹に何かを押し付けていた。刃物だ。

 対抗策を何も考えられないほど一瞬の内に、狭い裏路地にそのまま引きずり込まれる。

 いくらずっと裏社会にいたとはいえ、こんなことは初めてだった。

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