彼女の家に棲むモノ

柳成人(やなぎなるひと)

第1話

 中学三年生の夏、僕に初めての彼女ができた。

 彼女は優里と言って、長い黒髪と真っ白な肌が魅力的な、お嬢様っぽい雰囲気の子だった。僕は彼女に首ったけで、この夏の間にどれだけ二人の仲を深められるかしか頭になかった。

 と言ってもまだ中学生の僕達に恋人同士らしい交際なんてできるはずもなく……ましてや平成の大合併にすら取り残されたわが村では、役場の隣に建つ図書館だけが唯一のデートスポットだった。


「どうしようか」


 夏休みが始まってわずか三日目。ミーンミンと蝉ががなり立てる中、僕と優里は途方に暮れていた。

 図書館の自動ドアには〈休館日〉の文字。

 週に一度、水曜日は休館である事をすっかり失念していたのだ。


「うち来る? 兄貴の子どもとか、おばとか、親戚うじゃうじゃ遊び来てるけど」

「……遠慮しとく」


 そりゃそうだろう。夏休みに浮かれる自宅に優里を連れ帰ったりしたら、親族お披露目会どころか見世物小屋の珍獣扱いされるのは目に見えてる。


「優里の家はどう?」

「えぇ、私んち⁉」

「いいじゃん。まだ一回も行った事ないし、行っちゃ駄目?」

「お父さんもお母さんも仕事でいないし、駄目って事はないけど……うち、古いし」

「田舎の家なんて、古いのはみんな一緒だろ。まぁ、優里んちは特別古いけどさ」


 優里の家は、戊辰戦争で消失した後に建て替えられたという村の中でも屈指の旧家で、両親との三人暮らしだと聞かされていた。


「じゃあ、行ってみる? でも……ちょっとだけだよ」


 渋々了承した優里に反し、僕は心の中でガッツポーズを決めた。

 夢にまで見た優里の部屋だ。ましてや常にひと目に晒される図書館とは違い、二人きりとなれば……これは二人の恋を進展させるまたとないチャンスだ!


