魔法少女ウンネフェルは生き返らない
ユウグレムシ
chapter 1 猫の神
考古学博物館の修復室で、トムは新しく見つかった遺物の調査に取りかかかっていた。黄金の小箱に隙間なく象嵌されている古代文字のメモを取り、防塵マスクを着けたままジャンの机へ向かう。ジャンは机いっぱいに資料やノートを広げて碑文の写しと格闘しているところだったが、トムの手渡したメモを見ると事もなげに解読してみせた。
「墓荒らしから宝物を守るための呪文だな。呪いの相手が個人でなく“世界”になってるのは、僕の知る限り前例がないけど……まあ、よくある決まり文句さ」
「中身については?」
「何も」
「ありがとう」
トムは自分の作業机に戻った。箱のサイズから考えて、宝物の予想はつく……。手袋をはめた手で慎重に、数千年の時を経てボロボロになった蝶番が砕けてしまわないように細心の注意を払ってフタを開けてゆくと、予想したとおりの、しかし見事さにおいては予想以上のものが現れた。大きなブラックダイヤモンドの指輪が蛍光灯の明かりを反射してきらめいている。
指輪といっしょに納められている猫の小像にトムが気づいたとき、修復室の照明がいっせいに消えた。停電からはすぐ回復したが、さっきまで箱の中にあったはずの宝物がすべて消え失せていた。
* * *
ルナは安らかな気持ちで月夜の阿比寿町を見下ろしていた。十分足らずの苦痛と引き換えに、明日の授業からも、トモダチ付き合いからも、肉体からも解き放たれて意識だけの存在となったルナは、何かに吸い寄せられるように濃紺の澄んだ夜空を高く高く昇ってゆく。そこへ光の足あとを点々と灯しながら、一匹の猫がやってきた。猫はルナの魂を咥えると、空中を駆け降りて街灯の明かりの中へ音もなく着地した。
だれ?なぜ?という思いが沸き上がったが、伝えるすべがない。猫が魂を口から放し、ルナは道端にふわりと漂った。
「おっと失礼、このままでは話もできまい。お前は……女の子じゃったな?」
猫が呪文を唱えると、暗闇の向こうから包帯のようなものが伸びてきた。表と裏にびっしりと絵文字が描かれているとても細長い布きれは、ルナの魂に巻き付きながらお尻も乳房もだんだん女の子の形をとり、頭から両つま先までを覆い尽くすと、するりとほどけて消えた。カーブミラーを見上げる。街灯のスポットライトの下に現れたのは、ふわふわの毛皮をもつ人型の猫の姿になったルナだった。
「にゃっ!?」
夜の空気を深く吸って吐き、肉球のある両手でこわごわ身体を探ってみた。胸の奥で脈打つ心臓から手足と尻尾の先へと、温かい血液がふたたび行き渡るのが感じられる。毛皮の上に一応、服を着ているらしかったが、丸出しのお腹をまさぐると乳首が増えていた。ルナは思わず前かがみになった。
うろたえるルナの様子を見ていた猫が
「わしは《猫の神》。ルナよ、お前に手伝ってもらいたいことがある」
お願いするような口ぶりだが、それは命令だった。
こうしてルナの戦いが始まった。……自殺なんてするんじゃなかった。ルナは自殺したせいで、ふつうの人間ならまず関わることのない余計な仕事を背負い込んでしまった。
深夜の阿比寿町は死人だらけだった。阿比寿駅の駅舎から上りと下りの線路に沿って、大勢の魂がうつむいたまま、レールの枕木の上をとぼとぼ歩いている。“人身事故のため◯◯線に×分の遅れ”それがこの人達だった。高層ビルの真下でぼんやりと膝を抱える魂もいる。大通りも昼間の賑わいに負けないぐらい魂でごったがえしている……歩道じゃなくて車道だけど。おじさんもおばさんも、おにいさんもおねえさんも、それからルナと同じ年頃の女の子も男の子も、忙しい世の中についてゆけず、みんな社会の無関心の下敷きになって死んでいった人達だ。野良犬や野良猫もたくさんうろついていたが、どういうわけか、ちょんまげの人とか縄文人とかは見当たらなかった。
町の上空をパトロールしていると、ジグザグの軌跡を曳いて黒いうねうねしたものが飛んできた。迎え撃つルナの手に金色の杖が現れ、杖先と《うねうね》とを一瞬の稲妻が結ぶ。雷撃に打たれて墜落してゆく《うねうね》に指輪をかざし、黒い宝石の中へ吸い込めばひと仕事だ。ルナの仕事は、世界に散らばった《うねうね》(《猫の神》は《蛇》と呼んでいたが)を魔法で弱らせて指輪に封印すること。死者の魂を食べる《うねうね》は冥界の存在だから、同じくあちら側の存在で《うねうね》に干渉できる死にたての魂が、魔法の戦士 《ウンネフェル(不朽のもの)》の素体として必要というわけだった。
