116話 Rage of groundーPut all your thoughts in your fistー


 クレインが、ラルグのもとへと歩を進める。

 正面にして、改めて自分が立ち向かうべき壁の大きさを知った。


 実際に拳を合わせた。どれほどの力を有しているか理解した。

 圧倒的な格上。ヴァンも、一対一の戦いへ向かう自分を案じてくれた。

 敵がどれほど強大か知っているからだ。


 それでも、クレインはひとりで戦う道を選んだ。

 どんな壁であろうとも己の拳で打ち砕き、証明するのだ。

 自分の思いが、本物であることを。

 そして、理想の未来を実現するのだ。


 歩みはやがて速度を上げ、気づいたときには駆け出していた。

 距離が縮まり、やがて互いの射程圏内へ。


「うおおおおおおおおらあああああああ!!」


 気合を乗せ、吼える。

 己を鼓舞し、奮い立たせる。

 型など捨てた、全力の拳をラルグへと突き出す。


 風を切り、音を裂き、奇しくも全力が噛み合った。

 赤銅色の拳と茶の光を放つ拳が衝突し、爆ぜる。


「……ッ!!」


 骨にまで響く衝撃が、クレインの腕を奔った。痺れ、一瞬動きが鈍る。

 堅さに特化した地の属性付与を施してなお、威力を殺しきれないか。

 いや、堅牢だからこそこれだけで済んでいる、とでも言うべきなのだろうか。


 クレインが動きを僅かに止めたところで、ラルグは止まらない。

 そのまま一歩踏み込み、逆の拳をクレインの腹へ向けて撃ち出した。


 クレインは体を深く沈め、これを回避。

 長身のクレインだが、ラルグはそれをも上回る巨体だ。

 下に潜り込めば、ある程度は行動の選択も狭まる。


 しかし、ラルグは咄嗟に切り替え、拳ではなく強烈な膝蹴りを叩き込んできた。

 食らいながらも、クレインはラルグの横腹にフックを見舞う。


 バランスを崩し、互いに膝をつく。そのまま、しばし視線を交した。

 しかしそれもほんの束の間。どちらからともなく、再び駆け出した。


 クレインとラルグは同じ武器、そして同じ戦術をとるところまで似通っている。

 この対面での敗北だけは、絶対に許されない。


 これまで以上に勢いを増していく連撃の応酬を重ね、互いに一歩も譲らない。


 膂力には、明らかな差がある。

 ラルグが有するのは疲れも恐れも知らぬ、戦場で培われた野生の肉体。

 いくら戦闘で酷使したとしても、冴えを失うことはなかった。

 追い込まれてなお、キレが増している。


 それでも、クレインがついていけているのは爆発的な魔力の支援があればこそだった。

 シェリルにもらった莫大な魔力はあるからこそ、実現できる。


「ハッ、最初ンときよりずっといいじゃねえか!! これなら飽きずに楽しめそうだなあ!!」


 それでもなお、ラルグは嗤う。

 クレインの覚悟と相対する、純粋な狂気。凶気。


 何度も、拳と拳がぶつかる。

 互いに一歩も退く気などない。ただ、前進あるのみだ。


「ぐ、ああ……!」


 しかし、クレインの身には異変が起きていた。

 急激な魔力放出に、肉体が耐えきれていないのだ。


 それもそのはず。

 クレインは、元来魔法を苦手としていた。魔力も決して多いとは言えない。

 普段その身に宿したことのない、膨大な魔力で魔法を行使すればどうなるか。

 結果は、火を見るよりも明らかなことだった。


「──あああああぁああぁあ!!」


 しかし、実力以上の魔力を宿したおかげで、ラルグと真正面からぶつかったとしても押し負けないのだ。

 

 呼吸するたび、内蔵が悲鳴をあげる。

 力を込めるたび、筋肉が裂ける。

 拳がぶつかるたび、骨が軋む。


 次第に、視界も霞んでゆく。脳も、考えるだけの酸素が取り入れられていない。

 それでも、決して立ち止まるわけにはいかない。


 痛みなど、意識している場合ではない。

 そんなことよりも、更なる一歩を踏み出すこと、一撃でも多く拳を繰り出すことに集中する。


 誰かより劣っていることなど、最初から理解していたじゃないか。

 足りないならかき集めろ。届かないなら絞り出せ。


 悔しくて、それでも諦められないから、誰よりも努力を重ねてきたんじゃないのか。


 それに、この状態がいつまで保つかわからない。

 クレインの肉体が崩れるのが先か。ラルグが倒れるのが先か。

 全ては天のみぞ知る、といったところか。


(ぜっ……てえ……!)