「こっそりだよ。物音立てちゃ駄目だからね」


 浮かれる僕に、優里はそう釘を差した。


「誰もいないんだろ?」

「そう。いない……んだけど」


 家までたどり着いても、玄関の戸に手を掛けたまま優里はなかなか開けようとしない。恨めしそうに振り返り、再度確認する。


「……本当に、入る?」

「できれば」


 優里は大きく深呼吸し、意を決したように戸を開けた。そろそろと、静かに、まるで泥棒が忍び込むように。


「入って」


 囁くような声で促され、中に入る。

 玄関は土間で、腰ぐらいの高さに床があった。中央には木であつらえられた座卓が据えられ、上部に下がった火棚がかつて囲炉裏であった名残を感じさせた。

 黒光りする太い柱に、梁。部屋を仕切る重厚な木戸も、全てが築百五十年の歴史の厚みを感じさせる。

 しかしながら、何よりも僕の目を惹いたのは、隣の部屋に広がる奇妙な光景だった。

 古い民家には不釣り合いなガラスケースが並び、その中にはぎっしりとアニメのグッズが並んでいたのだ。ぬいぐるみやポスター、カードの他、おびただしい量のフィギュア達。


「あれって、誰かの趣味?」


 思わず聞いた僕に、優里はしっと人差し指を押し当てて見せた。


「ち、違うの。後で説明するから」


 僕達は忍び足でアニメグッズの部屋を通り抜け、縁側へと出た。一番奥が、優里の部屋らしい。

 柿渋色に光る廊下を歩く度に、格子戸に填まったガラスがビリビリと静かに揺れる。軒は深く、厚い屋根に隔てられているお陰で屋外よりも一段涼しく感じられる。

 そんな趣溢れる縁側に――ふと視線を落とすと、すっぽんぽんになった美少女フィギュアがあられもない姿を晒していた。周囲には衣服が脱ぎ散らかされている。

 優里は通りすがりざま、無造作にそれらを足の裏で廊下の隅に追いやった。僕は見てはいけないものを見てしまったようなうしろめたい気分で、その後を追った。

 部屋に着くなり、後ろ手にふすまを閉める優里。

 口を開きかけた僕を、即座に右手で制した。


「……ごめんね。この家、出るのよ」

「出るって……何が?」


 僕は問い返した。暑さのせいか、今見たものの不可解さのせいか、乾いた喉に声が張り付くようだった。


「……座敷わらし」

「座敷……わらし」


 飲み込んだ生唾が、ごくりと喉を鳴らす。


「実はこの家、座敷わらしが出るって有名なの。だから全国から、沢山のおもちゃが送られてきて……見たでしょ? 廊下にあったのも、多分、おままごとをした跡」


 なるほどなるほど。アニメグッズのコレクションに見えたあれは、愛好者が善意で届けてくれた座敷わらし用の遊び道具というわけか。

 でもって、実際に座敷わらしは美少女フィギュアのコスチュームを脱がせたり、着せたりするおままごと遊びを……って、にわかには信じがたいけど。

 と思いきや、どこか遠くでトテトテという子どもが走り回るような足音が聞こえた。思わず顔を見合わせる。


「本当だ」

「信じてくれる?」


 神妙な顔つきの彼女に、僕は頷かざるを得なかった。


「変な音がしたりするから、いつも部屋にいる時は音楽かけてるの。うるさいかもしれないけど、我慢してね」


 優里はおもむろに、チェストの上に置かれたスピーカーを操作した。ドン! と飛び上がるほどの爆音で音楽が流れはじめる。


「BGMにもなるしっ、ちょうどいいでしょっ?」


 声を張り上げないと会話も成り立たないような音量はどうかと思うけど。

 僕の中にあるお嬢様っぽい優里のイメージが少しずつズレるのを感じた。 


「じゃあ、ちょっと飲み物持ってくるねっ!」


 優里が出て行った隙に、改めて部屋の中を見回す。真っ黒な建物の中、全て白で統一された家具は不思議と調和して、モダンな印象さえ受ける。

 壁に飾られた雑貨やポストカードも女の子らしくて可愛らしい。何よりも、部屋全体が何とも言えないフローラルでスウィートな香りに包まれている。同年代の女の子達がいつの間にか身にまとうようになった、あの匂いと一緒だ。

 いろいろと引っ掛かる点はあれど、それもこれも全部座敷わらしとやらが棲み付いているせいだ。優里はやっぱりセンスがいいなと思いなおしつつ……手を伸ばしてスピーカーのボリュームをほんの少し落とす。いくらなんでもこの音量は、彼女の聴力に悪影響を及ぼす可能性がある。

 ガタリ、とまたどこかで物音がしたような気がするのは気のせいか。


「お待たせーっ! 紅茶をどうぞっ!」


 優里は二人分のティーセットをのせたお盆を手に戻って来た。麦茶でもカルピスでもなく、冷やしたレモンティーが出てくる品の良さに感動を覚える。その上添えられているのは、見るからに手作りっぽいクッキーだ。


