chapter 2 死の欲動
砂漠の国は分厚い雲に覆われていた。異常な寒さと日照不足のため農作物がまったく育たず、多くの国民が餓えて死に、さらにそれ以上の人数が中心街へ繰り出して商店のシャッターやショーウィンドウを壊して回った。こうした緊急事態に有効な対策を打たない政府への不満が高まると、反政府勢力によるテロが多発し、軍・警察と暴徒との衝突で現地に入ったジャーナリストの命も危ないとなれば、国内の惨状はいっそう国際社会に伝わらず、まるで死神が通ったかのようなひどいありさま、要するに国じゅうめちゃめちゃだった。にもかかわらず、異常気象の本当の原因が博物館にあるとは誰ひとり気づいていなかった。
停電の中、路上にひっくり返ったまま放置された車の炎だけが照らす大通りを低空飛行し、ルナは《猫の神》とともに考古学博物館へ入った。金色の杖を右に、左に、ときにはぐるぐると回して《うねうね》を片っ端から封印しつつ、火事場泥棒に荒らされ尽くした展示室を通り抜けると、誰もいない修復室で《うねうね》の親玉を見つけた。
「《デストルド》じゃ」《猫の神》が吐き捨てるように言った。「あやつの後ろに黄金の小箱が見えるか?《デストルド》を封じた指輪をあの箱に納めることで……」
「私達お別れね?」
「……ああ。それをもって封印が完成する」
ルナが杖を構えると、《デストルド》の身体が部屋いちめんに散った。前後左右と頭上から《うねうね》の大群が同時に襲いかかってくる!《猫の神》はルナが戦うあいだ、呪文を唱えて結界のようなものを張ってくれているらしく、ルナは結界を破ってくるわずかな数の《うねうね》を雷撃で撃ち落とせばよかった。
二匹のコンビネーションで順調に戦いを進めながらも、ルナの心の中にはひとつの疑問が頭をもたげ始めた。誰かが小箱を開けたせいで《デストルド》の封印が解けたんだろうけど、事情は私達しか知らないんだから、再封印するだけじゃ誰かがすぐに箱を開けちゃうのでは?……とはいえ《猫の神》に今、話しかければ結界が消えて大ピンチなので、ルナはひとまず《デストルド》をやっつけることに意識を集中した。そしてついに質問する機会がないまま、《デストルド》を構成する《うねうね》すべてを、つまり《デストルド》そのものを指輪に封印し終えた。死んでいるから疲れるわけないはずだが、疲れた、とルナは思った。
「さて。わしの身体が石になったら、指輪とともに箱へ納めてくれ。お前でも触れるはずじゃ」
「それだけでいいの?」
「未来の《ウンネフェル》が何度でも《デストルド》を倒すじゃろう。そのための見張り番がこのわしじゃ。……ああ、小箱は人目につかぬいずこかへ隠せよ?」
「そういうことじゃなくて、あなたは、それでいいの?」
《猫の神》が、出会ってから初めてきょとんとした。が、その小さな身体は薄らいで手のひらサイズの小像に変わり、言いつけどおり指輪といっしょに小箱へ納めると、ルナの猫の身体もまた希薄になり始めた。封印の箱を抱え、黒雲が途切れた月夜の砂漠をできるだけ遠くへ、遠くへと飛び、都市からじゅうぶん離れたところで、砂の中に思い切り両腕を押し込む。身も心も疲れ果てて冷たい砂丘の上に寝転び、ルナは猛烈な眠気に負けて目を閉じた。
次の瞬間、ルナは星の世界にいた。ほんのひとまばたきほどの瞬間だったろう。起き上がってみると、そこは砂漠でも地球でもないことが分かった。そこはとんでもなく巨大な船だった。
後ろ半分の欠けた卵、という表現がいちばん合っているかもしれない。とにかくそんなようなものが、とがった側を船首にして、星々がまたたく暗黒の中を進んでいる。船には
星の世界から、犬みたいな人や鳥みたいな人がルナの目の前に降りてきた。
「交代要員か!助かった。すぐ出てくれ」
「なんのこと?」
「ん?聞いてないのかい?」
動物頭のおにいさん達は顔を見合わせた。
