114話 A Step Toward the Light.
これまでの自分の行い、心情。
振り返り、溢れだしたものは後悔にも似たものばかりだった。
あの街で過ごせば過ごすほど、滲みだすのは繰り返してきた行いとのズレ。今まで積み重ねてきた常識との違いを嫌というほど痛感した。
あまりにも優しく、柔らかかった。
そんな場所に、自分の居場所はないと思い知らされているようだった。
非道な行いをしてきた自分には、みんなからもらう温かみが身を焦がした。
だから、逃げたくて仕方なかった。
拒絶して、気持ちを殺して、駆けた。
それでも、心を覆う陰鬱とした雲が晴れることはなかった。
迷いは形となり、行動にも影響を及ぼす。
動きを制限し、固めたはずの決意を鈍らせる。
「う……あああああっ……!!」
思考は乱れ、技の精度が落ちてゆく。
それでも、魔法を何度も撃ち込んだ。
もう何度目になるだろうか。
アリサが放つ雷撃が、金髪の少年を貫いた。体を巡り、痺れで一瞬動きこそ停止するものの──
「……さあ、第二ラウンドといこうぜ」
それでも、クレイン=カイザーは倒れない。
ダメージは相当に蓄積している。傷も決して浅くはない。
だというのに、彼は何度でも立ち向かう。
倒れるわけにはいかない、確かな理由があるから。
「はっ……はっ……」
肩で息をしているのは、攻撃を加えるアリサの方だった。
明らかにダメージを負っているのは、クレインだというのに。
何度蹴りを入れたとしても、倒れない。
雷を受けても、ものともしない。
「ずいぶんキツそうじゃねえか、息があがってんぜ?」
口元の血を拭い、クレインが笑う。
「は……? なに言ってんの。まだこれからでしょ」
「そうこなくちゃ、なあ!」
一歩。
踏み込んで、クレインが拳を突き出した。
しかし、アリサはこれを回避。そのまま、強烈な膝蹴りを叩き込む。
前蹴り。回し蹴り。銃撃。
様々な攻撃をクレインへと浴びせる。
攻撃のたびに仰け反るが、決して地面に伏すことはない。
「どうしたよ、俺のことを倒すんじゃなかったのか?」
「うるさいッ!」
言って、アリサが一歩踏み込んだ。
こうなれば、打撃ではなく確実に仕留められる一手を用意するしかない。
二度にわたりクレインへ向けられた一撃、ワイルドレビン。
この魔法で倒れてほしい。そんな思いを込める。
しかし、とどめの一撃をさすであろう銃は。
クレインの腹に銃口を突きつけたまま、引き金が引かれることはなかった。
「アリサ」
クレインが名を告げる。
優しく、それでいて感情のこもった声音で。
「もう、帰ってこいよ」
「れる、わけ……」
アリサが、震える声で告げる。
「戻れるわけないでしょ! 私が!」
魔法銃を捨て、クレインへ向けて拳を振るう。
確実に仕留めるための攻撃ではなく、ただがむしゃらに振るわれたそれは、まるで彼女の乱れる感情をそのままぶつけているようで。
「大勢人を殺した! 数えきれない人生を終わらせてきた! なんの感情もなく、迷いすらなかった! そんな私に、居場所があるわけないじゃん!」
たとえ、仲間が迎え入れてくれたとしても。呼びかけてくれたとしても。
自分の気持ちがそれを許さない。今まで閉じ込めていた思いが、一気に溢れだした。
「どれだけの人を悲しませたわからない! あそこの人たちに、どんな顔をして会ったらいいのかわからないよ!?」
長い期間、刷り込まれた習慣。
その当たり前が、他人の苦しみの上で成り立っていることを実感した。
しかし、自覚したところでそう簡単に変えられるものではない。
あのとき街の人にかけてもらった優しさが。
これまで友人からもらった優しさが。
その全てが、アリサの心を締めつけた。
「いつか、あんたたちの大事な人を殺すかもしれないんだよ!? そんな人間が、あの場所にいられるわけないじゃん!」
いつか。ふいに。
その全てを、いつか望まない形で潰してしまうかもしれない。
自分の意に反した行動をとる可能性だってある。
そうなったとき、果たして正気でいられるだろうか。
答えは否である。
数えきれない悲しみを生み出すことは間違いない。
その可能性がわずかでもあるのならば、まず芽を断つ必要がある。
だからこそ、ライオアクティス王国には帰れない。
アリサの本音が語られた。
