第40話

      四十


      夫


「それで! お前は沙月とどういう関係なんだ!」

 運転しながら、私は助手席の呉谷を問い詰める。速度もいつもより飛ばし気味だった。

 呉谷は黙っている。私の語気はどんどん荒くなっていった。

「ここで降りる」

 ある程度賑やかな市街地に入ったときに、呉谷がそう言った。そんな虫の良い話があってたまるか。

「ダメだ。沙月のことを話せ。沙月は昔もお前に相談していたと言ったな。今もお前にコンタクトをとっているのか!」

「妬いてるのか?」

 呉谷がようやく口を開く。

 私は妬いているのか? 一瞬私の思考が止まった。しかしすぐさま、再び動き出した。

 違う。そういう問題じゃない。沙月はなぜか昔の友人と関わりを持つのを極端に嫌がっていた。私と結婚した時も、共に青春を過ごした高校時代の友人に連絡しようとしたときに、ひどく難色を示した。

〝今の私はみんなの記憶に残ってる私じゃないから〟 一度だけ沙月が小声で漏らしたその言葉が、私の記憶に強く残っている。

 学生時代に最後に会った沙月は、もっと屈託のない人間だったと思うから、それよりあと、私と再会するまでの間に何かあったのだろう。話したくなれば沙月の方から話してくるだろうと思った私は、そのときは沙月にそれ以上何も聞かなかった。

 そんな沙月がまだ呉谷と連絡を取っている? もしそうならなんで私に言わなかったのか。私と呉谷が会っていたことも知っているのに。

「お前は所詮、沙月のことは何も知らないんだよ」

 私の心を読んだかのように、呉谷が痛いところを突いてくる。〝違う、あえて聞かなかったんだ〟その言い訳は口には出せなかった。

 呉谷はその言葉を最後に言い残し、渋滞で車が丁度動かなくなった時に、私の一瞬の隙をついて車を降り、進行方向とは反対に颯爽と歩き去っていった。



      妻


 盗聴器を壊した五日後、同じ型の盗聴器が家に届けられた。同じ小包の中には、最近撮られたであろう勝廣の写真が同封されていた。脅しだろう。

 やはり私は逃れられないのか。沙月の少しばかりの抵抗心は、何の波風を立てることもなく、跳ね返されてしまった。ほぼ全ての個人情報を既に知られてしまっているのだ。逃れようがない。

 勝廣は昨日から普通に出勤している。沙月の不安は以前より大きくなっていた。勝廣がいない家はこんなに静かだっただろうか。

 その後、特に何も起きないまま新たに二週間が過ぎた。勝廣が日中いないことで、あの二人からの呼び出しもその頻度を増していった。

 沙月はそのたびに、身体を奪われることへの辛さがどんどんと増していった。身体を触られている間に、頭の中に、常に勝廣の顔が浮かぶ。

 勝廣を頼りたい。勝廣に甘えたい。沙月にとって、初めての感情が生まれていた。夜に帰ってくる勝廣とのひと時が沙月にとって日々の癒しとなり、屈辱と孤独でたまらなくなる〝呼び出し〟を乗り切るための活力となっていた。

 しかしそんな日々を過ごしていくうちに、沙月の中では、相反するもう一つの思いがさらに強く育っていった。こんな悲惨な状態を、勝廣に知られるわけにはいかない、という思いだ。

 苦労を知らずに育った勝廣は、苦難に適応するために清廉な生き方をしなくなった沙月を理解してはくれないだろう。今、勝廣に捨てられたくない。今の暮らしの中で、勝廣が唯一の救いだ。それがなくなってしまえば、もう生きてはいられない。


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