ルナの肉体は《猫の神》の力で与えられているかりそめのもので、《猫の神》や《うねうね》のような冥界の存在以外には干渉できないし、ふつうの人の目にも見えない。朝になれば太陽の力で人間だった頃のルナの姿に戻る、というか、“変身する”こともできたが、それは昼間のほうが《ウンネフェル》の魔力が強くなるというだけで、《うねうね》が夜間しか活動できない以上、特に意味はなかった。《猫の神》が幾度も繰り返しルナに言い聞かせたのは「死んだ者は生き返らない」ということだった。
日本じゅうを飛び回り《うねうね》を何匹かやっつけたあとで自宅へ帰ってみると、警察の人が来たのか、ルナの部屋はきれいに片付いていた。ベッドの上では唯一、分厚いアルバムが開きっぱなしになっていて、赤ちゃんの頃から小学生ぐらいまでのルナの、屈託のない笑顔が何枚も何枚も散らばっていた。ルナはなんとなく人間の姿に変身し、学習机の前に座って暗い部屋の窓から外を見た。近所の家々の屋根、馬鹿みたいに青い空、生きていた頃と変わらない眺め。……途中で終わっちゃった私の人生。なにも死ななくたって、学校に行きたくなかったら行かなきゃよかったんだ。学園祭だって修学旅行だって無視しちゃえばよかった。親はいろいろ言うけど、受験だって無理してまでやる必要はない。「死にたい」と思ってる時は、頭の中が死ぬことでいっぱいになって、それ以外の選択肢が吹っ飛んでしまう。今さらだけど、本ッ当に馬鹿なことしたなぁ。
窓から通りへ出てみると、太筆で“ミツエダ家”と書かれている白い立て看板があった。同じ看板の矢印を追って飛ぶうち、ある建物で、ルナの葬式がちょうど行われているのを見つけた。式場には喪服のおかあさんとおとうさんの他にも知らない大人がたくさんいて、校長先生や担任の先生や、クラスのみんなまでが……あいつらまでが、黒っぽい服装で参列していた。クラスメートの中にはわりと親しかった子もそうでなかった子もいたが、誰もが“この苦行はいつ終わるのか”と言いたげに無表情で立ち並んでいた。半日も経てばルナのことなど記憶からすっぽり抜け落ちているだろう。
パイプ椅子の座列の向こうに細長い箱が横たわっている。まっすぐ進んで中をのぞくと、人形みたいに真っ白な顔が眠っていた。
ルナの死体だった。
自殺しても、こんなものだ。
ゴミ捨て場の新聞記事で、校長先生と教頭先生と知らないおじさんが揃ってお辞儀している。生徒が自殺したという不祥事をもみ消せないと分かったから、ほとぼりが冷めるまで頭を下げてやり過ごすつもりでいるのが見え見えだ。私は地球の平和を直接守ってるわけじゃないけど、こんな人達のために戦う価値があるのか?この戦いは何のためなのか?
人間社会から切り離され、完全に《ウンネフェル》となったルナは怒りに任せて世界じゅうを飛び回り、ありとあらゆる国の《うねうね》を封印し尽くすうちに、地球は死者であふれかえっているということを知った。都市はもちろん、海の底でも山の上でも湖の中でも森の奥でも、数えきれないほどの迷える魂が蛍火のようにゆらめいている。しかし信じがたいことに、これでも最近死んだ人間の魂だけなのだ!
夜更け、雲の上をゆく旅客機を超音速で追い越しながら、ルナは《猫の神》にたずねた。
「そういえば訊いてなかったけど、《うねうね》をぜんぶ封印したら、私ってやっぱ死ぬの?」
「もともと死にゆく魂を利用しただけじゃでの」
「へへ、だよね。……私って、死んだらどうなるの?」
「……」
《猫の神》が答えなかったので、ルナは質問を変えた。
「じゃあさ、《うねうね》ってなんなの?どうして封印しなくちゃならないの?」
「それはじきに分かる」
万事こんな調子だから、《猫の神》がそっけなくてもルナは慣れっこだった。そもそも猫とはそっけないものだ。二匹は《うねうね》の発生源である砂漠の国へと向かっていた。というのも、もうそこにしか《うねうね》が残っていないからだ。
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