それは、熱さを表に出したクレインの熱にあてられたからなのか。
「だから……もう、私に関わるのはやめてよ……。ここで、倒れてよ……」
最後に彼女がぶつけたものは、流れる涙と、酷く弱々しい力で握られた拳だった。
溢れる雫がアリサの頬を濡らし、伝う。
クレインの頬を打った一撃は、願いにも似た動作。
再び、クレインの体が後ろに倒れかける。数度後退したものの、やはり踏ん張る。
「倒れるわけにいく、かよ……」
クレインは倒れない。
だからこそ、こうして本気のぶつかり合いができているのだ。
ならば、自身も彼女の気持ちに応えなければ。
「これは俺ひとりの戦いじゃねえ。シェリルとヴァンの気持ちも背負ってんだ……!」
いくら血を流そうとも、何度打たれようとも。
この足だけは地から離すわけにはいかない。引きずりながらも、前へと進む。
「それと、お前の思いも確かに背負った。受け止めた。そのうえで、文句が言いてえ」
アリサの眼前へ移動し、目線を合わせて告げる。
クレインの翠の瞳には、決意だけでなく怒りも色濃く宿っていた。
「そのなかには、お前の気持ちがひとつも入ってねえじゃねえか」
「なにそれ……? 私はさっきから……!」
「俺たちが、とか街のみんなが、とかな。アリサがどうしたいか聞けてねえぞ」
少しだけ、アリサの本音が漏れ出した。
しかし、それはあくまでも周囲の人を気遣った彼女なりの優しさ。
本音であることには変わりはないが、そこにはアリサ自身の感情がなかった。
「だから、言ってんじゃん! 私は帰らないって! 何度言えば……!」
「アリサ、少し俺の話を聞いてくれるか」
あくまでも自分の意思を貫く姿勢をとっていたアリサだったが、クレインが言葉を遮る。
意図が読めずアリサの表情には不満の色こそあるものの、反論はなかった。
「俺、ガキの頃にお袋を病気で亡くしててな。ずっと受け入れられなくて、立ち直れたのはつい最近の話なんだ。……大切な人を失うってのは、本当につれえことだ」
クレインの言葉を聞いて、アリサの表情が歪む。
自分の行ないではないにしろ、身近な人物を亡くし悲しんでいる。
人為的な事柄でないにせよ、確かに悲しんだ人物がいる。
ならば、故意に命を奪われた人物であればどうだろう。
最期の瞬間に立ち会うこともなく、唐突に終わりを告げられたのだ。
その悲しみは、計り知れない。
「それでも、この足で立ってる。ちゃんと歩いてる」
母を亡くした。
長い間、時が止まっているようだった。
確かに時間はかかった。だが、前に進むことができた。
その結果、アリサの手を取るために行動を起こせた。
「起きちまったことは覆せねえ。どうあがいても、事実は事実。嘘のねえ現実なんだ。俺がどれだけ願ったってお袋は帰ってこねえんだから」
「そう、だね。今まで私が殺してきた人だって……もう──」
──息を吹き返すことはない。一度光を失えば、どれだけ望んだとしても再会は叶わない。
突きつけられた現実。過去に起きてしまったことは、なにがあっても変えることができない。
クレインの経験が、言葉が。改めて、アリサの胸に突き刺さる。
「私、どうしたらいいんだろうね……。これだけのことをして、みんなのことたくさん傷つけて」
「それを決めるのは、お前自身だぜ。俺ができるのは、あくまで道を提示することだけだ」
迷い、あがいて。
足を止めてしまうアリサにクレインが添えたのは、迷いなく、それでいて優しい言葉だった。
「俺な、アリサと一緒に帰ることができたらそれでいいと思ってた。だが、さっきの言葉を聞いて気持ちが変わった。ちゃんと、お前の気持ちに従った選択をしてほしい、って思っちまったんだ」
「私の、気持ち……?」
「そうだ。まずはひとつ、このまま俺たちを倒してベルシオン帝国に戻る道。これはアリサが最初に歩こうとしてた道だな。俺たちの望みからは外れるが、本心で選択したとしたら、俺はお前の意見を尊重する」
指を立て、彼女の前にある道を提示する。
「ふたつ、過去を背負って未来を歩く道。これは、俺たちと一緒に帰ってライオアクティス王国で生きる選択だ。何度も言うが、どんな過去を抱えていようと、俺たちが望んでる未来だ。まず、今できる選択はこのふたつだな。そこからいくつも分岐していくと思うが、まずは最初の一歩目だ」