「これ、もしかしてっ、優里が作ったのっ?」

「そうっ! って言いたいところだけどっ、前にお母さんと一緒に作ったやつっ!」

「俺っ、こういう手作りのクッキー、大好きなんだっ!」

「そうなんだっ! せっかくだからいっぱい食べてっ!」


 あーん、と言わんばかりに優里が差し出すクッキーを口に入れる。手作りならではの、香ばしい小麦粉の風味が口いっぱいに広がった。


「すげー美味いよっ!」

「本当っ! 嬉しいっ!」


 やり取りだけ見れば恋人同士がいちゃついているようにも見えるのだろうが、いかんせん、耳元でがなり立てなければ声が届かないのだからムードもへったくれもない。

 酷使された喉はやたらと水分を欲し、あっという間にティーポットが空になると、今度はお腹の中がグルグルと異常を訴えた。

 冷たいものを急激に投入したせいで、腹が冷えたらしい。


「優里ごめんっ、トイレ借りていいっ?」

「トイレっ? ……仕方ないか。ついて来て」


 優里はふすまから顔だけを出すようにして、キョロキョロと周囲をうかがった。

 座敷わらしとエンカウントしないか、警戒しているのだろうか。

 僕の想像よりも、この家はよっぽど座敷わらしの影に脅かされているらしい。

 来た時同様、誰もいない家の中を抜き足差し足で引き返す。玄関の反対側、建物西側にある細い通路の手前の木戸がお風呂場、突き当たりの扉が便所と案内される。


「わかってると思うけど……古い家だから」

「大丈夫。気にしないよ」


 優里の断りをみなまで聞く事もなく扉を開けると、案の定便器は和式だった。直下に空いた黒々とした穴から臭気が込み上げてくる、汲み取り式の。いわゆるぼっとん便所。

 別に和式が苦手というわけではないが、扉の外に優里がいると思うと、出る物も出ない。変な音が出たらどうしようと、思春期の女の子みたいに羞恥心が込み上げてふんばる事もできない。

 ピンポーン。

 ちょうどよく呼び鈴が鳴り、「はーい」と優里が駆けていくのがわかった。

 チャンス到来。

 いざ短期決戦と挑まんと、臀部に全身の力を全集中させる。確かな手ごたえとともに、解放された喜びが脳に満ち溢れる。

 勝った。これにて勝負あり。

 あとは戦後処理とばかりに手を伸ばし……僕は重大な事態に気づいた。

 紙がない。

 トイレットペーパーホルダーには、茶色の芯だけが収まっていた。

 困ったなぁと耳を澄ませてみるものの、優里が戻って来る気配はない。扉を細めに開けて、外を覗いてみる。

 少し手前に洗面台と、小さな収納庫が置かれているのが見えた。トイレットペーパーの予備をストックするとすれば、きっとあのへんだろう。

 一寸悩んだ後、僕はズボンを膝まで下げた情けない格好のまま、ペンギンのように小股でヨチヨチと踏み出した。

 大股ならせいぜいニ歩。一瞬で戻れる距離だ。

 収納庫の扉を開け、予想通り置かれていた桃色のトイレットペーパーを掴もうとしたその時――ガラリと戸が開く音がした。


「ゆ、優里ごめん! 紙が……」


 咄嗟にTシャツの裾を手で引っ張って丸出しのケツを隠そうと試みつつ、振り返り――目が点になった。

 空いたのは隣の浴室の木戸で、現れたのは優里ではなく、上下スウェット、頭も髭もボサボサのおっさんだった。


「何者じゃっ?」


 おっさんさんは目を吊り上げて、僕を見下ろした。


「拙者の家で何をしておる?」

「す、すみません。僕はその、優里ちゃんの……」

「優里!? 貴様そんなはしたない格好をして、さてはうちの優里と乳繰り合うつもりじゃな? 許せぬ! 月に代わっておしおきよ!」


 おっさんは突如手にしたプラスチック製の剣を突きつけた。刀身に埋め込まれた豆ライトがピカピカと七色の光を放ち、ぷぉーんぷぉーん、ダダダダダダ……と気の抜けた効果音が鳴り響く。


