第39話

      三十九


      夫


 車から出て携帯を開くと、電話をかけていたのは沙月だった。すぐに電話に出ると、電話口の沙月の声が、心なしかいつもより小さく、か細い。

「どうしたんだい、何かあったのか?」

「ううん。ちょっと声が聞きたくて」

 無理に笑っているような声で沙月がそう言う。いよいよおかしい。今まで沙月がそんな要件でかけてきたことはないし、向こうの電話越しからかすかに聞こえる犬やサイレンの音からして、外からかけているようだ。

「今どこにいるんだ? 何か問題でも起きたのか?」

「ううん、何でもないの。ちょっと買い物に出てて」

「迎えに行こうか?」

 不自然さが拭えない、私は心配になった。

「仕事中じゃないの?」

「さっき終わったよ。ちょっとしたトラブルだったから」

 まあ、これは事実に近い。

「ううん、でももうすぐ家に着くから」

 なぜか沙月の声が急に柔らかになった。

「分かった。俺もすぐ帰るよ」

 電話をかけ終わって車の方を見ると、呉谷も外に出ていて私達の会話を聞いていた。

「相手は沙月だろ?」

 私は言葉を失った。今まで、沙月のことは話していなかったはずだ。

「知らないとでも思ってたのか?」

 呉谷は馬鹿にしきったような顔でそう言った。

「どこまで知ってる?」

 私の声はたぶん震えていたと思う。

「さあ、沙月から聞いてないか?」

「どういうことだ!」

「随分と沙月との会話がないようだな。夫婦としてどうなんだ」

 沙月と私が結婚していることも知っているのか?

 私は勢いよく助手席の扉を開けた。

「細かいことは帰りながら聞かせてもらう。乗れ」

 私の口調は、それまでのような穏やかなものではなかった。



      妻


 勝廣の声を聞いているうちに、自然と気持ちが安らいできた。そうだ、勝廣は電話に出てくれる。いつも勝廣は、私のことを一番に考えてくれているじゃないか。沙月の顔には再び、心からの微笑みが浮かんでいた。

 家に着いた沙月は、いつもよりしゃんとして家事にとりかかった。身だしなみも整えなければ。勝廣はもうすぐ帰ってくる。

 着替えていると、ポケットに入れていた盗聴器が床に転がり落ちた。沙月はしばらくそれを眺めていたが、数分後、沙月は部屋にあった木製の椅子を持ってきて、迷うことなくその盗聴器をその椅子の足で踏みつぶした。

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