第17話
十七
夫
沙月はあの日のことを今でも話してくれない。ただ、あれから少し明るくなった気がする。口数が増えて普段の何気ないことも、自分から進んで話してくれるようになったのだ。
一方、週末になって私と加藤、鈴木愛香は約束通り、呉谷の実家を訪ねた。
「光雄が行方不明?」
呉谷の父親は、本人とは打って変わって厳めしい顔で、真っ白になった髪を短く刈り込んでいた。真面目な公務員が、そのまま順当に年を重ねた感じだ。母親の方が優しい顔立ちなので、呉谷は母親に似たのだろう。しかしその顔にも、今は微笑みすら浮かんでいない。
「愛香さん、なぜそういうことは早く言わないんだ」
「すみません……」
鈴木は顔を上げることができないまま、涙でかすれた声でそう言った。
「それでですね、ご両親。彼はどうも土田組という神戸の暴力団組織と金銭トラブルを抱えていたそうなんです、何かご存じありませんか?」加藤がそう尋ねるも、
「いやあ、全然知りませんなあ。光雄は普段の人付き合いのことを今はほとんど教えてくれんのです。大きな企業に入って立派に働いているものだとばっかり思っていたものですから、寝耳に水ですよ」と呉谷の父親は途方に暮れたようにそう答えるのみだった。
「どうも勤務先には本人からしばらく休職扱いにしてほしいと言ったようですから、ご両親にそちらから連絡がいかなかったのも無理のない事だと思います。しかし現実問題、これほど誰も連絡が取れないというのも異常だと言えます。このまま全員で警察に届けましょう」と私が言うと、呉谷の父親も「もちろんです」と急いで外出の準備を始めた。
しかし、母親の方は我々が座るソファの横に膝をついた状態のまま、なかなか動こうとしない。頬に手を当て、深いため息をつく。
「どうされました」と加藤が訊ねると、
「いえ、光雄は大丈夫なのかしら、と思って。警察はちゃんと見つけてくれるんでしょうか」
「お気持ちはわかります。確かに、連絡がとれなくなってから時間が経ってしまっているのは事実です。しかし、今回は明らかに事件性がありそうですから少しは力を割いてくれると思います」
私は思ったままを正直に答えただけだったが、呉谷の母親はさらに心配そうな顔になった。事件性があるなどと言うべきではなかったかもしれない。加藤や鈴木も凄い目で私を見つめてくる。しかし、現実から顔を背けるべきではないだろう。
「今回は本当に申し訳ありません! 私がもっとしっかりしていれば。警察が彼を見つけてくれなくても絶対に私が探し出しますから」
鈴木が深く頭を下げながらそう言った。
しかし、彼女は簡単にそう言うが、実際に鈴木がそのように動くとなると、必然的に私達も手伝わざるを得なくなるだろう。
妻
沙月にとって、盗聴器を身に付けての生活は想像以上にストレスのかかるものだった。発言の一つ一つに気を使うし、逆に沈黙は不自然だと思うので、勝廣を相手に差し障りのない話題で話すことが多くなった。一般的で自然な夫婦を演じなくてはいけないという意識が、常に沙月を支配する。
沙月の家から少し離れたところにあるホームセンターの駐車場に車を停めて、色眼鏡の男の部下二人が、盗聴器の音を拾って沙月を監視していた。
家からほど近くの、スーパーなどがある大通りの途中にあるホームセンターなので、普通の生活を送るうえで、その姿を何度も見るはめになった。
よくある家庭用の白いミニバンを使っているのが余計に怖い。長い時間停まっていても全然不自然じゃないので、警察からもなかなか怪しまれないだろう。
しかし、そんな生活も数日後には少しずつ慣れてきていた。人間の適応能力というものは改めて恐ろしいものだと沙月は実感する。しかし、恐怖が薄れてくると、今度はこの生活をいつまで続けなければならないのかという倦怠感が湧き上がってきた。
そんな思いとは裏腹に、今日の昼間、唐突に郵便受けに二台目の盗聴器が入った小袋が入れられた。おそらく一台目がバッテリー切れを起こす頃だったのだろう。
つまりこの生活はまだまだ続くということだ。終わりの見えない監視生活に、沙月は監獄に入ったような感覚を味わっていた。
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