「滅びよ悪! 夢見る乙女の底力、受けてみなさい!」 

「ちょっと、何の騒ぎなの!? ってお兄ちゃん! やめて!」


 騒ぎを聞きつけて、血相を変えた優里が駆け戻ってきた。


「見ての通り、このハレンチな輩を成敗しているのじゃ! 闇の力のしもべたちよ! とっととお家に帰りなさい! はーっはっはっ!」

「やめてお兄ちゃん! 小泉君はそういうんじゃないから! 小泉君も早くズボンはいて!」


 言われて初めて、僕は下半身丸出しで立ち尽くしている自分に気づいた。

 慌ててズボンを引き上げ、でも尻が未処理なのを思い出し、トイレットペーパーを握り締めてトイレに舞い戻る。


「お兄ちゃんはあっち行っててよっ! 部屋から出て来ないでって言ったでしょっ!」

「昼間から男を連れ込むようなはしたない女が何を言うでござるか! その汚れた性根ごと、拙者がこのドリーム・ラブ・エクスカリバーで浄化して……」

「うるさいっ! 消えろっ! あっち行けっ!」

「ンゴっ!」


 ドカっ、ぼこっと身の毛もよだつような激しい音に次いで、バタバタと足跡が遠ざかっていく。普段のおしとやかな優里からは想像のつかない豹変ぶりに、驚きを隠せない。

 静寂が戻るのを待ち、全てをトイレの穴の中に葬り去った後、僕は恐る恐る扉を開けた。

 しょんぼりと肩を落とすのは、いつもの愛らしい優里だった。


「……ごめん」

「こっちこそ。紙、なかったからってって勝手に探しちゃって」

「……嘘なの」

「へ?」


 優里は顔を上げて、僕の目を見て言った。


「一人っ子だとか、座敷わらしがいるとか、全部嘘なんだ。この家に座敷わらしなんていない。いるのはあのお兄ちゃん……子供部屋おじさんだけ」



   ◇



 優里の兄は、かつて都内の有名大学に進学したものの、受験を終えた反動から趣味のアニメに没頭。ほとんど出席することなく留年に留年を重ねた挙句、中退して実家に舞い戻って来たらしい。

 実家に帰ってからは働きもせず、日がな一日アニメを観たり、グッズで一人遊びをして過ごしている。俗にいう子供部屋おじさんだ。

 そんな兄の存在を優里はもちろん、両親も口外できず、存在を伏せたまま暮らしている。

 そこへ急遽僕が来る事になったから、優里は咄嗟に座敷わらしのせいにしてごまかそうと考えたというわけだ。


「それは……大変だね」

「幻滅したでしょ? 座敷わらしだなんて嘘ついてごめんね」

「そんな事はないよ。むしろ嫌な思いをさせたみたいで、こっちこそごめん」

「小泉君……」


 優里が潤んだ目で見つめてくる。と――


「拙者が座敷わらしとは面白い!」


 突然ガラリとふすまが開いて、再び髭もじゃスウェットおじさん――もといお兄さんが乱入してきた。額のたんこぶは、さっき優里がつけた傷か。


「ちょっと! 勝手に入って来ないでっていつも言ってるでしょ! 盗み聞きしてたの?」

「説明しよう! 座敷わらしとは、公にはできない子どもの存在に由来していると言われておる。使用人に手を出して生まれた子どもや、障害を抱えた生まれて来た子どもを、家の中でこっそり育てていたのが露見した、というんでござるな。翻って拙者の身を鑑みれば、親兄妹にも疎まれ存在無き者として扱われているという点においては、相通じるものがある! 座敷わらしとはこれ、言い得て妙にござる!」

「うるさいバカっ! あっち行けっ! あと縁側のフィギュア、片付けといてよ気持ち悪いっ!」

「ぶっ! 縁側のフィギュア、じゃと?」


 思い切り投げつけられたティッシュの箱で傷を一つ増やしながら、お兄さんは目を見開いた。


「知らんでござるよ。拙者が大事なフィギュアを持ち出すはずがあるまい。優里、貴様が当てつけにやったのではござらんのか」

「そんなはずないでしょ気色悪い! 触りたくもないっていうの!」

「では拙者のコレクションで時々遊んでいるのは、一体誰が……」


 ふとその時、どこか遠くでトテトテという子どもが走り回るような足音が聞こえた。

 思わず三人で顔を見合わせる。


「ちょっと待って! あれってお兄ちゃんじゃなかったの?」

「拙者は優里の仕業だとばかり……」


 恐る恐る、三人でふすまから外の様子をうかがい――


「ひっ」


 と小さな悲鳴をあげた。

 縁側に、先ほどのものとは別の美少女フィギュアが直立し、こっちを見ていた。


「座敷わらしでござるよ! 家に富をもたらすでござる!」

「うるさい! ごく潰しの癖にっ!」

「ンゴっ!」


 どうやら優里の家には、子供部屋おじさんと本物の座敷わらしが共存しているらしい。

 ただまぁ、またしても全裸に剥かれているあたり……座敷わらしのほうもちょっと変わった性癖の持主のようだが。

 叩き出されるお兄さんを横目に見ながら、僕はこの先本当に彼女と仲を深めていけるんだろうかと不安でいっぱいになった。


<了>

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