銀花無垢の類稀なる純潔

古瀬 風

第1話

 コンクリートとモルタルって、あんなクッキーみたいなノリで割れるもんなのか?

 力の奔流を堰き止めきれなかった壁が、爆音や爆風とともに瓦解したことに対して、最初に浮かんだ感想がそれだった。小説なんかでよく出てくる緑色のつるっとしたリノリウムの床の上には、火の粉――なんて言うにはデカすぎる炎の塊が消えずに散らばっているし、あんな崩壊に巻きこまれていたらと考えれば、少し呑気なものだったかもしれない。

 だけど、目の前に広がっている光景が光景だ。あまりにも非日常的で、非現実的で、どっかの厨二病を拗らせたヤツの頭の中でも覗いてるようなものなんだ。そりゃあ、現実逃避したくもなる。

(けど――)

 これは夢でも何でもない、ただの事実だってことは疑いようがない。それは充満する血の臭いが証明している。よく金臭いとか鉄の臭いがするなんて表現されるけど、この場限りの話をすれば嘘だと言いたくなる。何とも形容し難い、吐き気を催すような臭いだ。

 正直、すぐにでもここから逃げ出したかった。だけど、恐怖と混乱とでぐちゃぐちゃになった感情が、身体を強張らせているのか、爪先から頭の天辺まで石化しているかのように動かない。

 もしかすれば、俺はこのまま死んで――。

「安心してください」

 目線の先、血の臭いの元。俺を守るように立っている白い長髪の少女が鈴の音のような声色で励ましの言葉をかけてきた。医者だろうが、素人だろうが、誰がどう見ても致命傷を負っているのにもかかわらず、だ。

 気丈、なんてもんじゃない。最早、俺にはその精神状況をほとんど推し量ることすらできなかった。ただひとつ、彼女が諦観の境地に立っているわけではない、ということは、次の一言で辛うじてわかった。

「この先、何があろうとも……アナタは無事です」

 少女はそう言うと、赤黒く焦げた両掌で拳を作り、自身の中から雑念を排除するように深呼吸をした。そして、敵を――少女の更に奥、地獄から呼び出したかの如く燃える業火を球状に圧縮する化け物と対峙しながら、ゆっくりと構えを作った。

「アナタのことは――アナタの純潔は――」

 ふと、少女がちらりと俺の方を見た。

「このワタシが命を賭してでも守り抜きます」

 その額には淡い輝きを湛えた、ただ一本の角があった。


 † † †


 自分で言うことではないのだが、俺の家――銀花家と言えば、地元ではそこそこ有名な地主だ。だからか、昔から外を歩いているだけで、近所のお年寄りたちに『銀花さん家のひとり息子』として声をかけられることが多かった。多少、煩わしく思わなくはなかったが、まぁ、ついでにお菓子なんかも貰えたし、無条件に可愛がってもらってる感じがして、それはそれで嬉しかった。

 だけど、十七年も生きていると、段々とそういう人たち以外からも声をかけられることが多くなって、最近では煩わしさも多少ではなくなってきた。

 そして、これも自分で言うことではない、というか、どう考えても自信過剰に聞こえるので他人には決して言わないが、俺が家柄以外でも目立つ存在だってことが、そういう煩わしさから嫌でもわかってきた。

 どうも、俺は世間一般的に美形の部類らしい。もちろん、自分の顔は見慣れてるわけだから、見た目に対する自覚があるわけじゃない。が、周りからの評判や実際の態度なんかを鑑みると、間違いないらしい。

 基本的には喜ばしい話だと思う。ただ、俺にとってそれは正当に男としての美形なんだったら、という話になってくる。俺に対する美形という評価は『カッコいい』や『美少年』ではなく、明らかに『可愛い』や『美少女』的なニュアンスがあった。

 いわゆる、男の娘と書いて『オトコノコ』というやつだ。

 父親曰く、母親の若い頃に瓜二つらしく、俺を見ているとたまにノスタルジックな気持ちになるとのこと。肝心の母親は寝起きなんかに俺と出くわすと、驚いて目が覚めるらしいのだが、家系的には聞いたことのない話だと言っている。母方の祖父も祖母も未だに会う度に「娘が若返ったみたいだねぇ」としみじみとしているのだが、それにはどう反応したらいいものか毎度困っていた。


 まぁ、その辺りは百歩譲ったとして、だ。

 まさか、好きな娘にもそういう評価をされるとは……いや、そういう可能性も考えたことはあったけど、正面切って「無垢くんって本当に女の子みたいな顔してるね」なんて言われたら、ため息も出るってもんだ。

 今の時代、男みたいとか女みたいとかナンセンスだろ、なんて声を上げそうになりはしたが、性差はどうしてもあるってことは理解してるし、そこは惚れた弱みみたいなもんがあってグッと堪えることに成功した――というか、俺も売り言葉に買い言葉で「男らしいところ見せてやる」なんて返してしまったし、おあいこって感じだ。

 何より、その他愛もないやり取りでその娘とのデートが成立したんだから、俺としては願ったり叶ったりだったのかもしれない。

「……そうだよ。デートに誘えたんだ。男らしさを見せるって大義名分で」

 そんなチャンス、今まではなかった。

 単純にその娘を誘う勇気がなかったってのもあるし、相手は学校中の男子の中でも一番人気と言っても過言ではない女の子だ。これをものにしないわけにはいかない。完璧にエスコートして、異性としての魅力をアピールしないと。

「んでもって、良い感じになって……ふ、ふふ……」

 とにかく、勝負は明後日の日曜日だ。俺はそこで彼女を落とす。

 そして、あわよくば――童貞を卒業するんだ。

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