「あ、あの、私、《ウンネフェル》で、《うねうね》退治で気がついたらここに」
《ウンネフェル》という言葉に合点がいったらしく、動物みたいな人達はもういちど飛び立って船の外から一匹の猫人間を呼んできてくれた。新入りくん、この子がきみの先輩だから何でも尋ねてみるといい、とルナに紹介すると、おにいさん達は仕事?へ戻っていった。
「あなたが二代目?ということは、《蛇》の封印が解けたのね」
「もういちど封印しましたけど……。あのー、先輩さんも元・人間?」
「ええ。セネトでいいわ。あなたは?」
「ルナです」
「はじめましてルナちゃん。お仕事おつかれさま」
セネトは生きていればざっと数千歳(!!)にもなるという先代の《ウンネフェル》で、《デストルド》があちら側の……生きている人間の世界に現れたことのあらましを説明してくれた。
むかしむかし、砂漠の国に悪い神官がいた。神官は冥界から《デストルド》を召喚して世界に呪いをかけようとした。悪い神官はわりとすぐ捕まって処刑されたものの、やっかいなのが《デストルド》だ。なにしろ《デストルド》は冥界のエネルギーの一部なので、死者でないと倒せない。そこで魔法の戦士の素体に選ばれたのがセネトだった。セネトは《猫の神》の加護でルナと同じタイプの猫の身体を授かり、ルナがやったのと同じように《うねうね》を魔法の指輪に封印して死んだ(ちなみに“セネト”は彼女の本名ではなく、セネトという古代のゲームが得意だったことから何千年も前の友達がつけたあだ名だそうだ。セネトは、砂漠の国に厄災が降りかかったとき神々への生け贄として殺される役目の、名無しの巫女だった)。
死んだあとのセネトは冥界にうごめく《うねうね》から船を守る部隊の一員として、仲間とともに戦い続けているという。
「それにしても、生け贄なんて風習、いつまでたっても残っているものなのね……」
「いえ、私はたまたま自殺したところを拾われただけで」
「自殺を!なぜ!?」
ルナはちょっと躊躇してから、伝わらなくてもいいやと覚悟して話すことにした。
ルナの朝は、携帯型端末のチャットアプリに何百件も溜まっているログを速読することから始まる。ここで昨夜ルナが寝落ちしてから目覚めるまでの流れを完璧に掴んでおかないと、教室での雑談について行けない。この予習をフレンド間チャットや裏チャットでも繰り返す。で、登校したらクラスの女子全員に「△△ちゃんおはよー」「××ちゃんおはよー」「◇◇ちゃんおはよー」……と大きな声で明るく挨拶していく。一人でも挨拶し忘れようものなら、その子が泣きながらボス猿にチクり、たちまちルナは仲良しグループから外される。一日じゅうこんな具合で、“みんな”の輪の中にとどまり、“ふつうの子”でいるため、授業中も休み時間も放課後であっても決して気は抜けない。
「……これ毎日繰り返すんですよ?疲れてても体調が悪くても毎日やるの!置いてけぼりにされると居場所ないから!!でも親は『学校行け』って。そのうち、こんな人生にしがみつく意味あるのかなーって、もうどうでもよくなっちゃって」
「……」
「学校って、“世の中こういうものだから、さっさとあきらめて無感情お仕事マシーンになろう”ってことを勉強しに行くとこなのかな」
セネトは難しい顔で考え込み、ルナの苦悩と絶望を理解しようとしているらしかったが、数千年という時の隔たりはあまりにも大きく、けっきょく何も言わなかった。とはいえルナにとっては、分かりもしないくせに半端な言葉で励まされたり慰められたりするぐらいなら、沈黙で答えてくれるほうがずっとよかった。ルナは話題を変えた。
「そんな今さらな話より、これからのことで相談があるんですけど、乗ってくれます?」
「もちろん」
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