雨の夜には私と1杯どうですか?

黒潮旗魚

第1話

大通りを道なりに進み、5つ目の十字路を右に曲がる。するとネオンが眩しい大通りとは雰囲気の違う廃れた商店街が目の前に広がった。そこを10分ほど歩いていくと、目的地である白いビルが見えてくる。佐々木はビルを見上げ、傘を畳んだ。昼間は日の光に照らされ存在が霞むこのビルも、雨が降る夜にはどこか不思議な光を放っていた。


「やってるな。」


佐々木の足は自然と速くなった。階段でビルの最上階へ向かう。最上階に着くと木でできたモダンな雰囲気のドアに手をかけた。ドアノブを引くと、カランコロンと気持ちのいいベルの音でハッとするマスターの顔が見えた。


「ようマスター、精が出るね。」


「なんだあんたかい。身構えて損したね。」


「客に対してその態度はないだろう。」


佐々木は冗談交じりで言い、カウンターに座った。


「さぁ、マスター、今日のおすすめはなんだい。」


マスターは小さくため息をつくと銀色に光るカクテルシェーカーを持った。


「ちょっと待ってろ。」


そう言って流れるように作業を始めた。カクテルグラスを用意し、シェーカーに素人では名前も分からないものを入れていき、適量の氷を詰める。一つ一つの動作がかっこよく佐々木はほれぼれした。そしてカタカタとシェーカーを振る音は大人の心を無邪気に踊らせる。そんな心とは裏腹に静かな店内には小さく雨音が響き、大人びた雰囲気が体を強く押し付けていた。


「できたぞ。」


そう言って出されたカクテルは雨上がりの空のような霞んだ青色をしていた。


「綺麗なカクテルだな。なんて言うんだ?」


「さぁ、忘れちまった。」


自分を嘲笑うかのように言うマスターに佐々木は少しムッとした。しかしカクテルを口に運ぶと、優しい甘さと柑橘の爽やかな酸味が広がり、濁った気持ちもすっとはれていった。優しい甘さを外へ逃がすかのように佐々木は小さくため息をついた。


「···何かあったのかい?」


急なマスターの質問に佐々木は驚いた。


「あんたがここに来たってことはなんかあったんだろう。いつも通り、酒のお代分ぐらいは聞いてやるよ。」


「···さすがあんただな。まるで超能力者だ。」


佐々木はマスターを皮肉るように言うと、名も分からないカクテルをもう一度口に運んだ。そしてまた小さくため息をつくと、重たい口を開いた。


「最近仕事の調子が悪くてな、営業に行ってもイマイチの態度されるし、デスクワークでも小さなミスから大きなミスまでやたらと積み重ねちゃって。ついに上司から次やらかしたら首だって言われる始末でさ、もうなにも嫌になっちまった。」


佐々木は大きくため息をつくとマスターを見た。マスターは人の気も知らずゆうゆうとグラスにビールを注ぎ、喉を鳴らしながら飲み始めた。


「おいおい、俺が真剣に話してるのにその態度はないだろう。さすがの俺でもキレるぞ。」


佐々木がそう言うとマスターはけたけたと笑い、もう一度グラスに口をつけた。そして一気に飲み干すと気持ちよさそうに口を拭った。


「すまんすまん、あまりにも我慢できなくてな。で、これからお前さんはどうするんだい?」


佐々木は少し悩んでから言った。


「今の仕事をやめて、新しい仕事を探すのもいいと思っている。」


佐々木がそう言うとマスターは手を叩いて笑い始めた。その姿にはこれまで耐えてきた佐々木もさすがに腹を立て、机を力強く叩くと声を荒らげた。


「何がおかしい!さっきっから人を馬鹿にしたような態度取りやがって!」


マスターは涙を拭い、佐々木の肩を優しく叩いた。


「まあまあ落ち着けよ。態度が悪かったのは謝る。ついでに何個か質問させてくれよ。」


「なんだ?」


「あんたはこれまでいくつ失敗をした?」


おかしな質問に佐々木は困惑した。


「いくつ?それは会社に入ってからか?」


「いや、生まれてからだ。いくつした?」


「そんなものわかるわけが無い。そもそも覚えていられるはずもないだろう。」


「あれ?覚えていないのかい?会社でのミスは嫌なほど覚えているのに?」


佐々木はますます困惑した。


「お前はなにが言いたいんだ。」


「まぁ、教えてやるから、まずは座れって。」


佐々木はハッとしてゆっくりと椅子に座った。そして残ったカクテルを一気に飲み干した。すると、さっき飲んだ時とは違う、少し強い甘さが口に広がった。


「で、何が言いたいんだ?」


マスターは真っ直ぐに佐々木を見た。


「俺から説教じみたことなんて聞きたくないだろう。だから俺から言えることはひとつ。今のままじゃ、仕事変えても上手くいかねぇよ。」


佐々木は、この状況でまだこいつは俺を煽るのか、と一周まわって呆れてしまった。そしてふっと鼻で笑うと佐々木は聞いた。


「じゃあ俺はこれからどうすればいいんだ?」


マスターはコップを磨きながら言った。


「さぁな、自分で考えろ。酒1杯で言えるのはここまでだ。」


佐々木はムッとしたが今更のことだなと笑ってしまった。そして財布から5000円札を取り出すとカウンターにそっと置き立ち上がった。


「まいど。」


マスターの低い声が佐々木の背中を押した。店を出ようとドアノブに手をかけた。その時だった。


「おい」


マスターが佐々木を呼び止めた。


「なんだ?」


「お前が飲んだカクテルの名前、思い出したわ。After the rain(降り止まない雨はない)

そんな名前だ。」


佐々木は無言で店を出た。ビルを出ると、さっきまで降っていた雨がいつの間にか止んでいた。佐々木はふっと笑い、広げた傘を閉じた。口の中にはカクテルの甘い風味がまだ残っている。佐々木の足は自然と早くなってい

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