 クレインには、諦められない理由があった。

 後ろで見守る彼女と、ともに歩く将来を約束した。


 それもある。

 もうひとつは、意地のようなものだった。

 類似した武器、類似した戦闘スタイルの彼に敗北することは自分自身との闘いに負けることに直結する。

 それはこれまで積み重ねたものの否定だ。だからこそ、退けないのだ。


 しかし。

 拳と拳の応酬の末に、ラルグの経験が勝った。

 ラルグの拳が顎に命中し、僅か、クレインの拳が跳ねる。

 そのまま、がら空きになった胴へと追撃の拳が叩き込まれた。


 クレインの体が宙を舞い、そのまま激しく地面に叩きつけられた。

 そのまま、赤銅色の炎で接近したラルグの強烈な蹴りがクレインの腹を叩いた。

 何度も地を転がり、停止した頃にはクレインの体は遥か遠方まで吹き飛んでいた。


「ごっ……は、っあ……」


 肺から全て出てしまった空気を吸うように、呼吸をする。

 拳に蹴り。

 ラルグの必殺とも呼べる一撃をまともに二発食らい、それでもまだ身を起こすだけの体力が残っていた。

 

「ふ──っ、ふ──っ」


 口元にこびりついた血を拭い、呼吸を整える。


 紙一重だった。

 刹那でも属性付与の判断が遅れていれば、今ごろクレインの腹には穴が開いていた。

 何度も拳を交えたからこそ理解できる。


 今の攻撃は、確実にこちらを仕留めるためのものだった。

 容赦や慢心など、微塵も感じられぬ打撃。

 だが、ラルグのダメージを凌ぐことができたのは、決して属性付与の作用だけではなかった。


「……あ?」


 クレインへ追い打ちをかけるべく、接近していたラルグの膝が折れた。

 まるで急に力が抜けたかのように、唐突に。


 クレインが与えたダメージか。それとも、疲労によるものか。

 そのどちらも要因として考えられるが、それだけではない。

 ラルグの体に刻み込まれた、確かな傷。紅蓮の裂傷は、友が刻んだ突破口だった。


 ヴァンが与えたダメージは、確実に残っている。

 シェリルの治癒と魔力の譲渡があったから、ここまで強敵と渡り合うことができた。

 確かな心の支えがあるからこそ、何度でも立ち上がれる。


 繋がりが、この足を歩かせてくれる。


(……親父、使わせてもらうわ)


 ならば、こちらも仇敵を仕留めうる武装を用意するまで。

 幸い、先ほどもらった一撃のおかげで、距離はじゅうぶんに空いている。


 深く腰を落とし、拳を引く。

 構えたと同時、クレインの拳に魔力が集中していく。


 これまで、カイザー家の男たちが歩んだ軌跡。

 心から守りたいものを守るときに発動する奇跡。


「──森羅剛衝拳ハイパーフィスト


 その全てを凝縮した集大成。

 これまでの顕現が、クレインの右腕にあった。


 あの日、己の決意を告げ、守りたい存在を口にした。

 結果、父から一人前の男として認めてもらい、その証に受け継いだ代物だ。


 しかし、クレインひとりの力では、この輝きを成すことはできなかっただろう。

 事実、父との鍛錬ではまともに発動することすらできなかった。

 だから、自分には無理なのではないかと何度も思わされた。自分には、過ぎた力なのではないかと。 


 ──おいおい、現当主の俺がいいっつってんだからいいんだよ。お前に拒否権はないからな。


 だが、そのたびに父の──アベル=カイザーの言葉が脳裏を過った。

 厳しくも優しい父が、クレインを信じて力を託した。


 だからこそ、信じようと思った。守るべきもののため、受け継がれきた力を。

 そして、その力を扱えると、父が信じてくれた自分を。


 そして、成った。

 数多の絆が、この背中を押してくれた。

 だからこそ、たどり着くことができた。

 

