主の御名は誉むべきかな

4-1

 ジェレミーがきてからちょうど一か月半たった水曜日の午後三時、俺たちは〈スターバックス〉でテーブルにつっぷしていた。

「疲れた……」

 クリスが顔も上げずに言った。こんな姿を信者にでも見られたらマズいと思ったのか、ふつうのジャケットとジーンズで出てきている。そもそも俺を誘ったのはクリスだ。俺もふたつ返事でついてきた。

「……俺も」

 と俺は言って、天井を仰ぎつつ、ベンティサイズのダークモカチップフラペチーノ(キャラメルとチョコのソースにチョコチップを追加して、ホイップクリームを増量したやつ)をすすった。体に染みわたる冷たさがまさに福音だ。

 ジェレミーはあのあと、ハワード爺さんにAA――英国自動車協会Automobile Association……じゃない、アルコール中毒者更生会Alcoholics Anonymousへの参加を熱心に勧めてジイさんの血圧を上げ(死ぬかと思った)、モリソンさんが三人目の子供――上のふたりとは父親が(ひょっとしたら全員)違う――を妊娠したかもしれない、もしそうだったら今の仕事のマネージャーがクビにすると言っているとクリスに相談しに来たとき、マネージャーが自分の仕事のことを気にするのは当然ですと言って彼女を泣かせた。

「ああ主よ、たとえ我らの愛すべき兄弟が迷惑な隣人に思えるときでも、彼に対する寛容と忍耐を我らに与えたまえ!」

「スタバでお祈りしないでよ」

「……まるで昔の自分を見ているようだよ」

 クリスがようやく体を起こし、トールサイズのアイスラテを無意味にストローで搔き回した。

「ゲッ、昔のクリスってだったの?」

 絶対友達になりたくないタイプだ。

「あそこまでではなかったと思いたいけど……誰しも自分には甘くなるものだからね。だから、私には彼に石を投げる資格はないんだ」

 投げてもいいと思うけどな。

「大体私は聖職者には向いていないんだ……レオーニ神父のように博愛精神にあふれているわけでもないし、フランチェスキーニ司教や彼のように確固たる信念を持っているわけでもないし……」

 クリスは暗い顔をしてぶつぶつ言った。こいつはかなり重症だ。

「悪いやつじゃないんだろうけどさ、マジでウザいよ。あいつ、俺がカトリックどころかキリスト教信者でもないって知ったら、熱烈に俺を口説きにかかったんだぜ」

「はっきりと、信仰形態が違うんだって言えばいいじゃないか」

「もう言ってみたよ。俺んちは車泥棒で、親父は蒸発したし兄貴は俺を虐待するし、おふくろは交通事故で死んだところをクリスに拾われたけど、まだ俺はクリスの信じてる神様を信じる気にはなれないって」

「そしたら?」

「目の輝きが増して、なんかお祈りを唱えてたよ。ついでにあんたを賞賛してた」

 クリスはちょっとひるんだ。

「……すまないね」

「いいよべつに、俺も居候の身だからさ。だけどあんまり度が過ぎると、本気でやつを食い殺したくなってくるかもしれないぜ。だってやつのせいで、ここんとこしばらく、自然の健全な欲求を処理することもできないでいるんだからね」

 クリスは品のいい顔を赤らめた。

「……お前は彼に、そんなことまで言ったのかい?」

「言うわけないじゃん。言ってもいいけどさ、クリスみたいに聞こえなかったふりをしてくれるどころか、頭から湯気を吹き出して、つぐないに断食でもしろって言うに決まってる」

 クリスはこれも聞こえなかったふりをした。

「ニックに、しばらく来るなって言ったほうがいいよ」俺は言った。 

「お前がミスター・ノーランのことを気にかけるのはめずらしいね」

「だって、食費が三人分……てか五人分になっただろ。認めたくはないけど、今やうちの食費はやつの肩にかかってるんだからね」


 電話の向こうの声は明らかに苛立っていた。

『そいつはいつまでそこにいるんだ、私の教会と聴罪神父のところに?』

「わかんない、神父になるまでじゃね?」

 ニックは、たぶん、ふざけるなという意味じゃないかと思うののしりを、俺の知らない言葉で吐き捨てた。

『マクファーソン神父と話をさせてくれ』

「今はダメだ。やつにつかまってるからね。それから、あんたがどこに住んでるか知らないけど、うちの教会は絶対あんたの教区じゃないし、クリスもあんたの専属じゃない」俺は釘を刺した。ヴァンパイアが所有権を主張し始めるのはヤバい兆候だ。

 ふと思いついて俺は言った。

「なあ、そんなに気になるんだったら、一回見にくりゃいいじゃん」

 うまくすりゃあニックがあの厄介な野郎を片づけてくれるか――あるいは反対にやつが追っ払われるかもしれないと期待してだ。 

『いくらそっちの教会に入れるとはいっても、ミサに参加するつもりはないぞ。私は説教を聞くと気分が悪くなるんだ』

 いいことを聞いた。俺は心の中のメモにきっちり書きつけた。

「じゃあさ、終わる直前くらいに来いよ。そのころにはばあさんたちでごったがえしてるし、侍者の子たちもあとかたづけで忙しいから、吸血鬼がひとりくらいいたってバレないよ」

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