第82話 (3)大浦といふ男
日曜日。市立体育館にS高校剣道部の姿はあった。
きょうは地区予選大会が行われる日なのだ。
三年生にとっては、これが最後の大会となる。
地区予選で四位以内に入れれば、県大会。県大会で優勝すればインターハイが待っているが、負ければそこで終わってしまうのだ。
もちろん、おれはここで引退するつもりはなかった。あくまで目標は、インターハイ優勝なのだ。
出場選手の控室としてS高校に貸し出された大会議室は、部員たちでごった返していた。昨年までは小会議室を使っており、それでも余裕があったはずだったが、大所帯となったS高校剣道部にとっては大会議室でも狭く感じるほどだった。
静かな場所で精神統一をしたい。
そんなもっともらしい言い訳をして控室を出たおれは、会場全体が見渡せる二階席へ上がった。
試合はすでに開始されており、設置された三つのコートで試合が同時進行していたが、その中にS高校剣道部員の姿はなかった。
「なんだ、こんなところにいたのか」
二階席の端っこで会場を見下ろしている高瀬を見つけたおれは声を掛けた。
「賑やかなのは苦手なんだよ」
言い訳をするように高瀬はいうと、先ほど小野先生から渡された試合表に目を落とした。
「お互いにシードみたいだな」
おれも高瀬も一回戦はシードとなっており、二回戦からの試合だった。
「高校最後の試合出場か」
高瀬が呟くようにいう。
「そうだな。三年間って、短かったな」
「わたしには長く感じられたよ」
「そうなのか」
「うん」
高瀬はそういうと、おれの顔をじっと見てきた。
「今年こそは、インターハイ優勝しろよな」
「当たり前だろ」
「去年の約束、覚えているよな、花岡」
高瀬の声が少しだけ小さくなった。
もちろん、覚えている。
去年、おれは高瀬に言った。
インターハイで優勝したら付き合ってくれと。
しかし、結果は準決勝敗退。おれは準決勝で神崎と戦い、負けた。
あの時、神崎もおれと同じ約束を高瀬としていた。
優勝した付き合ってほしい、と。
だが、神崎も優勝は出来なかった。決勝戦を棄権。理由はわからないが、神崎はおれに勝った後で、決勝戦を棄権してしまったのだ。
そのため、おれも神崎も高瀬との約束は果たせていなかった。
「覚えているよ。今年は優勝する」
おれはそういうと、高瀬に向かって拳を突き出してみせた。
「絶対だぞ」
「ああ、絶対だ」
そんな会話をしていると、二回戦がはじまるというアナウンスが流れた。
さあ、出陣だ。おれは気合を入れると、試合会場へと向かった。
二回戦の相手は、またしても大浦だった。
三年連続三回目の対戦だ。
前回は地区予選の地域が違っていたため県大会での対戦だったが、今年はまた同じ地区になったため地区予選で当たることになった。
面の向こう側に見える大浦の顔は苦笑いしているように見えた。
中学時代に剣道部でおれを散々いじめてきた大浦が、高校に入ってからは一度もおれには勝ててはいない。
大浦にとっては、おれと当たることが嫌でしょうがないだろう。
だが、それも今回で終わりだ。
「はじめっ」
審判の声で試合がはじまった。
高校剣道三年間の集大成。
まずは大浦を倒すことからはじまるとは、なんてドラマチックなんだ。
おれはそんなことを考えながら、正眼に構える。
大浦は警戒しているのか、こちらが踏み込むと一歩下がって間合いを取るため、一向に距離が縮まらなかった。
以前のおれであれば、ここで苛立ってしまい、強引な攻め方をしてしまうところだが、いまのおれは違った。
来ないのであれば、こちらから誘い込むだけだ。
おれは構えを正眼から下段に変えると、わざと小手のあたりに隙きを作ってみせた。
わかりやすい誘いかもしれない。
警戒している大浦であれば、その誘いにはなかなか乗ってこないだろう。
だが、周りはどうみるだろうか。隙だらけのおれを攻めない大浦をどう思うだろう。
「大浦、どうした。行けるぞ。びびるな」
案の定、大浦の陣営から声があがった。おそらく、顧問の先生だろう。
その言葉に大浦は意を決して、攻めてきた。
試合では、時に周りの声が邪魔になる時もある。
周りの人間は色々と言って来るが、戦っているのは自分なのだ。
もちろん、良いアドバイスを貰える時もある。
その判断が出来なければ、負けるだけだ。
大浦は隙だらけのおれの左小手を目掛けて竹刀を振り下ろしてきた。
おれはそれをしっかりと見て、ぎりぎりのところで避けると、そのまま大浦の横面に対して竹刀を打った。
「面あり、一本っ」
審判の声と同時に会場から歓声が上がる。
大浦の顔はやってしまったとばかりに、青ざめていた。
二本目はこちらから攻めて、片手面打ちで一本を取った。
二回戦はストレートで勝利。これで、大浦との高校三年間の戦いは幕を閉じた。
試合後、おれは面を脱いで大浦のところへ向かった。
「大浦」
おれが声をかけると、大浦はまぶたを少し腫らした顔をしていた。
もしかしたら、泣いたのかもしれない。
「花岡……。三年やって、俺は一度もお前に勝てなかったな。トーナメント表でお前の名前を見るたびに『またいるのかよ』って思っていたよ」
自嘲気味に大浦は言うと、笑った。
その笑顔はどこか憑き物が落ちたかのような笑顔だった。
「インターハイまで負けるなよ」
「当たり前だ」
おれはそう言って笑ってみせた。
大浦もその笑いに釣られたのか、声を出して笑う。
こいつ、こんな風に笑えたのか。おれは大浦の顔を見て、そんな風に思った。
もう、おれの中に大浦を恨む気持ちなどはなくなっていた。
高校三年間、汗を流し、ともに戦って来た相手。
おれの中で、大浦はそんな立ち位置にいた。
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