5-2

「……ああ、やっぱりここにいた」

 納骨堂の扉がひらいて、ディーンが入ってきた。

「どうしてここでお祈りするんだよ?」

「落ちつくんだよ」

「死人に囲まれてんのが?」

 死者はすべて壁の小さな櫃に納められていて、もはや地上の一切に関わることはないし、壁龕アルコーヴには白大理石の聖母マリア像があるし――それに彼は聖堂で祈りたいだろうから。

 彼らがたとえ心臓移植のドナーの出現を望んだからといって、それで主が彼らを罰するとは思えない。

 しかし彼らはそれを罪だと思っていた。

 だからその告白に対して私は十字架の道ゆきの祈りの指示とともに、赦しを与えざるを得なかった――それで彼らの重荷が少しでも軽くなるのなら。

「俺、ここのにおいあんま好きじゃない」ディーンは鼻をうごめかして言う。「ニックあいつの車のにおいがするんだよな」

「本当に? そんなにおいだとは知らなかったな」

 訪れていった人が手向ける花と、香と、燃えさしのろうそく、少し空気のよどんだ、湿った石のにおいだと思っていたけれど。

 子供が――愛する人が――自分より先に亡くなるのは誰にとっても最悪の哀しみだ。おまけにそれを自分の愚かな行為が招き寄せてしまったと考えるのであればなおのこと。

 彼らはこの先も十字架を背負って生きていくのだろうか――わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい、そうすれば、あなたがたの魂に休息が与えられるであろう……。

 それとも彼らが求めていたのは、単なる赦しではなく、罪の罰だったのだろうか?

 ディーンはマリア像の足元に、気楽な様子で腰かけた。

「さっきはちょっと驚いたよ。神父でもケンカするんだね」

「ケンカじゃなくて、神学上の論争と言ってくれ……」

「どっちだって同じだろ。ヒートアップしたから頭を冷やしにきたんだ、違う?」

 黒い眼が、揺らめくろうそくの炎を反射してきらりと光る。

「……そのとおりだよ」

 ため息が出る。

「教義に従えば、彼の言っていることが正しいんだ。私の中のある部分はそれを信じているけれど、ある部分では信じられずにいる――特に、子供を亡くした親の悲しむ姿を見たときはね。自分が天の国に行って見てきたわけでもないのに、神の国は子供たちのものです、主の御名はむべきかな、なんて言えないよ。たとえ言えたとしても、苦しみは人それぞれだからね。私にはどうすることもできないこともある。それなのに、ほかの人がそう言っているのを聞くと、ついカッとなってしまうんだ」

「クリスって意外とキレやすいところがあるんだね」ディーンはにやにやした。「悪魔相手にも怒鳴ってたもんな」

「あれはべつに全部が全部そうだったわけじゃ……」

 私は両手を挙げた。

「……ああ、そうだよ、私はキレやすいタイプなんだ。言っただろう、聖職者には向いていないって。本当のところ、私がほとんどどこにでも法衣スータンで出歩く理由のひとつは、パブで不快な肉体的接触をされたことがあるからさ」

「マジで? だから俺が〈ワイルド・グース〉をクビになったときも怒らなかったんだね?」

 私はうなずいた。

「さすがに神父にセクハラをするやつはいないからね」

「それでクリスはそのときどうしたのさ?」

「私はまだ若くて――二十代前半だったし、そのときほどあからさまな行動に出られたことはなかったから、固まってしまって、言い返すことさえできなかった。ディーンみたいに凶暴に唸ってみせればよかったのにって今でも思うよ! ――ちなみにこの話を告白したことはないよ。私の罪ではなくて彼の罪だからね」

「まさか、そいつのために祈ったの?」

「ああ。彼がほかの人にそんなことをしませんように、それから、彼のことを許せない私をお許しくださいって」

 ディーンは身をふたつに折って笑っている。

「いいなあ、ジェレミーにも聞かせてやりなよ、その話! あいつ、きっとあんたにも説教するぜ、“相手に問題があるのはもちろんですが、あなたの格好にも、誘惑していると勘違いさせるようななにかがあったのではありませんか?”」

「もし今そんなことを言われたらこう言うね、『私がなにを着ようが私の勝手だ、下衆野郎』ってね」

 私たちは納骨堂の住人たちの顰蹙ひんしゅくを買うくらい、ゲラゲラ笑い転げた。

 笑いの発作がおさまると、ディーンは目尻にうかんだ涙をぬぐって言った。

「俺だったら、ジェレミーみたいなやつに説教されるよりはクリスのほうがいいけどな。あんたがたはどっちも恵まれてて、悩みなんかなさそうに見えるけど、これであんたがほんとに悩みも知らないようなやつなら、たぶん神様の出番はないぜ」

「それでも、私たち司祭はね、キリストのようになりなさいって教えられて、それを目指して努力しているんだよ」

「ああ、あいつね。天使じゃなくて? どうしてさ。あんなガリガリで血色悪いやつ、全然ありがたそうにも美味うまそうにも見えないけど? ニックもあんたもなんであいつなんかの血を飲みたがるのかわかんないよ」

 その言いかただと私も吸血鬼みたいに聞こえるんだが。

「だけどディーン、お前はミスター・ブラウンの悪魔祓いのとき――」と言いかけて、

「……実際にその目で見たら、神様を信じる気になるかい?」

 彼は顔をしかめた。

「どうしてあんたがたはすぐ、目に見えないものを信じたり、逆に、見えたから信じなきゃいけないって思うんだ? ジェレミーはたしかに存在してるけど、俺がやつを好きになるかは別問題だろ。神様ってやつだって同じことだよ」

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