 炎を噴射し、ラルグが一気に迫った。

 追い込まれてもなお、勢いが増している。いや、彼自身時間がないことを悟っているからこその選択なのだろう。

 しかし、クレインは一歩も動かない。あくまでも静謐を貫き通す。


 炎の噴射による勢いをそのままに、ラルグの拳がクレインへと向かう。

 顔面を撃ち抜かんと放たれた一撃を、クレインの最強をもってぶつけた。


「……ッ!! ああああぁああぁあ……!!」


 これまでにない痛みが、クレインの腕を襲う。

 意識が、白く染まりかける。痛みという概念すら、置き去りにするほどに。

 

「どうしたどうしたあ!! ンな半端な力で俺に歯向かおうってのか!?」

「う、るせえええええええええええええええええええ!!」


 衝撃と、轟音とともにクレインのガントレットが崩壊する。

 それでもなお、クレインを奮い立たせるのは、大地を揺るがすほどの怒りだった。


 師匠が、武器と言ってくれた力。

 数少ない手札のなかでも、自分が心の奥底で抱えてきた最高の武装だ。

 

「あいつの笑顔を守りてえ! もっと楽しいことを教えてやりてえ! 戦いだけじゃない人生があるってことを知ってほしい! だから──」


 この思いを、真正面から伝える。

 どんなに不格好でもいい。どんなに不器用でもいい。


「──こんなところで、負けるわけにいかねえんだ!!」

「ンなズタボロの腕でなにができんだ! 俺を倒せるとでも思ってんのか!?」


 今度こそ、全てを終わらせるためにラルグの拳が叩きつけられた。

 ラルグの言葉通りクレインの腕は変色し、到底戦闘を続行できる状況とは言えない。

 

「できる、できないじゃねえんだよ……!」


 それでも、クレインは振り下ろされたラルグの拳を左腕で受け止めた。

 ガントレットが砕け、皮膚が糜爛びらんする。

 

 装備を失った。

 だが、それがどうした。諦める理由になどならない。


 溜め込んだ思いを、再度握り込む。


 自分は、父のようになれるだろうか。

 強く、優しい男になれるのだろうか。


「男ってのはな──」


 いや、この魔法を授かった手前、そんな後ろ向きな言葉はふさわしくない。

 なれるのか、ではない。なってみせるのだ。

 今、この場で証明したって構わない。


「──命張ってでも、譲れねえモンがあんだよ!!」


 なんせ、今この背で大切な人が自分の帰りを待っているのだ。

 友が、手を出さずにこの戦いを自分に任せてくれたのだ。

 ここで結果を出さずに、どうするというのか。


「く、はは、おもしれえ!! ならやってみろ!! もっとも、俺もそう簡単には退かねえぞ!!」


 ラルグが受け止められた拳、そして今もなおクレインの最強とぶつかる拳に極大の炎を装填した。

 どこまでも対応し、どこまでも真正面から衝突する。


(ま、だだ……!)


 ラルグの炎が、更に勢いを増す。

 足が僅かに後退したそのとき。

 クレインの拳を、太陽のような温もりが包み込んだ。


 ──あなたならできるよ。だって、あなたは本当に大切なものを見つけたんでしょ?


 瞬間。

 色とりどりの花が舞った。優しい風が頬を撫でた。

 穏やかに、それでいて力を押してくれるような感覚。


 いつまでも、どこまでも。

 大切な人が、そばで見守ってくれている。


 もう会えないとさえ思った母が、今はこんなに近くにいる。


 クレインの心に、勇気が注がれた。

 茶色の輝きが更なる存在を主張し、密度を増していく。

 思考がクリアになる。視界が晴れた。

 これならば戦える。問題なく。


 今、未来へと通じる道を切り拓く。希望に満ちた先へ行くために。

 そのためには、自らの手で障害を取り払う必要がある。


 あのとき、ラルグは自分自身のことを主役、と言った。

 確かに、その言葉は間違っていない。誰もが、己の世界の中心人物なのだから。


 クレインも、この場で中心にいるのは自分自身だと理解している。

 だが、同じ言葉では納得がいかない。


「俺が──」


 そうだ。もっと相応しい呼称があるじゃないか。


 自分だけの世界を彩り、己の手で突き進む。

 幾百、幾千もの物語に登場し、憧れた存在。

 叫べ、その名を。吼えろ、高らかに。


「──ヒーローだああああああああああああぁあああぁあぁあああああ!!」

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