「歩ける、自信なんてないよ……。正直、怖くてたまらない。私、クレインみたいに強くないもん。このまま歩ける保障なんてないし、そもそも立ち上がれるかも……」
弱く、か細い声音。
絞り出すように綴られた言葉は、彼女の本音なのだろう。
ただ、等身大の少女がそこにいた。
「別に、俺だって強いわけじゃねえよ。一緒に歩いてくれる友だちがいたから、背中を押してくれる先生がいたから、手を引っ張ってくれる師匠がいたから、見守ってくれる家族がいたから。たくさんの人に支えられて、俺は今この場所に立っていられる。こうして、アリサの前まで歩けたんだ」
形は違えど、立ち止まったことがある。
アリサの気持ちは、クレインにも痛いほどに伝わった。
前に進めず、ただがむしゃらに生きてきた。歩き方も、方向もわからずに足掻き続けた。
「立ち上がることも、前に進むことも怖いことだ。苦しいことでも、背負っていくしかねえんだ。でも、俺たちはひとりじゃねえ。お前が選択した道には、必ず一緒に歩いてくれる人間がいる。少なくとも俺は、アリサの隣を離れる気はねえぞ」
「私も、ここから歩けるの……?」
「さっきも言ったろ、俺だってこうして歩いてる。ヴァンも、シェリルだってなにかあるかもしれねえが、互いに支え合って、みんな歩いてるじゃねえか」
歩いている。みな、自分自身の足で。
だが、それは決してひとりではない。誰かと支え合って、それでも確かに前へと進んでいるのだ。
「大事なのはお前がどう生きたいか、だぜ」
自身の選択が正しいのか、誤っているのか。その答えはまだ出ていない。
だが、行動した結果は確かに出ている。
母と対話することができた。アリサと再び会うことができた。
クレインもこうして歩み出すことができた。
可能性は、誰にも等しく無限に存在している。
「さっき、前に進みたいって言ってたよな。決断するなら今しかねえぞ」
呼吸を置き、真剣な眼差しを向ける。
アリサの口から、僅かながら本音が語られた。
だから、迷いはなかった。
もう、今のアリサなら大丈夫だと確信したから。
「お前の心に聞くぜ、アリサ。今のお前は、どんな道を歩きたいんだ?」
言われて、アリサが目元をぐしぐしと拭い、クレインと視線を合わせる。
その目は涙を流して真っ赤に腫れ、長い睫毛は涙で濡れていたが、迷いは消えていた。
「私、みんなのところに帰りたい。みんなと一緒に歩きたい」
クレインの言葉で、ようやく口にすることができた本心。
どれだけ否定しても、突き放しても。
彼らと過ごした日々が、アリサの心のなかで輝き続ける。
その光に、これからも触れていたいと思ってしまった。
過去も背負って、そのうえで歩きたいと思ってしまった。
「──おう」
アリサが導き出した答えに、クレインは短く答える。
あのとき、クレインは確かにアリサの言葉に救われた。だから、今度は自分が彼女を救うのだ。
迷っているならば、道標になればいい。歩く力がないのなら、いくらでも手を貸そう。
多くは語らない。
アリサへの返答と言わんばかりに、クレインが拳を突き出した。
拳は彼女の顔を通過し、風が巻き起こる。
アリサの髪を纏めていた紐が千切れ、紫の糸が解放された。
それはまるで、彼女を縛りつけていた呪縛を破壊したかのようで。
アリサの視界に映ったのは、どこまでも爽やかな笑顔。
見慣れた、それでいてどこか安心する表情。
血と痣でぐちゃぐちゃになっていたが、確かに彼女の良く知る顔だった。
そこで、ようやく戻ってきたのだと実感する。
自分が帰るべき場所。そして、未来への道程。
その第一歩を、今確かに踏み出したのだ。
アリサの心に存在していた雪が、ようやく溶けた。
長い冬は終わりを告げ、季節が巡る。
極寒の地で過ごした彼女にとっては目まぐるしい変化だが、それもじきに慣れるはず。
これから仲間たちと過ごす、悠久とも言える時間の中で。
銀世界だけでなく、これからは様々な景色を目にするだろう。
まるでクレインの母が眠る場所で咲く、色とりどりの花のように。
彼女の行く末を、華麗に彩ってゆくのだ。
「──ありがとう、クレイン」
アリサの頬を、一筋の滴が伝った。
その真意は、ひどく穏やかな表情を浮かべる彼女にしか知り得ないものだった。
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