資料 米国での戦闘における軍歌

 以下に掲載するは日系人が進軍する際に歌われた曲である。開戦前より用意されており、事前に決起隊に歌詞が伝えられていた。

在米日系人進軍歌

1、我らが待ちし 開戦の  狼煙のろしたなびく 米国ぞ

  在りし我らの 赤誠せきせいを  示す事こそ 我が務め


2、我に流るる 赤き血は  大和やまとの民の 血を受けて

  二親からは 繋がれど  大和魂やまとだましい 受け継ぎて


3、召集令を 受けたらば  家に隠せし 弾薬を

  日本刀やまとがたなと 取り出して  皆と向かわん 敵の陣


4、菊の御紋の 筒先は  米国兵士に 弾を吐く

  売国奴ばいこくどとて 罵倒され  勢い怯む 事はなし


5、返して曰いわく 忠誠は  全て大和やまとに 捧げたり

  返して曰いわく 我が敵は  国に仇なす 者共ぞ


6、日の丸掲げ 戦うは  皆日ノ本の 戦士なれ

  例え死すとも 靖国やすくにに  たたまつらん 名と共に


                       作詞/矢口竹一やぐちたけかず 作曲/永井建子ながいけんし


曲について

<歌詞の解説>

菊の御紋について

 天皇陛下の銃であると言う事を表している。軍艦などにもあった。軍隊内において、粗末に扱うと制裁の対象であった。現在の国家守備軍では注意のみである。


https://kakuyomu.jp/my/news/16817330649711245059 

(菊の御紋の画像を掲載している近況ノートに飛びます)


全体として、日系人も一人の帝国臣民である、大和男児やまとおのこなのだと主張している。

これは、日本人が開拓した土地の所有を禁じられたことなどにより、亜米利加アメリカ国民ではなく、大日本帝国臣民であると強調している。


<作詞者・作曲者紹介>

 作詞の矢口竹一は、実在の人物かすら不明である。決起隊員名簿にその名はなく、偽名、筆名の様なものだと考えられている。隊員には、歌詞とメロディのみが共有されたため、作詞者は長らく謎のままであった。

 だが、決起隊の一人が、歌詞の伝達時に使われた紙を持っていた。

それには、「作詞矢口竹一 『歩兵の本領』のメロディに乗せて~」 とあった。

 この伝達用紙の発見によって、作詞者不明に代わり、矢口竹一の名が記される事となった。

 しかし、この情報しか発見されていないため、素性などは未だ判明していない。


 作曲の永井建子は、慶応元年9月8日(1865年10月27日)に広島県佐伯郡石内村(現・広島市佐伯区五日市町)で誕生し、 昭和15年(1940年)3月13日)に死去した。日本の陸軍軍人、音楽家、作曲家であり、最終階級は陸軍一等軍楽長(大尉相当官)であった。陸軍戸山学校軍楽隊第6代楽長(隊長)も務めた。

 草分けと言われる軍歌のほかに歌劇や唱歌、校歌(崇徳高等学校、早稲田実業、拓殖大学、大谷大学ほか)も多く手掛けている。軍歌『元寇』、『雪の進軍』、『歩兵の本領』(原曲『小楠公』)は特に有名である。


 この「在米日系人進軍歌」の他にも、帝国臣民のための「目指せポトマック」、「勝鬨を挙げろ」などが用意され、愛唱された。


後書き

お読みいただきありがとうございました。


 作詞の矢口竹一は作者、作曲の永井建子は実在の人物で、プロフィールはWikipediaを使いました。要所要所いじりましたが情報は正確です。

 なお、「目指せポトマック」はワシントンはポトミック河畔にあります日米友好の桜並木の下で和平条約を交わす事を願う軍歌であります。


 また、「在米日系人進軍歌」の作詞にあたっては、LINEオープンチャット「日本の軍歌・戦時歌謡曲好きの集い」の皆様にご協力いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。


 さて、私の実力不足によりこのような形での完結となってしまい、不徳の致すところで御座います。この作品を読んでいただき、ありがとうございました。


次作はしっかりと完結できるよう努力してまいります。

                                  矢口竹一

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在米邦人総決起録(更新停止) takeyagu矢口竹一(やぐちたけかず @takeyagu

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