最終章『忘れられない面影を贈る』

勤務中に飲酒をするな。

 ゴードンがセノーテの街から旅立って、二日が経った。あれから三宅は念願の屋根付き寝床を手に入れたが、相変わらず稼ぎが全く無い状態が続いている。


 彼が肖像画や風景画で得た稼ぎは一切受け取らず、アトリエだけを引き継いだ三宅。備蓄食糧だけは腐ってしまうので仕方なく貰ったはいいが、数に限りがある。結局彼女は生きていく為に、仕事で稼ぐ他無いのだ。


「……風景画、解禁するべきでしょうか」


 お昼のセノーテの街。素通りされる毎日に耐えられなくなってきた三宅は、いつもの即席アトリエに椅子を置いて、ため息をついていた。彼女の似顔絵は、相変わらずこの世界で受け入れて貰えない。


「いや、ダメです。私は似顔絵師、似顔絵師です。風景画描いたら、負けですよ」


 楽に稼ぐ味を知ったら、二度と戻れないのを分かりきっている三宅は意地を張る。そうして今日も彼女は、暇つぶしのデッサンに勤しむのであった。


「やあ、君が画家のミャーケって人かい?」


 そこに誰かが、即席アトリエに足を踏み入れた。座っていた三宅が顔を上げると、常に微笑んでいるような細目が特徴的な、髪を後頭部に纏めて結った男が立っている。


「僕は、酒場の店主のウォルドーさ。君の話は、酒場でよく聞くよぉ。独特の作風で肖像画を描く、孤高の女性画家さんだってね」


 ヘラヘラと話した後、片手に持っているスキットル酒をグビリと飲むウォルドー。強いアルコール臭が、三宅の鼻を酔わせる。


「お昼から、お酒ですか……」

「フハハッ、『セノーテの酒飲みウォルドー』ってのは、まさしく僕の事さ〜。君も一杯どうだい?」

「いや。仕事中なんで、結構です」

「つれないなぁ、じゃあ僕と世間話でもしなーい?」


 鬱陶しく絡んでくるウォルドーに、三宅は手を払い除けたい気分だった。漂う酒臭さ、迷惑客の様な口調。似顔絵に興味が無いなら、失せろと言う寸前まで彼女はきている。


「いや〜最近やっと、世間を騒がせてたクロード諸侯問題バロシンスに終止符が打たれて、僕らも一安心だよね〜」

「クロード……バロシンス?」

「んあ? 相変わらず画家さんって、継承戦争に興味無いんだね〜」


 聞いた事の無い単語に、この世界の固有名詞だろうと解釈する三宅の前で、グビリと息するように酒を飲んだウォルドーは、近くの木箱に腰掛けた。


「んまあ、簡単に言うとクロードっていう、地主様の後継者を巡った御家騒動さ。息子のピエトロと、娘のシャルロットが対立して、あっちこっちで土地の奪い合いが大勃発!」

「シャルロット……ああ、何日か前にお見かけした、あの——」

「そう。二人は異母兄妹なんだけどさ〜、血筋はシャルロットの方が優秀だったから、後継者にぐうされてたんだけど、兄貴のピエトロはそれに納得出来なくて、妹の暗殺計画やら、権力闘争で、もうめちゃくちゃだよ。ここセノーテも、危うく戦地になる所だったし」


 三宅はそこで、アレックスの言葉を思い出す。やたらシャルロットを庇っていたが、そういう背景を理解した上での言動なのかもしれない。


はあるにしろ……そういう苦労を、されていた方だったんですね」


「あの若さで家族から命狙われるとか、苦労なんてもんじゃないよね〜。でも数日前、やっと暴走していたピエトロが投獄されて、シャルロットも継承の調印を済ませて、問題は無事解決ってワケさ」


「四文字で表すと、実際は兵馬倥偬へいばこうそうだったと。……本当、醜い争いは絶えませんね」


「ん? 何その、ヘーバコーソっての。なんだって良いけど、獣人戦争収束して間もないしさ。平民の僕らからしたら、静かにしてくれよ〜って感じだよねえ」


 ウォルドーは酒を何度も飲みながら、お気楽に話す。この世界の事を全然知らない三宅は、真面目に聞いていたが、アルコール臭によって不快感が逆流した。


「興味深い話は有難いのですが、私は仕事中なので。似顔絵のご依頼でしたら、お受けしますが」

「いやいや、画家さんの絵って高価って話だし、とてもお願いできないよ〜。そういえば、宿屋にアレックスの似顔絵飾ってあったけどアレさ……」

「あら? ウォルドーじゃない」


 そこに街で買い物を済ませたマイアが、三宅のアトリエに寄ってきた。声を掛けられたウォルドーは、スキットルを振り上げながらニコニコ答える。


「やあマイア。相変わらず、美人さんだね〜」

「ふふ、そっちも相変わらずお酒とお友達なの〜? 今の時間もお客さんいるんだし、ちゃんと店に居ないとダメよ」

「いーの、いーの。僕が居なくても、ちゃんとお店は回るしさぁ」

「しょうがない人ね。あ、ミャーケさん、ウォルドーが何か、迷惑かけてないかしら?」

「いや、特には。随分と仲が良さそうですね」


 流石に温厚なマイアに、この人、邪魔です。とは言えなかった三宅。そんな彼女が言ったように、ウォルドーとマイアは商売仲間故か、お互い気軽に話していて長い付き合いを感じさせる雰囲気だった。


「ウォルドーは、私と同郷の幼馴染なのよ。でもこのとおり、お酒の癖が悪くてね〜」

「へへ、僕は酒飲みウォルドーですから」

「まったくもう。……あ。私、宿屋に戻らないと。ミャーケさんも、お仕事頑張ってね」


 元々話す時間が無いのか、マイアは慌てて即席アトリエから離れていった。それを見送ったウォルドーは、再びスキットルに口をつける。


「いやー、やっぱりマイアって、セノーテ屈指の美人さんだよねぇ。あれを嫁さんに出来る、アレックスが羨ましいよ」

「あの御二方を四文字で表すなら、連理之枝れんりのえだですからね」

「レンリノエダ? なにそれ」

「……。あの、そろそろ話を切り上げて貰えませんか?」


 長々と話に付き合わされて、疲れ切った三宅は自ら突き放す行動に出た。急に話しかけて世間話をしたかと思えば、話はまだ続く。ただ酒癖が悪いだけか、絡む事に目的があるのか、全く掴めない。


「フハハ! やっぱアレックスの言ってた通り、気難しい画家さんみたいだね〜。僕さぁ、どーしてもミャーケに聞いて欲しい事があってぇ」

「いい加減にして下さい、ここは相談窓口じゃないんです」

「僕さぁ——アレックスから、マイアを奪いたいんだよねえ」


 その話が耳に入ると、三宅の鼻についていたアルコール臭が緊張感を誘う。眼鏡越しから見たウォルドーは、掴み所のないキツネの様な人相をしていた。


「僕と商売の話しようか、画家さぁん」

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