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 自分が何者かを知っている相手といるのは気が楽だ。ここ数百年のあいだ、そうした機会は絶えてなかった。

 五人か十一人、ときにはそれ以上の人間を前に、ひと口も手をつけていない八皿を食べたように思わせるのは、結構な労力なのだ。酒がメインの席でなら、飲んでいようがいまいがお構いなしなのだが――目的がべつということも往々にしてあるし。

 私は文字どおり新教徒プロテスタントが存在しない時代に生まれたが、生地にはキリスト教よりも古い信仰が脈々と息づいている。おそらくは私の血脈の中にも。マクファーソン神父と相対していると、それを思い出す。彼の魂も老いているように感じるのだ。

 キリスト教教会を否定するだろうが、紅茶に蒸留酒ブランデーを入れるとか、ビールに柑橘ライムを搾るとかいう奇妙な風習のように、教会にさえ告白できない秘密で人生が味わい深いものになるというならそれも一興ではないか。

 もうひとつ、帰路、ティーポットの中でうたた寝するヤマネのような、彼の姿がちらと目に入ったときにおぼえたのは、一瞬、全身がかれるような凶暴な怒りだった。

 アームレストに頬杖をついて、何事か沈思黙考しているようにウィンドウの外を見つめている蒼いは夜気のように澄んでいる。白い頬に長いまつげの影が落ち、う車のライトやネオンサインのオレンジや白の光が微妙な陰影をつくる。ときおりその唇が動くのは、祈っているのか、あるいは考えごとに沈んで独り言をつぶやいているのか――どちらにしても声は出していないので、私の耳にもなにも聞こえない。

 ビールの数本程度でそれほど酔ったとも思えないが、法衣のボタンがひとつはずれたままになっていて、すっと伸びた肉の薄い襟首と、そこに刻まれたふたつのあざがうっすらと見える。

 吸血鬼は人狼ほどには鼻がきかないが、昔よく嗅いだ香の匂いに混じって、香水ではないかすかな匂いが立ちのぼる。

 マクファーソン神父はめずらしく体臭の薄いほうだが、これはそれに加えて、闇の世界の住人が非常にそそられる種類タイプのものだ――たとえていうなら、数種の複雑な香辛料スパイスやハーブ、夜に香る花や木々の清々しくも甘やかな匂い、あるいは人狼ならそのものずばり、甘い血と肉のにおいがする、とでもいうだろうか。

 そんな相手がすぐ手の届く範囲ところにいるのだから、よほどの木石でもない限り、なにも感じずにいるというのはむずかしい。

 タルクィニウスが美しくも貞淑なルクレツィアに抱いたそれは、たいていの男――キリスト教の教父たちも含めてだ――なら理解と共感を示すはずだ。聖アントニウスが激怒した原因でもあるが、それは相手のせいではなく彼自身の問題だということに、聖者はついに思い至らなかったらしい。

 その正体を知っていたので、私は聖句を唱える代わりに、アジア市場の株価の推移と不動産投資信託REITに思考を集中した――おかげで神父は無事に家に帰り、私は人狼に食い殺されずにすんだというわけだ。

 彼の姿が司祭館へ消えてから、思わず笑い出さずにはいられなかった。私はウォーレン・バフェットより気の長いほうだと思っていたが、自己認識を改めるべきなのかもしれない。

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